#72 Cross border

「嘘……緤那……! 文乃ちゃん!!」


 モノリス、カナンと共に消えた緤那と文乃。もしもカナンの言っていたことが全て事実で、あのモノリスが平行世界へと繋がるゲートであるのならば、緤那と文乃はここではない別の世界に飛ばされたのだと推測される。後を追うにも、平行世界への行き方も分からなければ、幾つも存在する平行世界の中から緤那と文乃がいる1つの世界を探し出すのも困難。


「…………」


 絶望。エリザは地に膝をつき、つい先程までモノリスがあった場所を見つめる。






「彼女達を救いたい?」


 エリザの肩に手を置きながら、何者かが問う。聞き覚えの無い声であったため、エリザは若干警戒しつつ後ろを振り向いた。


「え、誰?」


 膝まであるだろう黄色の髪。ベルよりも色濃い黄色の瞳。胸元が大きくはだけた灰色のセーターとオーバーニーソックス。常人なら外を出歩くのを躊躇うような服装故、この人物がプロキシー、或いはプレイヤーであるということは分かった。しかしカナン曰く、プレイヤーもプロキシーもこの場に居る者が全て。もう居ないはずである。


「エリザ、君と会うのは初めてだけど、君の中に宿るアイリスは私のことを知ってる。とは言えアイリスも、後ろで見てる子達も、私達の会話は聞こえてないから、私の方から自己紹介しよう。私はクピド、かつてセーラに殺された原初の神の1人だ」

「クピド……え!? なんで生きてるの!?」


 クピドは死んだ。エリザだけでなく、緤那達も知っていることである。しかし目の前の女性はクピドと名乗った。かつてアイリスから聞いていたクピドのイメージと一致していたため、目の前にいる女性がクピド本人であることは疑わなかった。


「生きてはないよ。セーラに殺された後、魂だけをこの世界に残したの。だから私が存在していることは殺した本人のセーラも、フォルトゥーナもゾ=カラールも知らない。けど今、私はようやく役目を果たせる」

「……役目?」

「そう。魂だけになっても私は神。けど魂だけじゃ戦うことも何もできない。そんな私も、やるべきことを見つけた。それはさっきの子達を助けること。元はと言えば私が人間に悪意を植え付けたが故に起こってしまった戦い……彼女達を助けただけでは罪滅ぼしにもならないけど、せめて君達が大切に思う2人を、そして……海影カナンを助けたい」

「カナンを?」

「カナンはこの世界の理に触れた。けど触れる前は普通の女の子だった。名前さえ無いはずの存在とは言ってても、少なくとも私はカナンが生きてきたことを知ってる。この物語では語られるはずが無い、誰にも見られない、名前すら明かされないモブだとしても、カナンはこの世界で確かに生きている。それに……いや、とにかく私は3人を助けたい。この世界に連れ戻し、この世界で生きてもらいたい」


 カナンがどんな人生を歩み、どんな思いを胸に秘めているのかをクピドは知っている。知っているからこそ、カナンを殺すのではなく救おうとしている。


「でも……どうやって連れ戻すの?」

「簡単だよ。アランはカナンという最高の器を得たから神格化して、神に等しい力を得たから世界の壁を越えられた。だからエリザも私と融合すれば、カナン同様世界の壁を越えられる」

「そんなことできるの!?」

「できるよ。アランはカナンと出会えたから神格化したけど、私は生まれながらに神。仮にエリザ以外の誰かと融合しても神であることは変わらない」


 平行世界へと向かう、即ち世界の壁を越えるのは、プロキシーであるアランには不可能。カナンという、全人類の中で最もアランと相性の良い人間と融合することで、初めてアランは世界の壁を超える言わば神に等しい力を得た。

 対してクピドは、アランとは違いそもそも神。特別相性の良い人間を見つけ出したとしても、引き出せる力に差はない。なぜなら、クピド自体の力が強すぎるが故、人間ではその力の振れ幅を動かすことなどできない。


「……なら、なんで私なの?」

「……幾つもある平行世界は、その世界の主人公というものが決まってる。例えばこの世界から分岐したティアマトが生きた世界、その世界の主人公は緤那。逆にクロノスが生きた世界、その世界の主人公は文乃。そしてこの世界の主人公はエリザ。同時に、エリザはこの世界でしかプレイヤーになっていない言わばイレギュラー、全ての平行世界の中で唯一の存在、即ち特異点。故に特異点と化したカナンと同等になれるのは、同じく特異点のエリザだけ……それに、エリザは特異点になるべく生まれたような存在だしね」

