《33》 手紙

 舞那の一撃により、千夏は致命傷に近いダメージを負った。

 飛んで逃げようにも、痛みに負けて飛ぶことができない。よって、千夏はもう逃げられないと言っても過言ではない。

 ただ、攻撃した側の舞那が優勢とは言えない。何せ持てる力の半分以上を使い殴ったため、その分消耗も著しいのだ。

 恐らくもう一度能力を使用し攻撃すれば、舞那はその場に倒れるだろう。


「風見さん……千夏を殺してあげて」


 しかし、この場にいるプレイヤーは舞那1人ではない。

 変身すれば、変身前のダメージはある程度緩和されるため、心葵もまだ戦える。


「できない……やっぱり私にはできない!」

「千夏は! 風見さんに殺されることを望んでる……だから、痛いだろうけど立って!」

「……でも、私は……!」

「……千夏、言ってたよ。風見さんに殺されるのなら、この世に未練はないって」


 舞那は変身を解除し、ポケットの中に入れておいた"灰のアクセサリー"を取り出した。


「誕生日プレゼント。私からじゃなくて千夏からのだけどね」

「……っ!」


 先日遭遇した際、舞那は千夏から灰のアクセサリーと貼箱を預かっていた。

 そして同時に、プロキシーになって初めて理解したことや、龍華でさえも収集できなかった情報。さらには自らの思いや願いなどを、恋人どころか友人ですらない舞那に話した。

 なぜなら、舞那は千夏にとって"信頼できるかもしれない人物"であり、心葵が名前を覚えた人物であるためである。

 心葵には元々、友人や普段から会う人物以外の名は覚えず、名を知ってもすぐに忘れる癖がある。当然ながら、プレイヤーの名前など覚えようとするはずがない。

 そんな心葵が自らの意思で名前を覚えた舞那は、心葵にとって最早特別な人間であることに変わりない。


「千夏の最後の望みを叶えられるのは、風見さんしかいない」

「千夏の……最後の、望み……」


 舞那は灰のアクセサリーを差し出し、心葵は震える右手でそれを受け取った。

 灰のアクセサリーはハルバードを模しており、刃の部分以外は灰色に染色されている。心葵の持つ橙のアクセサリーと比べると、鮮やかさ派手さ共に欠けているように見える。


(……覚悟してたつもりだったのに、私はナイフを止めてしまった。私は……千夏を殺せなかった)


 灰のアクセサリーを握り、自らの弱さを恨む心葵。

 間違いなく殺す覚悟はしていた。しかし、その覚悟に身体がついてこなかった。

 普段は千夏を殺そうとは思っていない。だからこそ、条件反射で攻撃を止めた。


(けど……千夏が覚悟してるのなら、千夏がそう望むのなら……)


 激痛に耐えながら、ゆっくりと立ち上がる心葵。対する千夏も痛む身体を無理矢理動かし、震えながらも立ち上がった。

 心葵はアクセサリーをハルバードに変化させ、覚悟を決めたかのように口元の血を拭った。


「変身……」


 灰色の光に包まれた心葵。

 光の色は灰色だが、弾けた瞬間の光を見た舞那は、不覚にもその鈍い光を美しいと思ってしまった。

 変身した心葵の姿は、橙のアクセサリーを用いて変身した際の姿とは異なっている。

 髪型は橙と一緒だが、髪色が灰色に変化。服は薄い灰色ベースのパーカーと、濃い灰色のショートパンツへと変化している。


「千夏の命……私が終わらせる。千夏から貰った、このアクセサリーで!」


 ハルバードの鋒を千夏に向け、心葵は戦意を示した。


(これが灰色の能力……)


 プレイヤーは新たにアクセサリーを使う際、そのアクセサリーから力を感じている。心葵は今回、ハルバードから感じる力で、灰のアクセサリーの持つ能力を理解した。

 初めて手にするアクセサリーだが、橙のアクセサリーよりも身体に馴染んでいる。心葵はそんな気がした。


「いくよ……千夏!」


 心葵は千夏に向かって走り出した。

 真っ直ぐ向かってくる心葵に対し、千夏は右手に光を集約させた。

 千夏はハルバードを回避しながら、右手で心葵の頭を掴もうとした。しかし千夏の手は頭を通過し、掴むことができない。

 気付けば捉えていたはずの心葵は消え、千夏の左腕が切断されていた。


「一体……何が?」


 一部始終を見ていた舞那は、目の前で起こった現象を理解できずにいる。

 心葵が消え、突如左腕が切断された。さらに、切断された瞬間は見たものの、何が腕を切断したのかは見えなかった。

 まるで鎌鼬かまいたちにでも遭遇したかのような状況に、千夏も理解が追いつけずにいる。


「こっちだよ、千夏」


 後方から名を呼ばれた千夏は、再度右腕に光を集約しながら振り向いた。

 しかしそこには誰もいない。そして気付けば、左腕に続き右腕が切断されていた。

 理解が追いつかぬまま両腕を失った千夏は、焦りと混乱により、その場から逃げ出そうとした。しかし、


(逃がさない!)


