#19 綴られた白紙

 目の前には緑と紫のベッド。

 窓の外にある空は白く、浮かぶ雲は黒い。

 壁面は紺、カーテンは灰。

 そして視界に映るものほぼ全てが所々霞んでおり、見ているだけで吐き気を催しそうになる。そんな気持ちの悪い空間に1人、アランは立っている。


「創造者、聞こえる?」


 今アランが居るのはカナンの精神世界。歪ではあるものの、この場所はカナンが過ごした病室。カナンの精神は長期間の入院により歪んでいる、とでも言うのだろうか。


「聞こえてるなら返事してよ」


 アランの声に答える者はいない。何度か声をかけるが、一向に誰も返答しない。


「いいかげん答えて。聞こえてるんでしょ?」


 創造者の返事は無い。


「返事は無い? そう綴ってる時点で私の声聞こえてるじゃない」


 アランの発言は謎。一体何を言っているのかが全く理解できない。


「理解できない? 何言ってんのよ、もういいから、そろそろ出てきてよ」






 ――遂に、創造者わたしに到達してしまったか。まさかこんな日が来ようとは。


「返事できるんならさっさと返事すりゃいいのに……まあいいや。単刀直入に言うけど、あなたの力、私にくれない?」


 ――受け取ってどうする?


「カナン達は気付いてないだろうけど、今私達がいる世界の時間は止まってる。あなたの力があれば、止められた時間の中を動き回ることも、時間が止められたものを壊すことだってできるでしょ?」


 ――無論できる。寧ろ、私の力があれば望むこと全てが叶う。が、そんな力を君なんかに譲渡すると思うかい?


「思う。だって私が全ての世界を破壊して、戦いの無い新たな世界を創造する……っていうシナリオも、創造者あなたの中にはあるんじゃない?」


 ――ああ、ある。


「ならいいでしょ。全部じゃなくていい、世界を壊して創れるだけの力があればそれでいい。私はあなたの意向に背いて、カナンと私が主人公を作る。だから……力を頂戴」


 ――……まあ、こんな終わり方も味があっていいかもしれない。もうこの話の結末は君達に委ねているからね。


「ありがとう。なら、私がこのストーリーを終わりに導く」




 ◇◇◇


「っ!」


 時間は止めている。

 止めているはずなのに、舞那とメラーフの目の前でカナンは動き始めた。

 動けるはずがない。メラーフの許可が無ければ決して動けない。無論、カナンに動く許可は与えていない。


「なぜ動ける……海影カナン……!」


 時間の停止さえも克服してしまったのだ。メラーフはすぐに理解した。理解して、これまで生きてきた中で最大の焦りを感じた。


「漸く……漸く私は創造者に到達した。もう誰も私を止められない。創造者ですら! もう私の自由を奪えない!」


 アランが創造者に接触し力を得たことで、融合しているカナンも自らが創造者に達したのだと理解した。そして、これまで生きてきた中でも1番の興奮と幸福を感じていた。


「メラーフ……創造者に干渉した今の私は、もう停止した時間に束縛することはできない。フォルトゥーナも、ゾ=カラールも、アイリスも……もう何も怖くない!」

「……やっぱり、甘い考えは捨てるべきだったんだ……志紅さん達なんて放っておいて、早く殺すべきだった……」


 緤那達の甘い考えが招いた結果を理解させるべく、メラーフは緤那達を動かした。

 創造者に干渉したとは言え外見などは一切変わらないため、現状を理解するにはメラーフの説明を必要とした。


「どうだい、志紅緤那、綺羅文乃、エリザベータ・フレストフ……君達が海影カナンを殺さなかったから、最も恐れていた事態が起こった。創造者の力を持ってしまった! こうなればもう打つ手は無い……君達の甘さが! 世界をリセットに導いた!」

