#12 虹色の喜劇
「緤那さん……!」
「緤那……そっか、平行世界の志紅緤那か。その姿で見るのは初めてだから分からなかったよ」
カナンはこの姿の緤那を知らない。出会った時には、既に緤那からティアマトの力が抜けていたためである。
「これがどんな状況なのかは分からない。故に今私がとるべき行動も分からない。けど、アンタは今、文乃に攻撃しかけていた。文乃を殺そうとしていた。つまり、アンタは私の敵……私の敵は、誰であろうと殺す!」
緤那がブーツにライティクルを集約させた瞬間、緤那の右腕に赤いラインが走った。
「クリムゾンフィスト!」
こちらの緤那が融合しているのはアメイジング・ナイア。能力は破壊、スキルはクリムゾンフィスト。カナンが元々存在していた世界の緤那と共通している。
しかしそのスピードも威力も、カナンが居た世界の緤那のそれを明らかに上回っている。スピードだけで言えば、アクセラレーションスマッシュに匹敵するであろう。そんな速い拳を避けられるはずも無く、1発のクリムゾンフィストでカナンの胸に大きな風穴が空けられた。
《クリムゾンを受けカナンの胸にできたはずの穴は、衣服ごと再生した》
「っ! 緤那さん逃げますよ!」
「え、文乃!?」
文乃の声に反応し、メラーフは時間を止め瑠花達を別の場所に移した。カナンからは瑠花達が一斉に瞬間移動したように見えるが、メラーフの力でどこかへ消えたということは大体察しがついた。
「逃げられちゃった……」
カナンは力を発動し、クリムゾンフィストのダメージを帳消しにしていた。
ダメージを受けてから、ダメージを受けなかった未来に変えるまでには、多少時間を必要とする。しかし大概のダメージも数秒あれば完治。
クリムゾンフィストを受けカナンの胸にできたはずの穴は、衣類ごと再生した。発動から再生までに費やした時間は5秒未満。その間、再生の様子は誰にも見られず、誰もこの場で戦いが行われていたことを知れなかった。
◇◇◇
「……話は以上だ」
今現在置かれている状況を事細かく説明したメラーフ。瑠花と文乃にとっては既に受けた説明、殆ど聞き流した。ただ1人、来訪したばかりで現状を理解していない緤那は、苦い顔で話を聞いていた。
「……なら、クリムゾンフィストでもアイツの力は壊せてないね」
「あの様子だと恐らくね。今頃は風穴も修復しているだろう。君の力さえあればどうにかなると思ったんだが……いよいよ厳しいか」
メラーフは当初、この世界に来訪するであろう"クリムゾンフィストを使える緤那"の力を借り、カナンの力を破壊しようと考えていた。力さえ破壊すれば、カナンに世界を壊す事はできなくなるためである。
しかし考えが甘かった。カナンはメラーフの予想を軽く超えていたため、クリムゾンフィストは最早無意味。完璧とまでは言えないが、成功すると思われていたメラーフの考えは簡単に砕かれてしまった。
「……悪いけど、私にはあなた達の世界を救うことはできない。力が及ばない、ってのもあるけど、そもそも私は世界を救う気なんて無い。寧ろ私はカナンと同じ……壊すために世界を巡ってる。今の話の通りだと、文乃だってそうなんでしょ?」
「そ、それは……そうですけど……」
文乃は元々、壊すためにこの世界へとやって来た。もしも緤那と再会できるという話を聞かなければ、龍華の隙を見て世界の破壊を試みただろう。
緤那も同じである。世界を壊す目的で来訪し、偶然にも再会した文乃を守るべくカナンに拳を向けた。
「だったら、文乃も私と一緒に世界を壊して廻らない?」
「それは嫌です」
思わぬ即答に、緤那の脳内はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
「……私は、緤那さんを失ったせいでこうなりました。けど今は、目の前に緤那さんが居ます。私は緤那さんが居ればそれでいいんです。今まで世界を壊してきた私に、こんなこと言う権利は無いですけど……私は、緤那さんが傍に居てくれるなら、もう世界の破壊なんて興味ありません。創造者とかももうどうでもいい……いっそ、創造者の知らない世界で一緒に生きたいです」
緤那も文乃も、既に世界を壊している。数え切れない数の生物達を殺している。どんなことをしても償い切れるはずがない。そもそも償おうなどとは思っていない。
