#25 カナンの色

「あまり、綺麗な世界じゃないね」


 舞那の精神世界も配色が異常であったが、カナンの世界は舞那の世界よりも寒色や暗めな色が多く使われている。永遠に春の来ない冷たい冬に閉じ込められたような感覚である。


「人の世界に土足で入ってきておいて……随分酷いこと言ってくれるじゃない」

「お互い様でしょ。人の世界に土足で入ってきたのは海影さんの方じゃん」

「……そうだった。で、私と何の話をしたいの?」


 カナンの質問に、舞那は数秒の間を置いて答えた。


「海影さん、友達いないでしょ?」

「……は?」

「いないんでしょ」

「……まあ、友達って言えるような知り合いはいないかな。周りとは違う私への哀れみで友達って言ってくれた人はいたけど、私にとっては本当の友情じゃない。あんな上辺だけの笑顔……もう見たくもない」


 生まれつき身体の弱いカナンは、学校に行っている間も満足な生活を送れなかった。体育は基本的に不参加。校庭を駆け回ることもなければ、クラスメイトと公園で遊ぶこともできなかった。それでもクラスメイトはそんなカナンに優しく接し、友達だと言ってくれた。

 しかしカナンにとって、友達を自称するクラスメイト達は友達ではない。友情も抱いていない。それどころかクラスメイトの笑顔を向けられる度に吐き気に近い嫌悪感すら抱いていた。

 まるで無表情の石膏像を絵の具で無理矢理笑顔にしたような違和感。本心をメイクで隠すピエロに囲まれるような不快感。


 周りの人間はみんな敵だ。味方なんて1人もいない。

 そんな思いがカナンの心を冷やし、カナンの世界を冷たくした。


「じゃあ仮に、私が海影さんの友達になってあげるって言ったら……海影さんはどうする?」

「……友達なんてできるはずない。私は世界に歯向かって、人間を超えた存在になった。もう誰も信じない。もう私の味方なんていない。唯一信じられるのも人間じゃなくプロキシー。そんな私に今更人を信じろなんて、友達になろうだなんて、馬鹿馬鹿しくて聞いてられない」

「そっか……でも世界に歯向かったから友達ができないなんて、都合のいい詭弁よ」


 舞那の発言に、カナンは歯軋りを起こす程に苛立ち、遂にベッドから起き上がった。


「詭弁……? ならあなたは、人を、世界を壊そうとしてる私を、友達として迎えることができるの? こんな私が、今更世界に馴染めると思ってるの!?」

「思ってるよ」


 嘘偽りのない舞那の強い声に、カナンは言葉を詰めらせた。


「覚えてる? 前に海影さんと戦った、肌色多めの女の子」

「……翼が生えて、銃と刀を持ってた?」


 肌色多めという情報だけで、舞那の示す少女が瑠花であることをカナンは悟った。


「そう。あの子だって最初は海影さんみたいに世界を壊そうとしてた。けど私がそれを阻止して、その後いろいろ起きた結果、あの子は死んだ。死んだ後、私は世界を改編して、今では友達になった。あの子だけじゃない。最初は殺し合った子なんて今じゃ私の恋人だし、元々馴れ合うはずじゃなかった私達はいつしか親友になった」


 やろうとしていることのスケールはカナンの方が上だが、現時点で背負っている罪の重さは舞那達の方が圧倒的。中でも瑠花は病院内で無差別殺人を行ったため、残虐性などを見てもカナン以上。そんな瑠花でさえ舞那の友人となり、元人間プロキシーを殺し続けたという共通の罪を背負った舞那達は皆友人となった。


「私達は一緒に罪を背負うことで、共存の未来を掴んだ。だから海影さんだって、信じられる人が近くに居ればきっと変われるはずだよ」


 舞那達でさえ、友人として生きられた。

 即ち、まだ1人も殺していないカナンならば、今からでも自分の世界に帰れる。今からでも信じられる友人を作れる。


「居ない……そんな人、居るわけない!」

「ちゃんと目を開けて現実を見なよ!」


 舞那の強い声に、カナンは再び萎縮。


「志紅さん達は、海影さんを救う為にこの世界までやってきた。敵対したはずの海影さんの為に、私と対立した。海影さんと分かち合おうとしなきゃ、そもそも救おうだなんて思うはずない」

