《86》 約束

 瑠花が街を破壊した日の夜、破壊された地域は立入禁止区域になっていた。電柱が何本も破壊されたため停電が起き、現在も復旧していない。

 住人の殆どは電気の通っている場所へ避難し、ホテルや旅館での宿泊する者もいれば、夜通し娯楽に明け暮れる者もいた。

 舞那と誠一は編集部経由でホテルを予約し、町から離れた場所で過ごすこととなった。

 学校から暫くの間休校するとの連絡が入ったため、舞那達には登校距離などの心配はない。


「ん?」


 ドアをノックする音と、「入っていい?」という声で、ドアの前に立っているのが舞那だということは分かった。

 しかし舞那がどんな顔をしているのか、どんな心境なのかは分からない。

 誠一はドアを開け、舞那を部屋に招き入れた。


「お父さん、その……聞いて欲しいことがあるの」


 今まで見せたことの無いような深刻な表情の舞那を見て、誠一は瞬間的に覚悟を決めた。

 お小遣いの前借り、初彼氏、妊娠、部屋での心霊現象、単純に体調不良……考えられる可能性を一瞬で考え、可能性に対する発言等もある程度シミュレーションした。


「……どうした?」

「……ずっと、黙ってたことがあるの。けど今日は……今日だから、隠してたこと話そうと思って」


 「ずっと黙っていた」ということは、ここ数日の出来事ではないと誠一は考えた。直後、誠一は考えた可能性の中でも最も確率の高いであろう可能性を考えた。

 それは、彼氏ができた、或いは妊娠した、ということ。あまり表には出さないが、誠一は舞那を溺愛している。恐らくはこの世で最も可愛いであろう娘に、言い寄らない男などいるはずがない。そう考えている。そして舞那も年頃の少女。異性にも興味があって当然。男に手を出される、或いは手を出すこともある程度覚悟していた。


「……なんだい?」


 震えと涙を堪え、誠一は舞那の話を聞こうとした。


「実は私、春から怪物と戦ってるの。武器持って人知を超えた力を使って……その戦いでいろんな人が死んで、いろんな人が悲しんで……」

「怪物……ゲームの中の話って訳ではなさそうだね。舞那1人で戦ってるの?」

「ううん……私と、雪希ちゃん、心葵、千夏、龍華、沙織、日向子、理央、杏樹ちゃん、撫子ちゃん……それ以外にもいろんな子が戦ってきた。けど……もう私入れて3人になっちゃった」


 瑠花は含めていない。瑠花もプロキシー討伐に参加していたとは言え、最早瑠花は舞那の敵。プレイヤーとして数えていない。


「心葵も、千夏も、日向子も、撫子ちゃんも死んだ……」


 死んでいったプレイヤーの顔が、死んだ瞬間の姿が脳内に蘇り、舞那は青ざめる。


「なんで、そのことを今日話そうと?」

「……最後の怪物がいて、私達は明日にでも戦わなくちゃいけない。だから……明日死ぬかもしれないから……話そうと思ったの」


 人の死が、親しい人の死が、家族の死がどれだけ辛く悲しいものか、誠一は身をもって理解している。

 妻、翔子しょうこが死んだ時、誠一は誰よりも悲しんだ。それ以降誠一は人の死に敏感になり、誰かが死ぬ度に翔子の姿が脳内に過ぎる。誠一の悲しみは、娘である舞那も十分に理解している。だからこそ、舞那は自らが死ぬかもしれないということを打ち明けた。


「いきなりこんな話しても信じられないよね……けど、全部本当のことなの。ごめんなさい……ずっと黙ってて……」


 辛そうな顔で謝る舞那を見て、誠一は胸を締め付けられるような気分に陥った。

 以前から舞那の身に起こっていた異常には、誠一は僅かながら気付いていた。戦いで負った傷を「転んだだけ」と誤魔化し、心葵に食べさせた腕も、「体育で痛めただけ」と誤魔化す舞那を見て、それが嘘であるとすぐに見抜けた。

