#10 復活の紺碧
その日、ホテルに泊まっている文乃は髪を切った。
子供の頃から変えていない髪型。変えていない長さ。
緤那に綺麗だと言って貰えた濃藍色の髪を、自らの手で切った。
仲間達を殺し、世界を壊した自身への禊、という訳では無い。仮に禊であったとすれば、髪を切ったくらいでは償えない。
これは言わば、覚悟の表れ。
髪は女性の命、同時に、人が生きた時間。
髪は時間と共に伸びていく。髪が伸びれば、それだけ生きれたということ。それだけの時間を過ごせたということ。それだけの思い出があるということ。
衛生的な観念から、人は断髪する。それは仕方の無いことである。しかし流れる時間の中で多くの出来事を経験して伸びた髪が、ハサミで切られて落ちていく様は、何とも虚しいものである。
文乃にとって、今の髪は大切なもの。緤那に好かれ、自分でも気に入っている。
しかしこの髪が見てきた記憶では、緤那は死に、文乃自身は発狂。最悪な時間の中で伸びた髪である。
この髪を切ることは、元居た世界での自分を断ち切ること。緤那への未練と絶望しか無かった自分を断ち切り、新たな自分と向き合うための言わば儀式。
「緤那さんが見たら何て言うんだろ……」
長かった髪はすっかり短くなり、幼少期以来のボブヘアになった。
床に落ちた髪を見つめ、文乃は暗い顔を見せる。ずっと維持してきたものを断ち切るといのは、やはり辛いものである。
「緤那のことだから、きっと可愛いって言ってくれるよ」
「……だと嬉しいな。セトはどう思う? この髪型」
「いいと思うよ。寧ろこっちの方が似合ってるかも」
「……よかった。変じゃなくて」
長かった髪が無くなり、毛先が項に当たる。変な感じがして落ち着かない。しかし髪を切ったことで、長い髪がいかに戦いに不向きであるかを知った。
「……緤那さん……いつになったら、私に会いに来てくれるんですか?」
雲ひとつ無い青空を眺め、文乃は呟いた。
◇◇◇
「んん……」
窓をすり抜ける陽の光を浴び、カナンは白いベッドの上で目覚める。
カナンは冬休み中の学校に侵入し、保健室のベッドを借りて寝ていた。薬品の香り漂う室内だが、その匂いには慣れているため最早何とも思わなかった。
「おはよう。今日の調子はどう?」
壁に凭れたアランが朝の挨拶をし、カナンはいつも通りそれに応えた。
「悪くは無い、かな。今日こそは、少しでもこの世界の破壊を進めないと……」
「無理はしないで。どうせ私達の邪魔できる奴なんて居ないんだから。それに万全なコンディションだったとしても、"あの力"は負担が大きすぎる」
「なら、できることからやっていく。私がまだ元気なうちに、できることを全部……」
カナンはベッドからの重力に逆らい起き上がる。調子は悪くない、とは言ったものの、起き上がった瞬間に頭にズキズキとした痛みが走った。
「今日は何をする?」
「この世界のプレイヤーを殺す。全員は無理でも、殺せるだけ殺す。それで、昨日会った自称神が手を打つ前に駒を無くす」
「……この世界に一体何人プレイヤーが居るのかは分からないけど、探すのは大変じゃない?」
「……私達の居た世界ではプレイヤーは惹かれ合う。そんな世界の延長線上にあるこの世界も、きっとプレイヤー同士が惹かれ合う。なら、寧ろ探す気無くても私はプレイヤーと出会う。それに私達が出会わないと、この
この世界は、プレイヤー同士が必ず出会うように作られている。カナン曰く、出会いたくなくても出会う。理由は単純、出会わなければ話は停滞する。話を進行させるには、
「さ、行こうかな」
カナンはベッドから下り、学校から出ていった。
◇◇◇
「……まさか、君は既に記憶を取り戻していたとはね」
聞き覚えのある声に名を呼ばれたメラーフは、声の主に直接会いに行った。
声の主はかつてのプレイヤーにして、神"エプラル"の生まれ変わりである瑠花。瑠花は前の戦いで死亡し、舞那が世界を書き換えた際に記憶を上書きされた。しかしプレイヤー達が同時に悪夢を見た日、上書きされたはずの戦いの記憶が蘇った。
