#48 Nothing

 アニメショップみもざから退店した光は気分転換も兼ね、かなり遠回りをして家に帰ろうとしていた。

 いつもと違う道。いつもと違う景色。道に迷う可能性があるにも関わらず、光はマップを見ない。


(どう? ちょっとは気晴らしになった?)

(ちょっとはね……けどやっぱり、気になってはいる。こんなに他人ひとのこと考えたの初めてや……)


 ルーシェは光の感情を理解している。故に、光がエリザに興味を抱いていることにも気付いている。

 そして、かつてクピドと共に人と人が育む愛について語っていたルーシェは、光がエリザに対して抱いている感情が恋心に近いと気付き始めていた。

 とは言え悪意を抱き続けた光が恋心などを抱くとは考えにくく、あくまでも"近い"だけであろうと考えた。





(……こんな気分の時に出てくるとか、プロキシーって空気読めんの?)

(プロキシーからしたら人間の都合なんてどうでもいいのよ。何せ実体が無いんだし……一刻も早く身体を取り戻したいのよ)


 拠り所の声が聞こえた直後、品の注文で良くなっていた光の機嫌は少し悪くなった。


(……行かないの?)

(行くに決まってる……けど……)


 戦いに向かおうとする光の脳内に、プロキシー"ソフィ"との戦いの記憶が蘇った。

 力を手に入れたと慢心していた光の力を軽々く躱し、常に優勢を維持していたソフィ。もしあの時エリザが来なければ、光は死んでいたかもしれない。

 あの時の敗北は光の戦意を僅かながら削ぎ、戦いの場へ向かう光の足を重くした。


(……迷ってちゃ、いつまでたっても"アイツ"を超えられない!)


 光にとって、超えるべき存在であるエリザ。つい数日前まで敵視していたはずのエリザは、今や光の目標と化している。

 しかし光を1冊の本だとすれば、エリザは複数の本を収める本棚。能力とスキルというページの数も、ページを作る記憶という文字の数も、エリザには遠く及ばない。

 だからこそ追いつこうとする。ハッキリとした目標を見据えることで、光は、否、人は努力できる。


(今現れたプロキシーぶっ潰して、私達の強さを証明する!)


 光は重く感じる足で地を強く蹴り、プロキシーが現れた場所へと向かった。


 ◇◇◇


 町中に現れたプロキシー"リズ"は、地に伏せた通行人の群れの中で立ち尽くしていた。

 周囲に転がる通行人に目立つ外傷は見当たらないが、全員死んでいる。

 ただ外傷が見当たらないとは言え、あくまでも目立っていないだけであり、通行人達の胸には共通して小さな穴が空いている。

 穴からは血液が溢れている、裁縫針で刺された程度の大きさであるためすぐに止血するのだろう。


 リズの能力は"毒針"。裁縫針以上に細い針を身体から伸ばし、刺した相手の心臓内部に毒を流し込む。

 毒は血液を介して体内を巡り、血液が身体を1周する3秒程度で対象の身体機能を停止。対象は痛みを感じることなく死亡する。

 周囲に転がる死体は全て毒に犯されており、恐らく身体は死んだことに気付く前に終わっている。


「っ!!」


 リズと遭遇した光は、死体の群れを見て吐き気が込み上げた。しかし吐けば体力を消耗すると考え、光は嘔吐を堪えた。


「こんなに殺して……許さない!」


 光はアクセサリーを鎖鎌へと変化させ、


「変身!」


 鉛色のライティクルの中でルーシェと融合した。


(光、アイツはリズ。リズの出す針に刺されれば……光も地面に転がることになる)

「なるほど……結構ヤバイやつか……」


 死ぬかもしれない。

 本物の死体を見て、光は自分も死ぬのではないかと恐れた。しかし光は自分なりに恐れを振り切り、リズから放たれる毒針を回避することに集中した。


「人間に力貸しちゃったか……ルーシェ、あんたも堕ちたね」

「リズ、あなたも人間に触れれば分かる。人間は私達の考えが通用しない程面白くて、私達以上に感情を持っている。そうね……クピドに近いかな?」


 光の喉を使い話すルーシェ。自分の喉が勝手に動く感覚には慣れておらず、話し終えた直後に光は喉を手で押さえた。


「クピド、か……あんな反逆者、私は興味無い」


 リズは両手を光に向け、両腕に装着された篭手にライティクルを集約させた。


「私は私……クピドがいてもいなくても、私は多分こうして人を殺した。無論、ルーシェだって対象よ」


 リズの目の前に1本の細い針が現れ、針は光目掛けて加速、直進した。

 この針はライティクルを集約させて作られたものであり、普通の人間は見ることができない。しかし刺されれば死ぬ。リズはまだクピドが死ぬ前から、こうして時折人間を殺してきた。