「あの3人が私と分かち合おうと?」

「してる。私の中には、さっきの3人の記憶もあるから、3人が何を考えてここまで来たかなんてすぐに分かったよ。私が保証する。あの3人は、海影さんが信じるべき子達。海影さんの人生を彩ることができる子達」

「そんなこと……私は信じない!」

「海影さん! もう一度言うよ……ちゃんと目を開けて現実を見て」


 目は開けている。現実も見ている。その上で信じない。最早これはカナンの意地である。

 しかしあくまでも意地。

 舞那は知っている。

 本当のカナンを。本物のカナンを。


「私、さっき海影さんの記憶を読んだから分かるよ。海影さんは心の底から人間が嫌いで、心の底から世界を変えたいと願ってる。けど心の底のさらに底に居る海影さんは、人を信じられなかった自分を嘆いてる」

「……うるさい……」


「本当はもっと人を信じたかった。人の輪に混ざって楽しく生きたかった」

「うるさい……!」


「もっと自分に正直になれたら、世界を壊すなんて結論に至らなかったのに」

「うるさい、うるさい!」


「怖くて信じられないのはクラスメイトでも、志紅さん達でもない。人を信じたいっていう、本当の自分なんでしょ?」

「黙れ!!」



 信じたい。

 人を信じたい。

 人を信じる人で在りたい。


 しかし人を信じればどうなるのだろうか。

 映画やドラマでは、信じた相手に裏切られるケースはよくある。あるからこそ、人を信じることが怖い。

 信じることが怖い。裏切る相手を信じてしまう自分が怖い。


 怖ければ信じなければいい。

 人を信じたいという自分自身を否定すればいい。

 否定すれば楽になれる。何も信じない、誰にも信じられない人になれば、裏切ることも裏切られることも怖くなくなる。


 そう考えた時から、カナンは本当の自分を忘れ、ひたすら人を信じない性格になった。



「黙らせてどうするの? また本当の自分を心の底に押し込めて、絵の具で偽りの自分を描くの?」

「いいじゃない逃げたって! 逃げて、隠して、偽って……漸く私は"私"になれた……それで私は楽になれたんだから!」


 直後、カナンの頬に痛みが走り、パチンッという音が病室に響く。

 舞那からの突然の平手打ちにカナンは呆然とし、舞那はそんなカナンの手を掴んで強く引っ張った。


「ちょ、どこ連れてくの!」

「いいから黙ってついてきて!」


 病室を出て、舞那とカナンは病院の廊下を突き進む。

 誰も居ない冷たい廊下を歩き続けると、階を跨ぐ階段が見えた。舞那はカナンを連れたまま階段を下り、少し周囲を見回した後に再び歩みを進めた。


「ここは……」


 見覚えがある。病院なんてどこも似たようなものだが、今歩いている場所は見たことのある、歩いたことのある場所。


「着いたよ」

「……っ!」


 思い出した。

 ここは小児病棟。幼少期にカナンが入院した場所である。

 これまで通り過ぎてきた病室には表札が貼られていなかったが、目の前の病室の表札にはカナンの名がある。

 即ち、この中にカナンが居る。

 舞那は病室のドアを開け、カナンの手を掴んだまま入室した。


「なんで……私が……」


 病室には、幼少期のカナンが居た。

 背は低く、今よりも若干髪が短い。

 幼少期のカナンは舞那達の入室に気付き振り向く。そして、舞那達に優しげな笑顔を向けた。


「漸く来てくれた。大きくなった、私」

「……海影さん、なぜこの世界に小さい頃の海影さんが居るか、分かる? いや、もう分かってるよね」


 舞那の問い。それに対しカナンは頷くことなく、数秒の沈黙を挟んだ後に口を開いた。


「……私が、私が押し込めた感情が、今目の前に居る私なんでしょ。小さくて、弱くて、幼くて……今にも壊れそうだけど、これが本当の私なんだね」

「そう。この小さな海影さんは、海影さんが自分を押し殺した結果生まれた、言わば海影さんの本心の塊。今の海影さんよりもずっと素直で、ずっと優しい、本当の海影さん」


 その容姿から察するに恐らく目の前に居るカナンは、映画が原因で人間というものが好きになれなくなった頃のカナン。自分の中に、この世界に対する疑念が生まれた頃のカナンである。


