#8 ココア色の再会

 ――プロキシーに食べられるのは嫌だけど、心葵なら嫌じゃない。それとも、心葵は私じゃ嫌?


 ――そういう訳じゃ……でも、舞那を傷つけてまでお腹を満たそうとは思えない。


 ――前にも言ったでしょ。私の好きな人は心葵。好きな人に食べられるなら……それで心葵が満たされるのなら、私は満足。


 ――でも……絶対痛いよ。


 ――大丈夫。心葵だったら、私は痛みを感じないから。ほら、食べて。








「っ!!」


 汗をかき、息は荒れ、涙が流れていた。

 最悪な夢。最悪な目覚め。

 なぜ人を食べる夢を見たのかは分からない。それも、食べたのは愛する舞那の左腕。

 確かに前日に「味わう」とは言ったが、あくまでも比喩表現であり、本当に食べようとはしていないし思ってもない。


(舞那……)


 時刻は深夜3時過ぎ。舞那も千夏も寝息を立てている。


(怖いよ……舞那……)


 隣で眠る舞那に抱きつく。またあの夢を見るのではないのか、そう考えただけで心葵は恐怖し、身体は震えた。


「……心葵さん、大丈夫ですか?」

「っ! ごめん、起こした?」

「いえ、ちょっと嫌な夢を見て……眠れないんです」


 心葵が目を覚ますよりも先に、千夏も悪夢に苛まれていたため目を覚ましていた。その結果睡魔が消え、寝付けていない。


「千夏も怖い夢?」

「はい……すごく、怖かったです」

「……何かあったかいものでも飲む? そうすれば気分も落ち着くかも」

「……そうですね。舞那さんは……このまま寝させてあげましょう」






 リビングに移動した心葵と千夏は、ホットココアを飲んでいた。


「こうして2人だけで居るのって、なんだか久しぶりですね」

「そういや……舞那と会ってからはずっと3人だもんね」


 舞那が書き変えた世界では、3人の出会い方が本来の歴史と異なる。

 現在の時間軸では、千夏との戦闘による負傷ではなく、交通事故という形で龍華は入院。そして偶然にも隣の病床に居た舞那と意気投合し、仲を深めていった……ということになっている。


「まさか、隣の病床で寝てた名前も知らない子に、私達2人が同時に惹かれるなんてね」

「でも私達2人の間に競争心なんて生まれず、2人同時に愛するってことで意気投合しました。やっぱり私達は愛し合うんですね」



 ――本当に?



「……病院、だよね。病院で会ったんだよね……?」



 ――確かに舞那と恋人になったのは病院。けど、出会ったのは病院だった?



「……あれ……?」

「心葵……さん?」



 ――違う。出会ったのは病院じゃない。それに、なんで入院したのかも覚えてない。



「私は……千夏は……舞那は……?」



 ――そろそろ思い出したら? 今の記憶はあんたの記憶じゃない。



「違う……」

「え?」

「違う、違う、違う! 私と舞那は病院で出会ったんじゃない……もっと前、もっと違う場所だった……!」


 心葵の脳内にる舞那との記憶は、火に炙られた写真のように徐々に色が失われ、偽りの記憶の隙間から真実の記憶が覗く。

 出会いは廃工場や廃屋が建ち並ぶ閑静な場所。初対面の舞那を殺そうとしていた。

 プロキシーへと変貌した千夏を殺した後、戦闘による負傷で入院。

 入院中、心葵は舞那と心を通わせ、千夏を失ったことで空いた穴を埋めた。

 舞那と恋人になり、千夏と居た時と同じくらいの幸せを感じた。

 戦いの中で心葵はプロキシーの力を手に入れ、翼を手に入れた。

 翼を手に入れた代わりに体質もプロキシーへと変化し、人間に対する食欲を抱いた。直後、心葵は舞那の左腕の一部を食べた。

 瑠花との戦いの際、心葵は舞那を守る盾になり、死んだ。



 ――やっと思い出した?



「思い、出した……全部……なにも、かも……」


 頭痛は無い。吐き気も無い。ただ涙だけが溢れ出る。

 舞那が世界を変えたのは知っている。なぜなら、世界が1度終わる瞬間を千夏と一緒に見ていたから。

 もう思い出すはずのない記憶。思い出さないはずだった。しかし心葵は思い出した。

 舞那と殺しあったことも、千夏を殺したことも、舞那の腕の肉を喰ったことも、自らが死んだことも。


「だ、大丈夫ですか?」


 心配して近寄る千夏。しかし心葵は千夏の心配をよそに、押し殺せない感情に身を任せて千夏に抱きつきた。突然の出来事に反応しきれなかった千夏は転倒し、期せずして押し倒されたことで「つい数時間前に交合ったのにまたさかっているのか」と勘違いした。


「心葵さん……?」

「千夏……生きてる……私達生きてるよ!」


 死んだ時の感覚は未だに覚えている。覚えているからこそ、今生きていることがとてつもなく嬉しかった。

 あの日死んだはずの自分達が生きている。今この場所に居る。舞那と恋人でいられている。恐らく、今ほどの幸せを味わったのは人生初であろう。


「そうだ……舞那!」

「えぁ、ちょ、心葵さん!?」


 心葵は千夏を離し、思い出したかのようにリビングから立ち去る。終始よく分からなかった心葵の行動に混乱していた千夏は、去りゆく心葵の背中を見ながら呆然としていた。






「舞那! 起きて舞那!」


 舞那の深い眠りは、心葵の呼び声により妨げられた。


「ん〜……心葵? どうし……」

「思い出したの……前の世界のこと!」

「前の世界……前の世界!?」


 寝起きであったため反応が遅れた。しかし驚愕のあまり舞那の充血した目は見開き、眠気は一瞬にして吹き飛んだ。


「舞那も覚えてるんでしょ? 前の世界のこと」

「……覚えてる。けど、どうして思い出せたの?」

「声が聞こえたの。私の中の、私の声。舞那と戦って、舞那と一緒に戦って、舞那と愛し合った私の声。私の中の私が、忘れちゃいけない記憶を取り戻させてくれたの」


 舞那と出会い、戦いの中で共に生きた記憶。それは心葵にとっては大切な記憶であり、忘れたくはない記憶。

 昨日龍華と、近々プレイヤー達の記憶が戻るかもしれないという話をした。その話をした矢先に心葵が記憶を取り戻した。


「やっと、やっと"私"として、舞那と再会できた……」

「……もし心葵が望むなら、前の記憶を消すことだってできるよ?」

「嫌……この記憶はもう消したくない。だってこれが、この記憶を持ったのが本当の私だから。舞那が愛してくれた、私だから……」


 記憶を取り戻し、本当の自分になってから初めてのキス。突然のキスを舞那は拒まず、絡んでくる舌と共に優しく受け入れた。


「ココアの味……私に内緒で飲んでたの?」

「だって寝てたもん……飲む?」

「……飲む」


 ファーストキスはレモン味とはよく言うが、舞那と心葵のファーストキスは何の味もしなかった。

 しかし記憶を取り戻し、本当の心葵として再会したことを記念してのキスは、レモン味ではなくココア味だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る