#70 Singularity
樹里は花屋を経営するため高校進学を諦めた。故に高校の制服を着ることは無かった。そんな樹里が出会ったのが、ブレザーを纏ったベルだった。そして知った。戦うためにベルと融合すれば、ブレザーを着られると。世界に1着しかない特別なブレザーを着られると。
しかし、樹里は戦いを恐れた。戦うことは命を捨てること。即ち、死ぬこと。まだやりたいことは山ほどある。故に戦わなかった。故にベルのブレザーを着れなかった。
(ブレザー……着るのはこれが最初で最後、悔いの残らない結果を残したい。ベル、私……やれるよね?)
(やれるよ。ここ来る前にも言ったけど、樹里は吹雪や唯よりも強いんだから)
(……そうだった)
樹里は盾に黄色のライティクルを集約させ、対面するセルカは日本刀を模したアクセサリーを取り出し構える。
「5分、経ってないけど大丈夫?」
「うん。そっちこそ、今の5分間で死ぬ覚悟はできた?」
「……生憎、私死なないから。そんな覚悟する必要ない。そっちこそ覚悟しておいた方がいいんじゃない? 言っとくけど私は本気で行く……一瞬で終わらせるから」
セルカの発言を鼻で笑う樹里は「ならやってみなよ」と一言発し、挑発に乗ったセルカは樹里に向かい走り、樹里の首をはね落とすが如く日本刀を振り上げた。セルカのスピードは並のプロキシー以上であるが故か、樹里は避ける動きを取らず、刃を目で捉えてすらいなかった。
「……っ!?」
刃は確実に樹里の首を捉えていた。確実に殺せる軌道だった。確かにアクセサリーを握っていた。しかしセルカはアクセサリーを握っていない……否、それ以前に身体の感覚が無いことに気付いた。そして先程まで視界に居たはずの樹里達の姿が見えず、何者かがセルカの頭を掴んでいることに気付いた。
「一瞬で終わったのは私じゃない……あなたの方だった」
「っ!? っ!?」
目をいくら動かしても自らの身体が見えない。背後から樹里の声が聞こえる。まるで宙に浮いているように身体の感覚が無い。
それもそのはず、セルカの頭は身体から分離している。そして分離した頭は樹里に掴まれ、樹里達に後頭部を向けている。
「い、一体何を……」
「……プレイヤーは、プロキシーが持つ能力を応用したスキルを使える。だから本当は私のスキルも、細胞をどうにかするものになる筈だった。けど、私のスキルは細胞の活性化を超えた先にある、人を超えたとこにまで達してた」
「っ? 人を、超えた?」
「私のスキルは、自分自身の身体能力を極限まで高めることで、動きを凄く速くできる。速すぎて、時間が止まってるように見える程にね」
樹里のスキルは異質だった。自らの細胞を極限まで活性化させることで、身体ごと意識を加速させる……と樹里は解釈しているが、実際のところ原理は樹里もベルも分かっていない。
これは唯達も知らないことだが、樹里とベルの同調率は、並以上の同調率を誇る緤那達よりも高い。故にライティクルを集約させてから、スキルや能力を発動させられるまでのタイムラグが殆ど無い。加えて、これ以外にも同調率が高いが故の状態異常がある。
融合時、プレイヤーの身体能力は上昇している。プロキシーと融合することで、融合したプロキシーとほぼ同じスペックになれる。言わば人間を超えた身体能力になる。しかし樹里の場合は、樹里自身の身体能力にベルの身体能力を上乗せしている。即ち、他のプレイヤーは「プロキシーのスペック」だが、樹里は「プレイヤー+プロキシーのスペック」であるため、融合時のスペックは人1人分他のプレイヤーよりも高い。
同調率が高いだけで、他のプレイヤーとは差が出る。故に、身体能力以外の部分でも差が生まれる可能性がある。それが樹里のスキルである。もしも同調率が並であれば、恐らくは細胞の能力を応用したスキルを持っていたのだろう。
樹里は最早、緤那達の知るプレイヤーとプロキシーの関係では収まらないのかもしれない。或いは、2者の関係の中に生まれた新たな可能性、或いはシンクロニシティの引き金となる特異点の誕生であろう。