 とは言えプロキシーにはこの針を視認できる。故に、プロキシーと融合した人間も針を視認できる。加えて針のスピードはそこまで速くない。

 即ち、プロキシーと融合し人間以上の身体スペックを得たプレイヤーであれば、難なく回避できる。


(遅い……所詮は人を殺すためだけの力?)


 光は横に移動することで針を回避。

 しかし回避直後にリズを睨んだ際、自身に飛んでくる針の存在に気付いた。

 リズは相手が人間ではなく、プロキシーであるとして能力を発動していた。相手がプロキシーであれば針1本で仕留められるはずがない。そこでリズは光が回避することを事前に予測し、回避すると思われる方向に追撃の針を放っていた。


(ヤバ……!!)


 光は可能な限り追撃の針を回避しようと動いたが、光が回避するよりも針が光に接触する方が早かった。

 針は光の頬を掠り、頬の皮膚を切った。


(当たっちゃった……これ、死ぬんかな?)


 リズの毒針は、心臓に刺さらなくとも血管に傷を付ければ相手を殺せる。しかし心臓を経由しないことと、針全体が体内に入っていないことが影響し、殺すまでの時間が長い。


(死ぬ……死んだらお姉が1人になっちゃう……)


 自分が死ぬという恐怖よりも、吹雪を1人残すという罪悪感の方が大きい。


(アイツとも……結局仲良くなれんかった……)


 走馬灯のように景色がゆっくりと見える。光の意識が実際の時間よりも加速しているのだろう。

 意識だけが加速しているため、身体に毒はまだ殆ど巡っていない。しかし毒が体内に入ってしまった以上、光の毒死は確実。

 光は加速した意識の中で、自分の死を受け入れかけた。そして死ぬ寸前に思い浮かべたのは、これまで嫌っていたエリザだった。



 死にたくない。まだ中学校も卒業してない。

 死にたくない。まだ注文したガンプラも届いていない。

 死にたくない。まだエリザと仲良くなれてない。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……!



 生きたい!!

 生きて、もう一度エリザに会いたい!!









 光が自らの死の運命を否定し、生きたいと、エリザに会いたいと願った時、突如現れた青い光の帯が光を包んだ。

 その現象はかつて、緤那がティアマトの力に感応し、ナイアがアメイジング・ナイアへと進化を遂げた現象と酷似している。

 しかし緤那が帯びた光は赤。光が帯びたのは青。それもそのはず。光が感応したのはティアマトではない。


(何、これ……!)


 身体の底から湧き上がる力。

 その力を形容するならば、全てを包み込む、否、全てを飲み込む闇。

 怒りも、悲しみも、何もかも、自分の全てが身体の内側から飲み込まれる感覚。


(闇を抑えきれない……!!)




「うぐっ……ぅああああああああああああ!!」


 ◇◇◇


 いつも通り天国を見張っていたフォルトゥーナと、いつも通り地獄を見張っていたゾ=カラールは、現世から伝わってくる異常なまでの力を感じ取った。


「ここは天国よ……なんでこんな所にまで伝わってくるの?」

「地獄にまで伝わってくる……覚醒を促した負の感情が異常なんだ。それにしても……」


 アメイジング・ナイアが生まれた時も、2人はその力の波動を感じ取った。

 しかしアウェイクニング・ルーシェから放たれる力の波動はナイアを超えており、ナイアの時には感じなかった"恐怖"に近い感情を抱いた。


「「これがアウェイクニング・プロキシーか……」」


 ◇◇◇


 漆黒の髪。青い瞳。青の装飾が施された黒のドレス。

 見た目だけではない。敵として対面しているリズには分かる。光から放たれていた露骨な殺意が消え、今の光からは何も感じられない。

 形容するならば、無。




 この日、クロノスの力が感応し進化した存在、アウェイクニング・ルーシェが誕生した。

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