「私が?」


 肉体を失い、魂だけの存在となったクピドは、創造者に最も近い立場の人間として、今自分が存在している世界以外の世界、所謂平行世界の知識もある程度は身につけた。その中でクピドは、どの平行世界を見てもエリザがプレイヤーになった世界は見つからなかった。ある世界ではそもそも日本に来ておらず、ある世界では戦いが起きる前に死亡しており、ある世界ではアイリスと引き合わず、またある世界では戦い自体が起きていなかった。

 即ち、プレイヤーとして存在しているエリザは、数ある世界の中でもこの世界のみ。緤那達は戦いの起こった世界では、宿したプロキシーこそ違えど必ずプレイヤーになった。しかしエリザと、同じく例外の存在であるカナンだけは、緤那達とは違っている。


「アイリスは特異すぎるその力故、人間と同調するのは不可能だった。しかしエリザ、君はそんなアイリスの力を受け入れた。黒井唯のように言うと、アイリスの花言葉は希望。言わば君は希望を宿した存在、この世界いや、全ての平行世界の希望なんだよ」


 希望。そう言われた時、エリザの心臓は強く脈打った。

 プレッシャーではない。自らが世界を救える存在であると知り、心の底から高揚したのだ。


「不自然に思ったことはないかい? 物事の進みが早いと。これまでの戦いは全て、君に捧げる言わば供物。一刻も早く、君にこの世界の全ての力を受け継いで欲しかった」

「この世界の全ての力……けど、私は触れた相手の力しか……」

「心配しなくていい。この世界の記憶は私自身。私を受け入れることで、アイリスの中にこの世界の記憶が受け継がれる。そうすればエリザもこの世界に存在した全てのプロキシーの能力……いや、プレイヤーのスキル、アクセサリーだって使える」

「……なら、私はあなたを受け入れる。だからお願い、私に戦う力を頂戴!」


 エリザの意思に感応し、クピドは微笑んだ。


「私がエリザと融合すれば、私自身は消える。だから継承して、私の記憶を……私の愛を」







 まるで、止まっていた時間が急に動き出したかのように、唯達の声がエリザの耳に入ってきた。

 エリザは自らの手のひらを見つめ、強く手を握りしめた後に立ち上がる。


「……みんな、私……2人を迎えに行く」

「「「!?」」」


 緤那達を追える術が無く絶望していた唯達は、エリザの一言で一斉に顔を上げた。


「さっき、みんなの知らない時に、私の中にクピドの力が宿った。この力を使えば、世界の壁を越えられる。アランにだって勝てる」

「クピド? でもクピドは死んだはずじゃ……」

「その辺に関してはまた追々……時間が無いから、私は今すぐここをつ……変身!」


 空色のライティクルと帯を模した黄色いライティクルがエリザの身体を包み、一瞬でエリザの姿を変えた。

 空色1色だった髪には黄色のメッシュが入り、瞳も黄色くなった。そして白と水色のワンピースも変化し、新たに黄色のキトンと空色のヒマティオンを纏った。その姿はさながら、神話に登場する神。奇抜な服装をしていた原初の神やプロキシーに比べ、誰よりも人々がイメージするであろう神の姿に近付いた。


「エリザちゃん……まさか、私とか光ちゃんみたいに進化したの?」

「ううん……これは進化じゃない、継承。クピドの力を、心を、意志を、愛を受け継いだ姿」


 クロノスの力で進化したアウェイクニング・プロキシーでも、ティアマトの力で進化したアメイジング・プロキシーでもない。クピドの魂を継承した新たなプロキシー、言わば"アイリス・インハリット"。神格化した、新たなアイリスの力であり、エリザの新たな姿。

 エリザは唯の質問に答えながら、地に横たわる光に歩み寄る。


「光、行ってくるね……」


 光の額に静かにキスをした。別れのキスではない、再会を誓うキス。


「待ってて。必ず、みんな一緒で帰ってくるから!」


 エリザの目の前に、再び音もなくモノリスが現れた。突然すぎる展開に困惑する唯達に背を向け、エリザはモノリスに触れる。


「文乃、緤那、待ってて……!」


 7色の光が放たれ、エリザは光の中に溶け、そのままその場から姿を消した。




       第2章 [完]

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