「あなたの攻撃は結構速かった。けど、何十分の一になった時間の中では止まっているも同然。だから首の細胞を衰弱させて、身体から引きちぎるのも簡単だった」
「ぐっ……でも私は死なない! すぐに元通りになってあんたに反撃を」
「ねえ知ってる? 不死の力には唯一の弱点があるんだよ。え、なぜ知ってるかって? そりゃあ……元の持ち主のシャヌティに聞いたからね」
セルカの言葉を遮った樹里、もといベルは、セルカさえも知らない不死の弱点について語り始めた。
「不死の力を使えば、確かに地獄の業火に焼かれても、血の海で溺れても、亡者は何度も生き返る。けどあくまでもそれは、シャヌティの力以前にゾ=カラールの力のお陰なんだよ」
シャヌティはかつて地獄の管理をしていた。しかし、シャヌティが生まれる前から地獄は存在し、シャヌティがその力を使うよりも前に、地獄の管理者ゾ=カラールは「業により死した亡者は蘇生する」という地獄のシステムを既に作っていた。
「ゾ=カラールの持つ"魂を束縛する鎖"……あの鎖に束縛されてる以上、シャヌティが居なくても亡者は死んでも死んでも生き返る。けどゾ=カラールの負担を和らげるために、シャヌティは力を使って地獄の管理をしてた」
ゾ=カラールは、プロキシーで言うところの能力を所有している。名称、という程でもないが、ゾ=カラールはその力を"魂を束縛する鎖"と呼んでいた。
地獄に落とされるべき人間が死亡した際、ゾ=カラールの鎖はその人間の死体に刺さり、魂を引き抜く。引き抜いた魂はそのまま地獄にまで引っ張られ、地獄の亡者となる。魂を捕らえ引き抜くその鎖は、言わば地獄行きを命ずる閻魔大王の鉄槌。
ゾ=カラールの鎖に束縛されている以上、亡者は地獄から出ることはできない。亡者が受けるべく業を全て受け、転生か天国行きが決まるまで、鎖は絶対に切れない。そして死ぬこともできず、例えシュレッダーに掛けられた挙句細かい微塵切りにされたとしても、鎖に束縛されている間は何度だって生き返る。無論、生き返るとは言え既に現世で死んでいるのだが。
シャヌティが居なくとも、地獄の鎖がある以上は亡者は死ねない。しかし元々プロキシーは、管理を分担するために作られた存在。暫く亡者の生死の管理はシャヌティがしていた。
「そうそう、弱点なんだけど……確かに亡者に使えばどうやったって死なない。けど私達は亡者じゃない。加えて、プロキシーだって脳が無ければ身体は動かない。即ち……脳が無くなれば不死の力なんて意味ないんだよね」
樹里は盾にライティクルを集約させ、能力"細胞"を発動。
「シャヌティに聞いておくんだったね、本当に死なないのかって……」
「い、嫌……死にたく」
「死にたくない……って? プロキシーを沢山殺してきて、挙句光ちゃんを傷付けたあんたに、命乞いする権利なんて無い。だからさぁ……せめて今までの行いを悔いながら死になさい」
細胞の応用、衰弱。触れているプロキシー、或いは人間の細胞を衰弱させ、壊死させる。既にセルカの首は壊死しており、現在は脳内からの壊死が進んでいる。その様子はとても女子高生には見せられないようなものであるため、樹里は自らの身体でセルカの頭部を隠し、緤那達に死んでいく頭部を見せないようにしていた。
そして経つこと40秒。セルカの頭部は頭蓋骨すら残さず壊死し、切り離され既に動かなくなっていたセルカの身体も消滅が始まった。
この瞬間、最後の未覚醒プロキシーであり、且つ唯一人間に寄生していないプロキシーであるセルカは死亡。
「さあカナン、始まりの時だよ」
「うん……始めよう、アラン」
セルカが死んだことで、プレイヤー"カナン"と、プロキシー"アラン"の計画が始まった。
カナンとアラン、2人の未来へと繋がる、誰も予想できなかった戦い。
神々の力が交差する、聖戦の火蓋は切られた。
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