 プロキシーの千夏の中に宿る本物の千夏が、一瞬だが身体の主導権を奪い取り、逃げようと動かし始めた脚を止めた。その隙を突き、心葵はハルバードを千夏の心臓に突き刺した。

 千夏を刺した感触は、恐らくこの先一生忘れられない程気持ち悪いものだった。


(千夏……)

(先輩……)


 ハルバードを通し、心葵は千夏の声が、千夏は心葵の声が聞こえた気がした。

 千夏の身体から力が消えていき、最終的に立つことすら困難な状態になってしまった。

 ハルバードを引き抜き、倒れかけた千夏を抱き寄せる心葵。

 腕の中の千夏は温かく、徐々に身体の変色は消えていく。十数秒も経てば変色は完全に消え、千夏は元の姿に戻った。


「千夏……治ったよ……身体……」

「……よ、かった……」


 心臓が止まり、薄れ行く意識の中、千夏は喜びの笑みを浮かべた。

 プロキシーとしてではなく、人として心葵に看取られることは、千夏にとっては最後の至福である。


「最後、に……先輩が愛し、てくれた……千夏わたしに……」


 涙を流す心葵を網膜に焼き付けながら、千夏は満足気な表情で息を引き取った。

 それから数秒後、千夏の身体は徐々に砂へと変化を始めた。

 身体の変色は消えたとは言え、プロキシーの力が体内に残留しているため、死ぬ時はプロキシーと同じである。


「……後で救急車連れてくるから、痛むだろうけど、ここで待ってて」


 心葵にそう告げ、舞那は廃材置き場から去った。


「……っ」


 心葵は砂へと変化する千夏を抱きしめながら、声にならない叫びと共に涙を流し続けた。

 目が痛む程涙を流し、漏らしていた嗚咽が止まる頃、抱きしめていた千夏は既に残っていなかった。残ったのは先程まで千夏だった砂と、失ったことによる虚しさのみ。

 千夏が死んだことで、プレイヤー以外の人々の記憶から、プロキシーになってからの千夏は消え去った。


 ◇◇◇


 時刻は16時47分。

 千夏が死んでから7時間程経過し、感じていた目の痛みも治まった。

 心葵は現在病院のベッドに寝ており、ただ虚ろに天井を見つめている。心葵が思っている以上にダメージが大きく、入院と一時的な戦線離脱が余儀なくされたのだ。

 医療費を気にして入院は1度拒んだが、心葵の母を含めた親戚は所謂「金持ち」が多く、医療費は気にしなくてもいいと言われたため入院を受け入れた。

 勿論親戚達は無理をしている訳ではなく、本当に医療費の額など気にしない程の余裕を持ち合わせている。

 病室には心葵以外の入院患者はおらず、実質1人部屋状態である。


(なんだか落ち着かないな……)