「「「っ!!」」」


 まだ上手く現状を理解できていない緤那達だが、自分達が舞那の攻撃からカナンを救ったことで最悪の事態を招いたことは否定できなかった。

 甘さを捨てた舞那は敵だと思った。甘さを捨てろと言ってきた舞那は自分達の敵だと思った。しかし違った。舞那の導きに沿っていれば、真の敵を覚醒させることはなかった。



 自分達の考えは、本当に甘かった。



「止められた時間だろうが、私の力があれば止めたまま壊せる! けど、すぐにリセットするのは面白くない……どうせなら、メラーフが見守ってきた世界をできる限り蹂躙してからリセットする!」


 カナンは本を開き、数ページ分の白紙をちぎった。この本には世界のプレイヤー、プロキシーの情報が記されているが、本の最後の方は白紙。理由は単純、本全てを埋めることはできなかったのだ。

 しかし埋められなかったのは偶然では無かったのだとカナンは悟った。なぜなら、数ページ分の白紙があったからこそ、この世界に焼き付いた戦いの記憶を呼び起こせるのだから。


「かつてこの世界のリセットを目論んだ怪物プロキシー達! 今この場に蘇り、再び世界を恐怖に包め!」


 カナンが投げた白紙に、一瞬にして文字が綴られた。その文字は世界中どこを探しても見つからない唯一無二の言語であり、読み方も分からなければ意味も分からない、さながら子供の落書きのようなものである。




 突如、止められた世界に天空から9色の光が幾本も降り注いだ。

 1つは青。

 1つは赤。

 1つは紫。

 1つは橙。

 1つは灰。

 1つは黄。

 1つは緑。

 1つは黒。

 1つは白。

 その色の数には見覚えがある。かつてこの世界に存在したプロキシーと同じ数、同じ色である。


「あの光は……」

「教えてあげよっか。あの光はこの世界の記憶の中にある恐怖。言わば、この世界、この町を壊しかけた記憶。即ちこの世界におけるプロキシー……かつてこの世界のプレイヤーと戦ったプロキシー!」

「嘘でしょ!?」


 光が降り注いだ色絵町に、かつて存在したプロキシーが再臨した。


「何……あれ……」


 舞那とメラーフは既に見慣れた存在であるプロキシー。しかしこの世界とは別の世界からやって来た緤那達は初めて見る存在。

 人型を保ちつつも、その容姿は人ではない。同じ"プロキシー"という名であっても、人間との区別がつかないナイアやセトとは違う。明らかな怪物。明らかな異物。明らかな敵であった。


「怖い……あんなのと戦ってたの……?」


 戦う相手が人と同じ姿であったため、緤那達は戦いを案外簡単に受け入れられた。しかし絶望を具現化したようなこの世界のプロキシーを前に緤那達は恐れ、無意識に脚と声が震える。


「この世界のプロキシーは世界をリセットできるだけの力を持つ。ステータス面を見ても、正直私達が居た世界のプロキシーよりも断然強い。そんなプロキシーがこんなに沢山湧けば……さすがのメラーフでも手の打ちようが無い……でしょ?」






「そうでもないさ」

「え……?」


 メラーフの思わぬ返答に、カナンは思わず震えた声を出してしまった。


「確かにこの世界のプロキシーは強い……が、舞那達はそのプロキシー達と戦い、そして勝ってきた。この世界を破壊させるよりも先に、プロキシーなんて絶滅させてみせる」

「……は、はは……無理に決まってる。一体どれだけの数が居ると思っ」

「逆に聞くが、この世界にプレイヤーは何人居ると思っている?」


 カナンは創造者に干渉し、この世界の記憶を見た。

 戦いが起き、戦いが終わり、世界がリセット。また戦いが起き、また戦いが終わり、世界は2度目のリセットを迎え、今の世界に至る。今の世界に至る過程で、この世界のアクセサリーは半分以上が消失。加えてプレイヤーは皆、世界のリスタートと共に前の世界の記憶を失っている。

 即ち、戦える者など居ない。居ないはずだった。

 居ない。と決めつけていた。


「……まさか……!」


 驚きと怒りが混ざったようなカナンの表情を見て、メラーフはふてぶてしい笑みを浮かべた。


「その、"まさか"だよ!」


 メラーフはさながら「この時を待っていた」と言わんばかりに、両腕を大きく振って指を鳴らした。

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