ただ、緤那と生きたい。どんな重い罪を背負ってでも緤那と一緒に居たい。例え世界を壊しても、緤那の傍からもう離れたくない。最早それは狂愛。しかし狂愛を抱いているのは緤那も同様。文乃の言葉に、世界の破壊という緤那の信念が揺らいだ。
「私は全てを失いました。いえ、棄てました。棄てたからこそ、新しく得られたこの出会いを失いたくないんです。それに、創造者の目が届かない、戦いのない世界だって何処かに在るはずです。一緒に見つけましょう……見つけて、もう戦いから遠ざかって、2人で生きていきましょう?」
横で聞いていた瑠花は、文乃の異常な思考に疑問を抱きつつ、同時に共感した。
瑠花も世界をリセットさせることを目的として、友人2人を殺し、心葵を殺し、関係の無い人達を何人も殺した。そんな瑠花も、書き換えられた世界では舞那達と楽しく生きていた。そして記憶を取り戻した今、1度消えて再び得た日常が尊くて仕方ない。
幾人も殺し、1人では背負いきれない程の罪を背負った。それでも瑠花は、この世界を守る為に再び武器を握った。
1度は世界を嫌っても、結局は大切なものを見つけて世界を嫌わなくなる。人間という生き物がいかに不安定で身勝手なものかを、瑠花は自らの思考のもと理解した。
「緤那、文乃、世界を壊す度に考えなかったの? 壊した世界の自分達のこと」
「自分達の、こと?」
「そう。アンタ達が壊した平行世界には、別のアンタ達が居たはず。愛し合ってたはず。けどどうよ、その愛もアンタ達によって壊された」
緤那と文乃が破壊した世界全てに、別の緤那と文乃は確実に居た。しかし世界の破壊と同時に消えた。恋人が死んだことで思考が狂っていた緤那と文乃が、別の自分のことなど考えるはずがなかった。
「自分1人が生き残ったことが悲しいからって、自分以外を全員殺す? 頭おかしいんじゃない? 自分1人が生き残ったんなら、別の世界の自分が同じ未来を歩まないよう、別の自分の道を正してあげればいいのに。そんな事も考えずにただ世界を壊して廻ってたの? だったらハッキリ言うけど、アンタ達は馬鹿ね」
緤那も文乃も、世界を渡ることはできる。故に瑠花の言う通り、別の世界の自分達が悲劇を歩まないよう更生することもできた。
「悲劇の主人公気取ってんの? 悲劇のヒロイン気取ってんの? 突然現れた奴に世界ごと殺された平行世界のアンタ達の方がよっぽど悲劇の登場人物じゃない。悲劇気取る暇があるなら、自分じゃない自分が主人公の喜劇を作りなさい」
悲劇の中に死に、舞那により作られた喜劇の中で生きている今の瑠花だからこそ言えた言葉。その言葉を聞いた文乃の脳内に、メラーフすらも考えつかなかった策が浮かんだ。
「喜劇……そうだ、その手があった!」
「え?」
◇◇◇
平行世界間を繋ぐ虹色のモノリスの前で、緤那と文乃はメラーフに別れを告げる。
「私達は多分もう帰ってこないけど、次にここへ来る自分達はきっと役立ってくれる」
「だから、その時こそ悲劇を喜劇に変えてみせる」
緤那と文乃は自分達が生きた世界とはまた違う平行世界を見つけ、その世界で生きる緤那と文乃に戦う
「けど運良くこの世界に来るとは限らないよ?」
しかしこの考えは欠陥だらけ。
運良く新たな世界を見つけられたとしても、既に戦いが始まっていればもう手遅れ。また新たな世界を見つける必要がある。
仮に戦いを知らない緤那と文乃に力を託したとしても、新たな力を得られるかどうかも分からない。仮に得られても、平行世界間を移動する術が無ければ意味が無い。
そもそもその世界で戦いが起こらないという可能性も否定できない。戦いが起きなければ緤那と文乃がプレイヤーになることもなく、文乃の考えは無駄に終わる。
「大丈夫。私達2人はあなた達に出会う運命にある……そんな気がする」
「根拠は無いけど、私達は信じてる」
「……なら信じてみよう。いつになるかは分からないが、僕以外の全ての時間を止めればいくらでも待てる」
時間が止められている以上、人や物、世界自体が1秒も前に進まない。故にメラーフの体感時間で10年間時間を止めていたとしても、止められている舞那達は止められていることにすら気付かず、時間が動き出すと同時にまた時間を刻み始める。
「それじゃ、"次の私達"によろしくね」
「ああ、楽しみにしておこう」
緤那と文乃はモノリスが放つ光の中に消え、虹色のモノリスもその場から消え去った。
(……さて、待っている間にこちらも準備を進めておくか)
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