#28 World

 店内の椅子に座り、樹里と吹雪は花の手入れをしている。

 店内のスピーカーからはのんびりとした雰囲気のアニソンが流れ、暇を満喫する樹里と吹雪の睡魔を促す。


「あー……お客さん来ない……」

「ですね……心做しか花も元気ない気がします」


 樹里の花屋は色絵町ではそれなりに名の知れた店であるため、平日でもそれなりに来客はいる。

 しかし今日は開店からなぜか暇で、2時間前に老夫婦がドライフラワーを買って以降来客はいない。


「何か買ってく?」

「バイトの女子高生に売上の貢献するよう促すなんて、街の花屋の店主がすることですか……まあ買いますけど。丁度新しい花買って飾りたかったんで、ポインセチア貰いますね」

「まいど」


 吹雪は家で花を飾っており、その都度樹里の店で季節の花を購入する。

 今回購入するのはポインセチア。クリスマスが近く、丁度家に飾っていた花が枯れてしまったため、今回の購入はタイミングが良かった。

 因みにこれは唯から吹き込まれた知識であるが、ポインセチアの花言葉は聖夜。加えてポインセチアはクリスマスフラワーという別名も持っているため、クリスマスに飾るには最適とも言える。

 最早今日の売上はここまでかと思われたその時、誰かが店に駆け込んできた。

 吹雪と樹里は一瞬で仕事モードに切り替え、「いらっしゃいませ」と言いながら椅子から立ち上がった。しかし、


「あれ、唯ちん? どしたの?」


 駆け込んできたのは客ではなく唯だった。唯の後ろには文乃が立っているが、角度の問題で樹里には文乃が確認できなかった。


「先輩! この子のプロキシーを治して下さい!」


 唯は文乃を自転車のキャリアに乗せ、樹里の花屋まで二人乗りで走行した。その間唯は警察に見つかることなく、誰にも注意されずに済んだ。

 唯の言葉を聞いた直後、樹里の身体からプロキシー"ベル"が分離した。


「プロキシー、見せて」


 1度唯と顔を見合わせてから、文乃の身体からセトが分離した。


「……ベル、治せる?」

「傷は深い……できる限りやってみよう」


 ベルは左手に黄色のライティクルを集約させ、セトの傷口を覆う。そして自身の能力である回復を発動した。


「……すごい……」


 セトの傷は徐々に塞がり、抉れた部分も再生していく。ただ時間が巻き戻った訳ではなく修復であるため、顔には傷痕が残ってしまった。


「……私にはこれが限界。傷痕はもう消えないし、それに……もう見えてない、よね」

「うん……見えない。けどまだ左眼は使える。傷口塞いでくれただけでも十分ありがたいよ」


 ベルは後退り、セトは見えない右目で周囲を見回した。


「片目が見えないだけでこんなに不便だなんて……思いもしなかった」


 片目を失っただけで目で捉える感覚は変わる。今まで当然のように行ってきたことも、今までとは違う感覚になる。それだけで戦いにおける敗北、死のリスクは高まる。

 セトは表向き平静を保っている。しかし心の中で、セトはこれからの戦いに恐怖を感じている。

 片目が見えないせいで前後の感覚が掴めず、攻撃の回避が遅れ致命傷を受ける。或いは致命傷と自覚する前に即死する。相手次第では死角を執拗に責めてくる可能性もある。

 次に戦えば殺されるかもしれない。その思いはセトの心に暗雲を覆わせ、手を僅かに震わせた。


「……君の右目はもう使えない。けど仮に戦う場面に立てば、融合することで目は見えるようになる」


 ベルはセトの恐怖を察してか、融合時の一時的な視力の回復について説明をした。その説明を受けたセトは、戦闘時における恐怖が僅かに拭えるかもしれないと少し気が楽になった。


