《69》 灰色の痣

 気付けば、心葵は草原に立っていた。

 果てしなく続く緑の景色。青空に雲は浮かんでおらず、太陽の光が燦々と降り注ぐ。


(夢か……こんなに綺麗な景色、見たことないし。それともここが天国?)


 これだけ平坦で人工物が一切見当たらない場所は、現代日本ではおそらく存在しない。自分は今夢の中にいる。それに気が付くにはそう時間はかからなかった。


(ほんと綺麗なとこ……この景色は夢の中でしか見られないなんて、勿体なさすぎる)


 心葵は考えた。

 神が世界を作り、人間を作るよりも前。世界はこの景色のように美しく、静かで心休まるようなところだったのではないかと。

 以前、メラーフと雑談をしている時に聞いた。神が最初に作った世界は、植物と少しの動物だけが生きる美しい世界だったと。メラーフは実際にその世界を見たわけではないが、おそらくは今心葵がいる場所に近いところなのだろう。

 人間が文明を発展させ、世界から自然を奪っていった。それ故に、かつての美しい世界を望んだ代行者が、人類を削減、絶滅を目論んでいる。美しい世界を望むことに関してのみ、心葵は代行者の気持ちを理解した気がした。


「先輩」

「っ!?」


 後ろから、聞き覚えのある声が心葵を呼んだ。

 心葵は振り返り、声の主の姿を確認した。


「千夏……!」


 そこには翼も痣も無い、人間の姿の千夏が立っていた。

 考えるよりも先に心葵は走り、千夏を力強く抱き締めた。夢の中であるにも関わらず、リアルな声と抱き心地に、心葵は涙を流した。


「ずっと会いたかった……千夏!」

「先輩……私も会いたかったです。ずっと……寂しかったです……」


 心葵に釣られ、千夏も涙を流す。


「夢だって分かってるのに……私、嬉しさを抑えきれない……このまま夢の中にいたいくらいだよ……」

「……私も、先輩とずっと一緒にいたいです。でも先輩にはやるべきことがあるから、目覚めてもらう必要があります。でもまた私は先輩に会いに来ますから安心して下さい……」


 心葵の腕の中から千夏が消えた。つい先程まであった温もりと柔らかさが消え、心葵は千夏が死んだ時のことを思い出した。


「待って……千夏!」


 千夏を求め、心葵は左手を前に伸ばす。

 しかし伸ばしたはずの手は泥のように崩れ落ち、一瞬で肩まで失った。


「ひぃっ……!! 嫌だ……嫌だぁぁぁぁぁ!!」


 心葵の叫びは虚しく響き、気付けば全身は崩れ落ちていた。


 ◇◇◇


「っ!!」


 心葵はベッドから起き上がった。心葵は時折嫌な夢を見て、夜中に目が覚めることがよくある。しかし夢だと自覚した上で痛みを味わうというタチの悪い悪夢は、恐らく初めてであろう。


「……いっ!!」


 夢から覚め、上がった心拍数を下げようとした心葵。しかしその直後に左腕に強い痛みを感じ、心葵は咄嗟に左腕を強く掴んだ。掴んだ場所は、昼間にプロキシーに噛まれた場所だった。

 窓からは月明かりが差し込んでいるため、部屋の一部は明るくなっている。心葵は恐る恐る腕を明るい場所に出し、患部の状態を確認する。


「……嘘でしょ……」


 患部からは灰色の粘菌のようなものが延び、患部の周辺を灰色に変色させていた。この変色は千夏の時同様、徐々に範囲を広げ、心葵に痛みを与える。

 千夏がプロキシーになった時から、心葵はいつかこの日が来るのであろうと覚悟していた。しかしいざ身体に変化が起きれば、驚愕と落胆は避けられなかった。


(千夏は……この痛みに耐えてたの?)


 この日、心葵は寝付くことができず、翌日は学校を休むこととなる。


 ◇◇◇


 新学期が始まり、最初の授業を受ける日。生徒達は悶えながらも授業に参加し、休み明けに起こりがちの倦怠感と格闘していた。

 今から始まる1時間の授業が長く感じられたが、時間が過ぎれば案外早いものだとも感じた。人によるが。

 気付けば4時間目が終わり、昼休みに突入。生徒達が廊下を往来する中、舞那と雪希は屋上に上がった。床にマットを敷き、2人は弁当箱を膝に置く。


「相変わらず雪希ちゃんのお弁当は美味しそうだね……実際美味しいんだけど」

「ありがと。そうだ、新しいおかず作ってみたんだけど、良かったら食べてみる?」


 雪希は箸で新メニューを取り上げ、舞那にそれを見せる。

 その名も、廣瀬流キャベツ春巻き。調理方法は至って簡単。まず刻んだキャベツをマヨネーズで味付けし、春巻きの皮で包み揚げる。以上。

 舞那は初めて見る料理に期待を抱き、「あーん」と口を開ける。雪希はほんの少しだけ口元を緩ませながら、春巻きを舞那の下の上に置く。


「んん~っ! 美味しい!」


 パリパリとした皮に包まれたキャベツが、舞那の口内を支配していく。皮とキャベツとマヨネーズだけとは思えないその味に、舞那の食欲が刺激された。


「よかった……舞那が美味しいって言ってくれれば、これからも安心して作れるよ」

「いやいや、雪希ちゃんの作った料理に美味しくないものなんてないよ。もっと自信持って?」


 雪希の特技は料理であり、ほぼ毎日自分と秋希の弁当を作っている。加えて朝昼晩の食事も作っており、料理のレパートリーも多い。

 調理実習の際にはその才能を発揮し、実技満点を記録した。その日、雪希は料理が上手いということがクラス全体に知れ渡り、調理実習の班決めの際には取り合いになっている。


「そうだ、文化祭で雪希ちゃんのお店出してみる? きっと行列ができるよ」

「行列か……さすがに来た人全員分の料理を1人で作るのは無理。やるんだったら複数人でやる。というか、私達文化祭に参加できるかな?」


 舞那達は文化祭以前に、プレイヤーとしての責務がある。文化祭を楽しめるのか、そもそも参加できるかも怪しい。

 さらに渦音高校の生徒会長が死亡(失踪という扱いになっている)し、夏休み中に生徒数が減ったため、合同文化祭の企画が無くなる可能性もある。


「……もし今年がダメなら、来年やればいいよ。それまでにプロキシーを全滅させれば、私達は普通の女の子として日常に戻れる。頑張らないと」

「だね……でも今は文化祭より、理央への報告が先。学校が終わり次第報告……いいね?」

「うん……」


 ◇◇◇


 時間が過ぎるのは早く、気付けば6時間目が終わってしまった。いよいよ理央に、撫子の死を伝える時間になった。舞那と雪希は理央を探した末に生徒会室へ辿り着き、息と心音を調えドアをノックした。

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