《88》 雪希

 群れを成すプロキシー。その中を翔ける銀色の風。

 風に煽られたプロキシーは四肢を失い、首を失い、半身を失っていく。


(あれが……舞那の力……)


 2019年3月17日。この日、舞那は銀のアクセサリーを使い、大量発生したプロキシーと戦った。そして、雪希の目の前で死んだ。


 ◇◇◇


「ん……んん?」


 目が覚めると、そこは自宅ではなかった。


「あ、目ぇ覚めちゃった?」

「……龍華……っ!! 家が……秋希は!?」

「大丈夫。隣の部屋で寝てる」


 秋希が生きていることに安心し、雪希は起こしかけていた身体を再び寝かせた。

 雪希の最後の記憶では、家が崩れ、下半身が瓦礫の下敷きになり、目の前にいたはずの秋希が瓦礫で見えなくなった。変身する前に気を失い、そのまま雪希と秋希は病院へ担がれた。

 雪希は脚力を失い、秋希は全身打撲に複雑骨折。生きているとは言え、共に重症である。


「ここは?」

「私の家。いろいろあって、病院から連れ出してきた。とりあえず分からないことだらけだろうから、話せることだけ話すよ」





「……じゃあ、舞那は今戦ってるの?」

「うん。そろそろ行ってあげようかな。もしかしたらもう終わってるかもしれないけど」


 龍華は立ち上がり、床に置いていた黒の鎌を取り上げた。


「待って……舞那のとこに行ったら……いや、何でもない」

「そう……じゃ、行ってくるね」


 龍華は窓を開け、飛行能力を使用し病院へ向かった。


(……今更言えるはずないよね……もう舞那には、好きな人がいるんだから……)


 雪希は枕に涙を零した。

 舞那に想いを打ち明けるため、言えなかったことを言うため、龍華を伝書鳩に使おうと思った。

 しかし雪希の脳内に、心葵と楽しそうに話す舞那の姿が蘇った。

 ある時から察していた。舞那は心葵のことが好きなのだと。故に雪希は諦めた。舞那と心葵の仲を裂いてまで、雪希は舞那に想いを打ち明けたいとは思えなかった。

 舞那を愛しているから。愛しているからこそ、舞那と心葵の仲を引き裂きたくないと思った。


「結局私は……私のしたかった事すら……」


 ◇◇◇


 銀のアクセサリーでプロキシーを殺戮する舞那。その姿に魅了され、雪希は戦いの最中に目を奪われた。しかし、


「っ!!」


 残り個体数が10体を切ったところで、限界がやってきた。舞那の身体は銀の力に耐えきれず、強制的に変身は解除された。


「舞那!!」


 変身が解除された舞那はプロキシーの群れに沈み、さながら餌に食いつく魚のようにプロキシーは反撃を開始した。

 殴り、蹴り、噛みつき、叩きつける。まるで殺された同胞の仇だと言わんばかりに、プロキシーは舞那を執拗に痛めつける。

 雪希は持てる力全てを使い、残ったプロキシー全てを1人で殺した。そして、プロキシーにリンチされていた舞那を抱え、雨を避けるため屋根のある駐輪場まで運んだ。


「舞那……舞那!! 起きてよ舞那!!」


 両脚が千切られ、腸が抉られ、舞那は既に瀕死の状態。

 しかし雪希の声に反応し、舞那は閉じていた瞼を開ける。


「雪希ちゃ……泣か、ないで……」


 何度も踏まれ腫れ上がった腕で、舞那は雪希の頭を撫でる。

 雪希が初めて舞那の前で涙を流した時も、舞那はこうして雪希の頭を撫でた。


「私……雪希ちゃんが生きててくれるなら……それで、いい……」


 死ぬ程の痛みに耐え、逆流する血液を飲み込み、舞那は雪希へと笑顔を向ける。

 戦いの中で雪希が絶望した時も、舞那はこうして笑顔を向けた。


「舞那がよくても……私は舞那がいないと嫌だ! まだ一緒に遊びたいし、まだ一緒に話したいこともいっぱいある……だから生きてよ!」


 言えなかった。

 舞那と出会い、共に戦い、共に生きていく中で、雪希はいつしか舞那に恋心を抱いていた。しかし、雪希は1度も想いを打ち明けることなく、舞那の死が近付くこの状況でも、自らの本心を押し殺した。