「……ごめん、セト。私を守ったせいで目が……」

「いいのいいの。寧ろあの時融合解かなければ、文乃は死んでた。それに私はまだ戦える……文乃のやるべき事もまだ果たせる」


 セトは文乃の中に戻り、ベルも樹里の中に戻った。


「ありがとうございます、えっと……店主さん?」

「樹里でいいよ。君は文乃ちゃん、だよね。唯ちんから聞いてる」


 文乃と樹里が互いを理解していた時、文乃のスマートフォンに1件の着信が入った。文乃はカバンからスマートフォンを取り出し着信元を確認する。

 着信元は焔。戦いが終わったという報告だろうかと思いつつ、文乃は着信に応答した。


「もし……」

「文乃ちゃん! 緤那が……緤那が!!」

「っ!? 今すぐ行きます!!」

「さっきの場所にいる!」


 文乃は通話を切り、唯の手を掴んだ。


「唯さん! さっきの場所にもう一度連れてって下さい!」

「……何かあったのね……行くよ!」


 ◇◇◇


 目が覚め、緤那の目には見覚えのない天井と、泣きそうな顔で隣に座る文乃が映った。


「っ! 緤那さん!」

「文乃……あれ、なんで私ここに?」

「戦いが終わってすぐに倒れたみたいで……焔さんが知らせてくれたんです」


 寝起きの状態で漠然とした記憶を辿り、ナイアが進化したことと、アーニャとミナスを殺したことを思い出した。


「セト、大丈夫そう?」

「傷は治りました。けど傷痕が残ったのと、右目の視力は戻りませんでした」

「そっか……でも、生きてるならよかった」


 緤那は室内を見回し、現時刻を確認する。


「もう7時じゃん……ごめんね、こんな時間まで居座って」

「いいんです。緤那さんがよければ、今日はうちに泊まっていきませんか? 明日は金曜日ですけど学校は休みですし、超VIP待遇しますよ」

「そうだね……ならお言葉に甘えて、今日はこのまま泊まっちゃおうかな」


 緤那は布団から手を出し、文乃の脚に触れる。


「後で文乃の部屋……行ってもいい?」

「……待ってます」


 文乃は頬を赤く染め、椅子から立ち上がる。


「お腹空いてます?」

「ペッコペコ」

「ならご飯持ってきますね。待っててください」


 文乃は軽い足取りで部屋を出ていき、緤那は先程の文乃の顔を思い出し口元を緩めた。


 ◇◇◇


 夜の色絵町の上空。2人の神が町を見下ろしていた。


「遂にこの世界でも"アメイジング"が生まれた……」


 白いショートヘアの少女、フォルトゥーナは呟いた。

 フォルトゥーナは原初の神の1人であり、現在は天国を管理している。


「けど、まだ世界自体がアメイジングに対応しきれていないみたい。緤那あの子も力の反動で死にかけてるし」


 フォルトゥーナの呟きに、黒い長髪の少女ゾ=カラールが言葉を付け加えた。

 ゾ=カラールも原初の神の1人であり、現在は地獄を管理している。


 2人とも普段は天国と地獄を管理しており、現世には姿を現さない。そのためプロキシー達は現世を"神のいない世界"だと認識している。

 しかし2人は今、普段は来る理由のない現世に来ている。ナイア達プロキシーは2人の存在に気付いていない。


「アメイジングが生まれたってことは、もうそろそろ"アウェイクニング"が生まれてもおかしくない。アメイジングとアウェイクニングが共存すれば、まだ実体を持ってないプロキシーが一斉に動き始める」

「そうなれば大勢の人間が死ぬ……まさか、これもクピドの予想通りなのかな?」

「さあね……」


 世界の現状を再確認し、2人はこれから激しくなるであろう戦いを恐れた。


「"あの2人"が来なければ、アメイジングもアウェイクニングも生まれなかった。もしかしたら、戦いすら起きなかったのかもしれない」


 フォルトゥーナとゾ=カラールの脳内に、かつて出会った2人の少女の姿が蘇った。

 その2人の少女は突如この世界に介入し、当時存在しなかったプロキシーの進化体を身体に宿していた。2人の少女はこの世界のアクセサリーを各々1つだけ奪取し、この世界に存在していた少女にアクセサリーを手渡した。

