#23 歪む思想

「ねえカナン、なんで世界をリセットしようと?」

「言ったはずよ。誰も苦しまない楽園を作るため。クピドから聞いたんでしょ、私がこれまでどういう風に生きてきたのか。だったら大体は理解できるはずよ」


 聞いている。カナンがいつ病気を患い、いつ入院し、いつ頃から世界というものが嫌いになったのかも既に知っている。しかし"いつ何があったか"ということを知ったところで、"カナン"という一人の人間を知ったことにはならない。故に知ろうとした。故にトドメを刺すことなく留まった。


「理解なんてできるはずない。だって私が生きた世界は、私の大好きな場所だもん。仮にどんなに迫害を受けたとしても、私は私が生きた世界を愛する。どうしてカナンはそんなに世界が嫌いなの?」

「……別に嫌いなわけじゃない。好きなアニメだってあるし、好きな曲だってある。ただ、世界を本来あるべき形へと導きたいだけ」

「あるべき形? 具体的には?」


 エリザの質問を受けたカナンは少し考え、さながら理想を思い描く子供のような笑顔で語り始めた。


「そうだね……まずは、数を減らす。人口の……7割くらいは減らしたいかな。次に人間から悪意を、いや、感情ってものを抜き取る。それこそ機械みたいに、与えられた仕事をただ黙々と淡々と熟すようにしたい。それと、人間から寿命って概念を取って、同時に生殖能力を奪う。つまりは、必要最低限の人間を永遠に生かして、それ以外の人間を増やさない。あとは文明をいくつか破壊して、人間が奪っていった自然を取り戻す。いや、いっそゼロから初めて、今ある常識が異常に、今の異常が常識になる、全てが変わった新世界を創るのもいいな……まあとにかく、人間は人間を棄てて、命の奪い合いが起こらない、何も無い時間を永遠に続けたい。そうだ、ゼロから始めるなら人間ってのも1からデザインし直そう。そうだね……いっそ人間は四肢も胴も捨てて、頭部だけで生きればいいんじゃないかな。だとすれば目も鼻も口も耳も必要ないし、いっそ脳だけあれば十分かな。脳も今の形じゃなくて、液体とか、固形物とか、怖そうにも壊せないものにしたい」


 カナンの思想は、エリザが理解できるようなものではなかった。

 人類の否定。進化論の否定。文明の否定。ありとあらゆるものを否定し、自らの理想を全面的に肯定する。

 人は人の形を棄て、感情を棄て、思考を棄て、一種の機械のような存在になる。そうなれば戦争も起きない。永遠の平和が約束される。

 誰も生まれないが誰も死なない。誰かが楽しむことは無いが誰かが悲しむことも無い。それがカナンの理想であり、カナンの思い描く新世界。この先の未来、人類が到達することの無い世界。


「……人を減らせば、感情を捨てたら、好きなアニメも見られないよ?」

「世界が変わるなら惜しくないよ」


 そもそも見たいという気にもならなければ、アニメという概念も無い。故に誰も悲しまない。


「誰も楽しめない、誰も笑えない世界になるよ?」

「感情なんてものが無ければ、そもそもそんな思考にすら至らない」


 喜怒哀楽全てから解放されることで、人間は波の無い常に一定な時間を生きられる。


「好きな声優さんも、好きな歌手も居なくなるよ?」

「みんな一緒にゼロに帰れるなら、私は寧ろ幸せ」


 消えるのは自分だけではない。全てが溶け、全てが消え、全てがリセットされる。悲しむこともなければ悲しませることもない。


「そんな世界、一体何の意味があるの?」

「逆に聞くけど、この世界に意味なんてある?」


 意味なんて無い。そもそも世界というものが存在している意味が分からない。なぜいつか消える時間の中で喜怒哀楽に染まり生きられるのかが寧ろ不思議である。


「死ぬのが怖くないの?」

「死ぬんじゃない。消えるの。痛みもなければ苦しむこともない」


 怖さなんてない。なぜなら消える時は一瞬で消える。人々は消えることに気付かず、消えたことにも気付かない。


「……全部、本心なの?」

「私は嘘が嫌いなの。嘘をくのもれるのも。そもそも本心じゃなきゃこうして実行に移そうとなんてしてない」


 仮に嘘であれば、そんな思考になど至らない。本心だからこそ至った思考であり、本心だからこそ生まれた思想である。


「私は海影カナンの分身だけど、同時に海影カナン本人でもある。分身元の海影カナンに同じ質問しても、言い方が違うだけで同じ回答をする。だから、いくら説得したって無駄よ。私は絶対に揺るがない。絶対に靡かない。絶対に、ね」


 質疑応答を終え、エリザは漸く気付いた。舞那の言われたことを。甘い考えが招く結果というものを。

 クピドはカナンを救って欲しいと言ったが、自分達の力ではカナンを救うことはできない。仮にアランを殺してカナンを生かしても、世界に嫌気がさして恐らく自殺する。

 救えない。仮に生かしたとしてもそれは救えたとは言えない。もう誰にも救えない。クピドの意志を継承した自分でさえも。

 エリザは考えた。「私は何のためにカナンを追いこの世界にやってきたのだろう」と。そして少し考え、答えに行きついた。


(……ああ、そっか。さっきの人が言った通り、私達は考えが甘かったんだ)


 カナンと初めて出会った日、エリザは緤那と文乃を救うために、そしてカナンを救うために、虹色のモノリスに触れた。しかしそれ以前に、カナンはエリザ達に対立し、光を傷付けた。

 あの日緤那と文乃が虹色のモノリスに飛び込んだのは、カナンを追い殺すためだった。


 即ち、


「私達には……もうカナンを殺すことしかできない……」


 自分は無力だ。ほぼ全てのプロキシーの能力、ほぼ全てのプレイヤーのスキルを使えるようになっても、自分には相手を殺すことしかできない。


「そう、救うと言っても、人間には限界がある。救うと決めても、必ず救えるわけじゃない。そして自分の弱さを知った時、人間は絶望する。どう? 私がこの世界に抱く感情、少しは理解できた?」

「……もっと早く気付くべきだった。いや、あの日、お父さんとお母さんが死んだあの日、もうとっくに気付いてた。気付いてたよに、私は目を逸らして知らないフリをしてた」




「この世界は、常に残酷なんだって」




 エリザは光の刃でカナンの首を切り落とした。

 切断面から噴き出す大量の血液が血の雨を降らせるが、エリザは避けずに全身を赤く染める。

 無力故に救えない。その事実はエリザの顔から笑顔を奪い、代わりに涙を流させた。

 地面に落ちたカナンの頭部はエリザを見つめ、静かに微笑んでいた。

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