 しかし誠一は嘘を指摘することができず、舞那の嘘に黙って乗っていた。父に嘘をつくということは、父に知られたくないこと。それを理解しているため、知られたくないことを追求することはしなかった。


「……確かに、にわかには信じられない話だね」

「だよね……私だって最初は信じられなかったもん。信じてくれなくてもいい……けど、言わなくちゃって思ったから……」


 アクセサリーや変身を見せれば、誠一はそれを真実だと理解してくれる。しかし舞那は、プレイヤーとしてではなく娘として真実を打ち明けるべく、実演をしなかった。


「……仮にそれが全部作り話でも、舞那がそれを本当のことだっていうなら、父さんは舞那の言葉を信じるよ」

「っ! 信じてくれるの……?」


 信じてくれなくてもいいというのは、舞那の本心だった。しかし誠一は舞那の話を信じると発言し、舞那の予想を覆した。


「子供の言っていることを信じるのが、父さん達大人のすべきことだからね。そりゃあ限度もあるけど、親が信じてあげなくちゃ、誰にも信じられないまま大人になっちゃうから……父さん、舞那にはそんな大人になってほしくないから」


 誠一は子供の頃、翼を生やした女性を見たことがある。女性は誠一に気付くことなく空へと消え去り、1枚の青い羽根を誠一の前に落としていった。

 その女性を天使だと勘違いした誠一は、友人や家族にその話を広めた。しかし誰一人としてその話を信じる者はいなかった。非現実的な話だと、テレビの見すぎだと、作り話だと何度も罵られた。特に話を否定したのは、親や教師といった大人。それ以降、誠一は青い天使の話は一度もしていない。

 ただその出来事がきっかけで、誠一は大人を嫌うようになり、大人を嫌ったまま自身も大人になった。だからこそ、誠一は舞那の話を信じようとした。


「でも舞那……一つだけ、父さんと約束してくれるかな?」

「……うん」

「絶対に、生きて帰ってくること。何時間でも、何日でも、何年でも父さんは待ってるから……必ず生きて帰ってくるんだ」


 誠一は、舞那が戦いに赴くことを止めなかった。

 誰に頼まれた訳でもなく、自らの意思で戦いに赴く舞那を、誠一は止められるはずがない。

 本音を言えばこれ以上戦わせたくない。これ以上傷付けさせたくない。しかし誠一は本音を押し殺し、ただ死なないことだけを条件に送り出すと決めた。


「……帰ってくるよ。どんなに傷付いても、手脚が千切れても、必ず生きて帰ってくる」

「……約束だぞ」


 ◇◇◇


 翌朝。舞那と誠一はホテルの屋上に上がり、朝日を浴びながら"明日"のことを話していた。何を食べるか、どこへ行くか、いつかも分からない"明日"の予定を思い描いた。

 そして、舞那のスマートフォンに龍華からメッセージが送られる。内容は瑠花との戦いに赴く前の待ち合わせ場所の指定。舞那は待ち合わせ場所を確認し、スマートフォンをポケットにしまった。


「行くんだね」

「うん……多分これが最初で最後だから、私のもう1つの姿、見せてあげる……変身」


 アイリスと完全に同調した舞那は、アクセサリーを取り出さずとも変身を可能とした。


「っ!!」


 誠一は舞那の変身を見て息を飲んだ。黒かった髪は空色に変化し、衣服も一瞬で白と水色のワンピースへと変わった。そして何よりも、翼から生えた空色の翼に、誠一の心は惹かれた。


「……それじゃあ、行ってきます」

「ああ……気をつけて」


 舞那は翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がった。


(やっぱり……天使はいたんだ……)


 当時、誰にも信じてもらえなかった青い天使。しかし期せずして、空色の天使が誠一の前に現れた。

 飛び去る舞那を見ながら、誠一は溢れる涙を拭った。

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