 その後2人の少女はこの世界から消えたが、本来生まれるはずがない進化体プロキシーをこの世界に一時的に存在させ、この世界にプロキシーの進化という概念を植え付けた。

 プロキシーの進化は本来起こりえない現象。しかしその現象を起こさせた張本人である2人の少女は、フォルトゥーナとゾ=カラールにとっては忌み子同然。

 そんな、2人の少女を思い出し、フォルトゥーナの表情は露骨に曇った。


「……それは無いよ。だってこの世界は、必ず戦うようにできてる。フォルトゥーナだって本当は分かってるんでしょ?」

「……結局、世界には抗えない、か……」


 フォルトゥーナは世界に抗えない自分の弱さを憂い、ゾ=カラールは弱さを潰すかのように両手を強く握った。


「私達にプロキシーを封印する力があれば……」


 アクセサリーを作ったのはフォルトゥーナ。しかしあくまで作っただけであり、プロキシーをアクセサリーに封印したのはフォルトゥーナではない。

 封印したのはこの世界で1番最初に生まれたプロキシー"アラン"。アランは偶発的に、神さえも持っていない能力を持って生まれた。その能力の名は封印。対象Aの命を有機物無機物問わずの対象Bに封印できる。

 クピドが間接的に人間を大量虐殺し、セーラがクピドを殺した。セーラに禁忌を犯した罰を与えるため、アランはフォルトゥーナが作った神器アクセサリーにセーラを封印した。

 その後アランは神の命令に従い、全てのプロキシーを個別のアクセサリーに封印。その後アランは自らもアクセサリーに封印し、ナイア達と共に眠りについた。


「……仮に持っていたとしても、戦いは必ず起こる。私達はこの世界の方針に従わなければいけない。私もフォルトゥーナも、いい加減それを理解しなきゃね」


 ティアマトは自分達が今居る世界の運命を理解している。この世界では必ず人間や神が絡んだ戦いが起こると。

 仮にクロノスとティアマトが争わず、未だアクセサリーが解放されていないとしても、必ずアクセサリーは解放され戦いが起きる。

 世界に運命という概念を植え付けたのは、運命を司る神フォルトゥーナ。フォルトゥーナが生まれた時点で、この世界で戦いが起こることが運命づけられた。否、仮にフォルトゥーナが生まれなかったとしても、どこかで必ず戦いは起こる。

 フォルトゥーナとゾ=カラール、その他の原初の神、加えてプロキシーの半数以上はこの世界の理を理解している。理解しているからこそ、ナイア達は戦いを拒まない。拒まないからこそ、ナイア達は躊躇い無くかつての仲間を殺せる。


「理解ね……ほんと、酷い世界に生まれてきたものね」


 誰がどの世界に生まれるか。それは誰も、誰にも決めることはできない。例え神であっても、人の運命を容易に操ることはできない。

 少なくとも、フォルトゥーナは今自分が居る世界に生まれてきたことを良く思っていない。

 人間を巻き込みプロキシー同士が争い、尚且つ決して戦いを止めることができないこの世界は、フォルトゥーナにとっては真の地獄。ゾ=カラールが管理している地獄以上に地獄である。


「そんな発言は控えた方がいい。"奴"の逆鱗に触れれば私達は消される」


 ティアマトとゾ=カラールは、天国と地獄を含めたこの世界に存在する2人だけの神。今後恐らく、神を超える存在を人間は作れず、自然的に生まれることは無い。

 そんな2人には、唯一恐れている存在がある。

 名前は分からない。容姿も分からない。男か女か、それ以前に生物なのかも分からない。

 ただ漠然と理解している絶対的な存在。簡単に何かを創造つくり、簡単に何かを壊し、簡単に全てを変えてしまう。

 どんな神でもプロキシーでも、その存在には決して抗えない。そんな絶対的な存在のことを、2人の神は"奴"と呼んでいる。

 今この時この瞬間も、"奴"はこの世界を観察している。否、世界を動かしている。


「さあ、そろそろ助言して管理に戻ろう」

「……うん」


 フォルトゥーナとゾ=カラールは、強く吹いた風の音と共に姿を消した。

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