 窓際であるため、外の景色は楽しめる。

 しかし慣れない病室は落ち着かず、同時に寂しさも感じていた。

 そんな中、誰かがドアをノックし、足音を抑えながら心葵のベッドまで歩いてきた。


「来たよ、風見さん」


 カーテンを開け、リュックを背負った舞那が入ってきた。


「木場さん……私達、敵同士のはずなんだけど?」

「気にしないの。そんなと言ってると、お見舞いの品あげないよ?」


 舞那はリュックからお見舞いの品である梨をいくつか取り出し、ベッド横にある棚の上に置いた。

 偶然にも梨は心葵の大好物であり、梨を見た瞬間、不覚にも心葵は喜んでしまった。


「……ごめん。私なんかに気を使わせて……」

「私が好きでやってるんだから、そんなこと言わないで」

「……優しいんだね、木場さんって」


 心葵はかつて、舞那を殺すために刃を向けた。さらには、舞那の友人である理央を刺した。

 しかし舞那は、心葵に対して一切邪念を持つことなく接している。

 そんな舞那を見て、心葵は自らの愚かさに気付かされた。


「また明日お見舞いに来るね。その方が退屈しないでしょ?」

「……ありがとう。丁度寂しいと思ってたところなの」


 舞那の優しさに当てられ、心葵は涙が込み上げてきた。しかし心葵はそれを堪える。


「じゃあ私は帰るけど、その前にこれだけ渡しておくね」


 舞那はリュックから貼箱を取り出し、直接心葵に手渡した。

 心葵は何も知らずに貼箱を開けるが、開けた瞬間にその貼箱の正体を理解した。


「じゃあまた明日ね」


 心葵が貼箱の正体をすぐに理解すると踏み、舞那は敢えて去り際に貼箱を出した。

 そして舞那はカーテンを閉めて、急ぎ足で病室から出ていった。

 舞那が出ていったことを確認した心葵は、貼箱の中に入っていた封筒を手に取り、封を開けて中の手紙を取り出した。


(これは……千夏の……)


 手紙に綴られた文字は大きさが整っておらず、誰が書いたのかが分からないほど歪んでいる。

 しかし一字一字の癖から、その手紙を書いたのが千夏であるとすぐに理解した。


 ―――せんぱいへ


 千夏は常人には耐えられない程の痛みを必死に耐えながら、心葵に貰ったボールペンで手紙を書いた。

 それ故に文字は歪んでしまったが、心葵は難なく手紙の文章を読み進めた。


 ―――お誕生日おめでとうございます。手紙で伝えることになってしまい、ごめんなさい。


 手紙の冒頭を読み、今日が自分の誕生日であることを思い出した心葵。

 一応、舞那は誕生日プレゼントと言って灰のアクセサリーを渡したが、状況が状況だったためはっきりとは思い出せなかった。


 ―――手紙と一緒に、私のアクセサリーが入ってると思います。いらないと思いますけど、私がこの世界にいた証拠として、できればせんぱいが持っておいて下さい。


 千夏の字は徐々に崩れていき、酷くなりつつある痛みを感じていることが伝わってくる。

 手紙を読み進めるほど、心葵は千夏の痛みを感じ、千夏の苦しみを感じているような錯覚に陥った。


 ―――せんぱいは怒るかもしれないですけど、できれば、せんぱいにはみんなと仲良くしてほしいです。一緒に戦って、最後まで一緒に生きてほしいです。


 プレイヤー全員で生き、誰も死なずに戦いを終えたいというのが千夏の本心である。

 心葵と共に戦うことは、心葵の思考に賛同すること。心葵と戦いたいがために、千夏は本音を隠してきた。

 しかし自らの死を悟った千夏は、嫌われることを覚悟の上で手紙に本音を綴った。


 ―――これからも、私はせんぱいを愛し続けます。千夏より。


 手紙を読み終えた時、心葵は自分が泣いていることにようやく気付いた。

 涙の正体は、私利私欲のため千夏に本音を言わせず、最終的に死なせてしまったことによる自分への怒り。そして、手紙を読むことで再びやって来た喪失感によるものだった。

 心葵は貼箱の中のアクセサリーを取り出し、涙で滲む目で見つめた。


(こんなもの無ければ……千夏は……!)


 このアクセサリーが千夏をプロキシーへと変え、千夏は殺される運命になった。そう思うと心葵はアクセサリーに対して怒りを感じ、無意識に握る力を強めた。

 しかしこのアクセサリーは、言わば千夏の遺品。壊そうとは考えなかった。


(この戦いに1人生き残って、神に等しい力を得たとすれば……私は真っ先に千夏を生き返させる。けど千夏が、私に他のプレイヤーと仲良くしろと言うなら……)


 心葵はアクセサリーを貼箱に戻し、ゆっくりと蓋を閉めた。


 ◇◇◇


 自宅に戻った舞那は、ベッドに座ってため息を吐いた。


「……もういいでしょ。そろそろ本当のことを話してよ、メラーフ」


 舞那の声に反応した……と言うよりも、舞那に呼ばれることを予期していたメラーフが、壁をすり抜けて舞那の前に現れた。


「……そうだね。とりあえず、プロキシーに邪魔されないためにも、一旦時間は止めておく」


 メラーフは指を鳴らし、プレイヤー以外の全ての時間を停止させた。

 そして各所にいるプレイヤーに話をするため、自らの声をテレパシーに変換、送信した。


『全てのプレイヤーの諸君、聞いてくれ。今まで君達に話してきた事の中には嘘が混じっていた。しかし今から、隠してきた真実をいくつか話そうと思う。各々意見はあるだろうが、なるべく静かに聞いてくれ』


 プレイヤー達は、突如聞こえてきたメラーフの声に反応し、若干驚きつつもその声に耳を傾けた。


「まずは……プロキシーの正体について話そう」

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