「……私だって、雪希ちゃんと生きたかった……けど、もう……雪希ちゃんが見えなく……」


 雪希の頭を撫でていた舞那の手は力を失い、糸を切られた操り人形のように地面に滑り落ちた。

 脱力した手が石で作られた地面に当たり、鈍く痛々しい音が鳴る。

 舞那の息と声が消え、雪希の耳に入る音は雨音と自らの心音、息だけになった。雨音はいまだに騒がしいが、雪希にとってのこの雨音は一種の静寂に等しい。


「えぐっ……舞那ぁ……」


 共に生き延びよう。2人はそう決めた。しかし舞那は死んだ。雪希はこれまでの戦いで幾度も涙を流し、幾度も絶望した。その中でも、舞那の死は雪希の中にトラウマを植え付けた。


「舞那ぁ……」


 舞那の遺体を抱き締め、雪希は嗚咽混じりに名前を呼び続けた。しかし舞那の身体に残ったプロキシーの力は、悲しむ雪希を尻目に舞那の身体を砂へと変化させる。


「っ! 嫌……逝かないで……」


 雪希の腕には破れた舞那の制服と砂だけが残り、つい数秒前まで感じていたはずの舞那の温かさと柔らかさも消えた。

 僅かに風が吹けば砂となった舞那が飛んでいき、吹かれる度に舞那との時間が雪希の脳内に蘇る。

 フラッシュバックする記憶は勿論、楽しい思い出と辛い思い出の両方で構成されている。しかしなぜか、脳内には楽しい思い出ばかりが蘇る。

 舞那との死に別れを受け入れきれない雪希は、砂になった舞那を掻き集めて掬う。

 しかし手の震えと風により砂は再び地に落ち、風と共に雪希の手から離れていった。


「あぁ……ぅああああ!」


 泣き叫ぶ雪希の背後に、戦いの終結を見届けたメラーフが現れた。

 メラーフは普段から冷静さを保っているが、感情はある。誰かが死ねば、残された者に同情もする。しかしメラーフは敢えて冷徹を装い、生き残った者に対する神の責務を実行した。


「生き残ったのは君だ、廣瀬雪希。さあ、君はこの後神と同等の力を得るが……君はその力を使って何をする? 木場舞那を生き返らせる……かな? ただ、木場舞那は戦いの記憶を全て失った状態で生き返ることになる。再会したところで、木場舞那からすれば感動も何も無いだろうね」


 できることならば、死んだ人々を皆蘇生し、残された者達と再会させてあげたい。しかしメラーフにはそんな力はない。

 メラーフ神として生まれながら、全知全能ではない自身を恨む。誰も蘇生できない、人々を幸せにできない、自分自身を。


「……私は、私のしたいことは……舞那に、好きだって言いたい。だから、私は世界の時間を巻き戻す」

「……いい答えだ。ならば、君に神の力を与えよう。どう使うかは君の自由だ」


 メラーフは雪希に手をかざし、雪希に神に等しい力を与えた。


 ◇◇◇


 舞那に想いを打ち明けるため、雪希は時間を巻き戻した。

 巻き戻した世界は、死んだはずの人間が生き、壊れたはずの建物があった。そして、人々と築いたはずの記憶は消えていた。

 舞那と雪希が出会う前の時間であったため、舞那は雪希と友達ではない。即ち、想いを打ち明けるにはまだ早い。

 雪希は舞那と友達になれる日を待ったが、結局友達になる前に戦いに戻った。

 雪希は考えた。舞那と友達になれば、確実に舞那を戦いに巻き込んでしまうと。故に雪希は舞那と距離を置き、接触を最小限にした。

 にも関わらず、舞那と雪希は出会ってしまった。


「……お姉さん誰? じゃなくてあの怪物は何!?」


 墓参りの帰りに、舞那はプロキシーと遭遇した。そのプロキシーを殺すため、雪希は舞那といる場所へ来ていた。

 そして舞那がいることに気付き、雪希は衝動を抑えきれずに声をかけてしまった。


「あれ、記憶が……まあいいか。知らない方がいいよ。あれは普通の人が関わっちゃいけない。無理に関わろうとすれば、必ず面倒事に巻き込まれる」


 プロキシーが死んだにも関わらず、記憶が残っていることを疑問に思った。しかしそれ以上雪希は考えず、距離を置くために舞那を突き放した。


(お姉さん、か……同い年なんだけどな……)


 舞那が雪希に気付かないとは当然だった。しかし舞那が名を呼んでくれないことに、雪希は少しだけ悲しみを覚えた。


 ◇◇◇


「舞那……」


 雪希は舞那を想い続けた。そしてこれからも想い続ける。

 そう決意しながら、雪希はベッドの上で目を閉じた。

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