「……いよいよ、弱い私を否定できなくなっちゃったなぁ……」

「否定なんてしなくていいよ。本当に、心の底から自分を否定したいのなら、今頃私は消滅してる。けど私は今こうして、大きくなった私と対面できてる。大きくなっても、やっぱり"私"は棄て切れないんだよ」


 幼いカナンは言わば本心の塊。仮に本心を完全に棄てたのならば、そもそも精神世界に人型で存在していない。しかし幼いカナンは存在している、即ち、カナンは本心を否定しつつも棄て切れていない。


「海影さん、本当に楽になれてた? 本当の自分を隠して、それで本当に楽だった?」

「……少なくとも、私は私を押し殺すなんて無理。大きくなった私は違うの?」


 舞那と幼いカナンに問われ、カナンは遂に自らを覆っていた殻を破れた。


「……楽なはずない……本当はずっと辛かった……けど本当の自分を押し殺さないと、私は"私"になりきれなかった! 私が"私"で居続けるには嘘をくしかなかった!」


 何年も心の中の個室に閉じ込めてきた本当の自分と対面し、保てていたはずの"海影カナン"は崩れた。それも酷く簡単に。その変わり様には舞那も少し驚いたが、性格の変貌は過去に何度か見たことがあるため難なく受け入れられた。


「怖かった……本当の自分を曝け出したら、自分が自分で無くなる気がした。人を信用すれば、いつか裏切られるかもしれないと思った……だから私は私を隠した」

「怖がらなくていい。志紅さん達は海影さんを裏切ったりなんてしない」

「そんな保証……どこにあるの?」

「保証なんてどこにも無い」


 さすがのカナンとは言え、舞那にここまで迷いの無い即答をされるとは思いもしなかった。


「なら信じたって……」

「信じてみなきゃ分からない。自分で信じなきゃ、相手だって信じてくれない」

「今更人を信じろと?」

「自分が人を信じないくせに、誰かに信じられたいだなんて……志紅さん達以上に甘い考えをお持ちのようね。そんなんだから友達が居ないのよ」


 舞那の言葉に反論できずカナンは黙った。黙ることしかできなかった。


「手始めに、目の前にいる自分自身を受け入れてみて。人を信じるのはその後でもいい」


 舞那に促されたカナンは幼いカナンの前に歩み寄り、本物の自分と漸く向き合った。


「……なんだか変な気分。こうして小さい頃の自分と会えるなんて」

「私はそうでもないよ。いつか絶対、会いに来てくれるって信じてたから」

「そっか……裏切られるのが怖くて人を信じられなかったのに、私は、私に信じられてたんだ……」

「人に信じられるのも悪くないでしょ。もう自分を偽らないで。もう自分を隠さないで。少なくとも私は、いつまでも"私"を信じてるから……」


 その言葉を最後に、幼いカナンは音もなく消えた。

 本当の自分を受け入れられたのかは分からない。しかしカナンは勇気を貰った。くれた相手が幼い自分というのが若干情けないが、これまでに見てきたどんな映画のセリフより、どんなアニメのセリフより、どんな偉人の格言よりも胸に響いた。


