#58 Reliance
(嗚呼……全然集中できない……)
チョークが黒板に文字を書く音と、淡々と授業を進める教師の声は聞こえている。しかしその内容は全く入ってきていない。言うなれば、耳から入り脳を経由した後に耳から出ていっている。
校内では優等生として扱われている愛歌は、いつも授業を真面目に受け、教師達からも一目置かれている。そんな愛歌が授業に集中できていなければ、殆どの場合で教師は気付く。そして気付いた上で指摘はせず、敢えて愛歌の思考を邪魔しないようにしている。ただ、愛歌は教師達の気遣いに気付いていない。
(焔に会いたい……会って話して、このモヤモヤをどうにか解消したい……)
一体なぜこんな気持ちなのかが分からない。文乃には恋人がいると打ち明け、互いにスッキリさせたはず。にも関わらず、未だに心はモヤモヤしている。
しかし焔と会えば気持ちが入れ替わるかもしれない。きっと入れ替わる。そうに違いない。そう自分に言い聞かせることで、愛歌は何とか意識を保てている。
(早く授業終わればいいのに……)
後数十秒で授業は終わる。とは言えこの授業が終わっても、まだ昼にすらなっていない。焔と会うには後数時間は残っている。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、休み時間に入る。直後に愛歌はスマートフォンを取り出し、焔へとメッセージを送った。
『今日の放課後、空いてる?』
『寂しい……会いたい』
寂しい。それはただの単語ではなく、愛歌と焔の間で使われる一種の暗号のようなものである。
その言葉に秘められたメッセージは、「セックスがしたい」。仮に何かの拍子に緤那や文乃にトーク画面を見られても、ストレートに「おいセックスしようぜ!!」と書いていなければ愛歌と焔の関係が気付かれる可能性は下がる。むしろストレートに書いていた方が「馬鹿らしい冗談」として捉えられる可能性もあるのだろうが。
(……返信、来ない……)
焔から返信が来ない。と、愛歌は少し不安になり始める。もしかしたら嫌だったかもしれない。もしかしたらもう別れると言われるかもしれない。寧ろもう愛想つかされてスルーされているのかもしれない。考える程、愛歌の不安は大きくなっていった。
とは言え、メッセージを送ってからまだ1分も経っていない。それでも今の愛歌にとっては長時間の既読スルーとして扱われている。もしかしたら、愛歌は少し病んでいるのかもしれない。
(早くしたいのに、早く会いたいのに、なんでまだ返信してくれないの……?)
1分が経過し、愛歌の我慢が限界に近付いた頃、ようやく焔からの返信が送られてきた。
『いいよ。どうせ夜まで家には私1人だし、ウチ来る?』
『行く行く絶対に行く!』
返信が来て約6秒。愛歌は焔へ返信した。
(うへ、うへへへ……)
気持ち悪さと卑猥さを混ぜ合わせたようなだらしない顔になった愛歌だが、その脳内は焔と会えることの喜びで溢れていた。
◇◇◇
放課後。
「焔、この後予定ある?」
「ごめーん。愛歌と2人っきりで熱く濃厚なラブラブタイム過ごしに行ってくる」
「要するに愛歌と遊びに行くと。じゃあ私は文乃と遊びに……じゃなかった、熱く濃厚なラブラブタイムを過ごすとしますか」
緤那はスマートフォンを取り出し、文乃に電話をかける。
「もしもし文乃? 今日予定ある?」
『いえ。緤那さんに呼ばれる気がしたので予定空けておきました。今日はどこ行きます? いっそ私が奢りますからホテルにでも行きます?』
「未成年ってホテル入れないんじゃない? いや、今日は……」
『色彩戦争の新刊発売日だからアニマートに行きたい……ですよね?』
「……だから予定空けてたの?」
『あ、バレました?』
ニヤニヤしながら緤那と文乃の電話越しの会話を眺める焔に気付き、緤那は早々と通話を終わらせた。
「じゃあ今からそっち行くから待ってて。うん、それじゃ」
「んふふ~……相変わらず仲睦まじいですなぁ~」
「うるさい。そんじゃ私行くわ」
「うん、それじゃ」
2人は教室前で別れ、緤那は文乃のクラスへ、焔は愛歌のクラスへと向かった。
◇◇◇
愛歌と焔は電車に乗り、焔の家の最寄り駅で下りる。その後は路上で多少イチャつきつつ焔の家に向かい、15分ほど歩いた後に家に到着する。
「んっ……愛歌、随分溜まってるみたいね」
愛歌の愛撫と舌技がいつもより巧みであることから、愛歌が欲求不満であったことを察した焔。
愛歌は焔の言葉に返答や応答をすることなく焔の身体を愛撫し、自らの欲に身を任せる。焔も愛歌の愛撫を嫌がることなく、寧ろ喜んで受け入れている。ただ、焔には一つだけ不満があった。
「私だけ脱がされてるのに……愛歌は脱がないの?」
「あ……ごめん、私ばっか楽しんで……すぐ脱ぐから待ってて」
愛歌が制服のボタン付近に手をやった直後、焔は愛歌の腕を掴み止めた。遠回しに脱げと言った本人が、なぜ脱がせるのを止めさせたのか。愛歌は呆然とした表情で焔を見るが、頬をふくらませた焔を見て愛歌は察した。
「やっぱ、焔に脱がせて貰おうかな……」
「よく気付いたね、私が脱がせたいと思ってること」
「顔に出てたよ。それに、たまには脱がされる側もいいかなって」
愛歌と焔は自分達の思考と会話に失笑した。決して馬鹿馬鹿しいと思った訳では無い。ただ、なぜか会話を思い返せば笑えてきたらしい。
笑顔になった焔はそのまま愛歌の制服のボタンに手をかけ、上から一つ一つ丁寧に外していった。
そして最後のボタンを外した時、それは起こった。
「っ!!」
突如愛歌の視界は歪み、視界から徐々に色が消えていく。その光景は異常なまでに気持ち悪く、愛歌は貧血や熱中症、或いは二日酔いに近い感覚に陥った。
頭と身体が揺れ、四肢の感覚が失われていく。そして四肢だけでなく五感すらも奪われ、最終的には考えることしかできなくなった。
「愛歌!? 大丈夫!?」
何か愛歌の身に異常が起きている。それは見て明らかだった。ただそれが何かを特定するには至らない。そう思われた。
しかし焔と、焔の中に宿るサーティアの脳内に、三人称視点の焔と愛歌の姿がイメージされた。そして理解した。愛歌の身に起きた異常の正体を。
「プロキシー……!」
そう。愛歌はたった今、プロキシーの拠り所となった。
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