「私も驚いてる。けど、蘇るはずのない記憶が蘇るってことは、それなりの理由があるんじゃない?」
「流石に鋭いね。とは言え、君達の記憶が戻りつつある理由に関しては、まだ現時点では仮説の域を出ていない。それでも聞きたいかい?」
「聞かせて。できる限り分かりやすくね」
2人が居るのは瑠花の家。そして家族は外出中。即ち瑠花とメラーフの会話を聞ける者は居ない。故にメラーフは時間を止めることなく、動き流れる時間の中で会話を進めた。
「先日、平行世界からの来訪者が現れた。その来訪者はプロキシーを宿した、言わばかつての君達に限りなく近い存在だ。プロキシーは消えたはずだが、外部から入り込んだプロキシーの力に、かつてプロキシーの力を宿していた君達が感応。結果、力を宿していた頃の記憶が戻った……と、僕は考えている」
プレイヤー達が悪夢を見たのと、カナンがこの世界に来訪したのは、ほぼ同じタイミング。故の仮説である。
そしてその仮説を聞き終えると同時に、瑠花はメラーフが伝えたいことをある程度察した。
「つまり、この世界に影響を及ぼす異物が現れたと……なら私達のやることは1つ。その異物をぶっ潰す」
「そう言ってくれると思っていた。しかし、相手の力は未知数。下手に挑めば死ぬ」
「ヤバいと思ったら時間止めてどうにかするよ。それに、私は1回死んだ。同じ轍は踏まない。死んじゃったら今の楽しい生活が台無しになるから」
「……君も丸くなったな。前の君もカナン同様、世界を壊そうとしていたのに」
「忘れてよ、そんなこと。今の私は前の私じゃないんだから。それに今は、舞那が変えてくれたこの世界が気に入ってるんだから」
若干不機嫌そうな顔をした瑠花だが、歪んでいた性格が良い方向に傾いたことはメラーフにとって喜ばしい出来事だった。
「メラーフ、時間止めて異物のとこまで案内して。仮に殺せなくとも、できる限り情報を得て次の戦いに活かす」
「いいだろう……が、どうやら異物の近くに僕の仲間が居る。2人で戦ってもらおう」
「仲間?」
◇◇◇
「……クロノス、これは一体何?」
目の前で起きた異様な光景に、街を歩いていた文乃は静かに驚愕した。
(時間が止まってるね……誰が止めたかは分からないけど)
「止ま……何か案外あっさり言ったけど、結構異常だよ?」
(私は時間の神様だよ? 時間が止められてることくらい見れば分かる。分かる……けど、何で私達だけは動いてるんだろう)
「僕の力のおかげだよ」
「っ! って、どこから湧いたの……」
文乃の背後にメラーフが音もなく現れた。
「驚かせてすまない。が、できる限り早く物事を進めたいから簡潔に話す。綺羅文乃、今君の後方にいる少女……彼女が例の少女、カナンだ」
「えぇ!?」
文乃は振り返り、つい先程まで見ていた景色を見た。その景色の中に少女が1人。カナンである。それがカナンであることは、文乃もクロノスも言われるまで気付かなかった。
対するカナンは文乃を凝視。恐らくカナンは文乃がプレイヤーであることに気付いている。
「綺羅文乃、今からカナンと戦ってもらう。無論、危険を感じれば僕が時間を止め、止められた時間の中で君を避難させる」
「戦うって……私1人で?」
「いや、2人だ」
メラーフは横にずれ、後方で待機していた瑠花と対面させる。
「彼女は羽黒瑠花。僕が信用しているプレイヤーの1人だ」
「紹介はいい。さっさと始めよう」
「……という訳で、頼むよ」
「えー……」
メラーフはその場から消え、時間は再び動き始めた。
「文乃、って言ったよね」
「え、う、うん……」
「足引っ張ったら殺すから」
瑠花から放たれる紛れもない殺意に、文乃は思わず後退る。
そんな文乃をよそに、瑠花は右手で握っていた3つのアクセサリーを見つめた。
(久しぶりの戦い……ゾクゾクする……!)
瑠花は青のアクセサリーを盾に、黄のアクセサリーを銃に、赤のアクセサリーを刀に変え装備。そして大きく息を吸い、
「変身!」
かつて舞那達と敵対した、翼の生えた姿に変身した。
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