「漸く、こんな寒い場所から出ていける。こんな変な色の世界から……」

「この世界にこんな色を与えたのは海影さん自身。周りの同情や建前が影響したのは分かってるけど、彩ったのは海影さんだよ」

「そっか……なら、私の世界はずっとこの色か」


 落胆混じりのため息をき、カナンは黒い雲の浮かぶ白い空を見た。

 不気味。決して美しくはない空。見ていると頭痛がする霞んだ景色。

 これが自分の心か。これが自分自身で作り出した自分の世界か。自分で決め、自分で染めたのであれば、最早カナンに文句を言う資格も否定する資格もない。

 しかしこの場に1人だけ、この世界の色を否定できる人間が居る。

 色を司る神アイリスの生まれ変わりにして現代の神、舞那である。


「色なんて簡単に変えられる。例えそれが青い画用紙だったとしても、上から赤い絵の具を垂らせば赤くなる。真っ白いシャツだって、色水に浸せば何色にもなれる。だからこの白い空も、黒い雲も、海影さんの心も、今からでも何色にだって変えられる……こんな風に、ね!」


 舞那が指をパチンと鳴らす。

 その時、カナンの世界に変化が起きた。


「!!」


 青みがかった陽の光は薄い黄色へ。

 白かった空は青く。

 黒かった雲は白く。

 紫の木は茶、黒い葉は緑へ。

 灰色のカーテンは水色へ。

 紺色の壁と床は白く。

 緑と紫のベッドは花柄の入った白へ。

 そして窓の外に広がる色絵町の景色にも、本来あるべき色が与えられていく。


「これは友達である私からのサプライズ。どう? この色、気に入ってくれた?」


 聞き逃さなかった。否、聞き逃すはずが無い。

 ついさっきまで殺し合いをしていた舞那が、今はっきりとカナンに向かって友達と言った。

 友達ができた。人生初の友達ができた。哀れみの目で見ない、同情の目で見ない、ハッキリと過ちを正してくれた舞那が友達になってくれた。その事実が嬉しすぎて、カナンは思わず両目から涙を零した。


「……ずっと、世界が美しくなんて見えたことなかった。鬱陶しいほど青い空も、苛つくほど白い雲も、眩しすぎる陽の光も……けど、漸く綺麗な世界を見ることができた」

「気に入ってくれて私も嬉しいよ、カナン」

「……友達として名前で呼んでくれたの、木場さん……いや、舞那が初めてだよ」


 この日、カナンは笑顔になった。

 これまで生きてきたなかで他人に見せた笑顔は殆どが偽り。殆どが仮面。

 しかし今日は違う。心の底から湧き上がる嬉しさという感情が、無意識にカナンの表情筋を動かした。


「あーあ! もう世界のリセットなんてどうでもよくなってきた!」

「見事に吹っ切れたね……未遂じゃなかったら、今頃こんな話してないよ」

「本当ね……でも良かった。これで漸く、残りの人生を彩ることができる」


 残りの人生。その言葉を聞いた舞那の表情は、僅かだが険しくなった気がした。


「……創造者に干渉したから分かる。もうカナン、治らないんでしょ。創造者の力を使っても無理だとしても、メラーフなら治せるかもしれない。後で聞いてみない?」

「ありがと。でもいいの。私はもう死を受け入れてる。寧ろ今から数十年も生きるとなると、それはそれで辛いし。それに、重要なのはいつ死ぬかじゃない、どんなように人生を彩ったか。私は十分……もう十分彩れた」


 満足気で、一切の偽りが感じられない清々しい笑顔。カナン曰く、カナンの人生に未練はない。弱い自分を受け入れ、人生初の友達ができた。それだけで、カナンは確定した自らの死を簡単に受け入れられた。

 メラーフの力を借りればカナンの身体を治すことはできる。しかしカナンの言葉から感じる幸福感を受け、舞那はカナンを治療する未来を諦めた。


「そっか……なら、そろそろ終わらせよう。アランを殺せば全部終わる……そうでしょ」

「うん。けど気をつけて。私から分離しても、アラン1人で創造者の力を使えるかもしれないから」


 カナンの警告を受けた舞那だが、不思議とその表情には余裕があった。


「心配しないで。私、負けないから。さあ行こう。カナンのストーリーを始めるよ!」

「うん……!」


 舞那はカナンの手を掴み、病室のドアを開け向かうべき場所へと向かった?

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