《32》 食人衝動

 8月3日。

 心葵は今日、17回目の誕生日を迎えた。

 しかし心葵は自身の誕生日すら忘れ、消えてしまった千夏のことだけを考えていた。

 自分は千夏を殺せるのか。

 千夏は生きられないのか。

 今どこにいるのか。

 今何をしているのか。

 会いたい。

 会ってどうするのか。

 会えばどうなるのか。

 戦うのか。

 戦えるのか。

 戦って自らが生きることはできるのか。


「千夏……」


 自室のベッドの上で、心葵は涙を流した。

 もう戻ってこないかもしれない千夏を思うと、今まで千夏と過ごした時間が遠く感じられる。

 心葵は既に父親を亡くしている。

 これ以上身近な人を、大切な人を失いたくない。

 考えれば考えるほど千夏の心は曇り、溢れ出る涙は止まらなくなった。


「まだ迷っているのかい?」


 どこからか現れたメラーフが、泣き止まない心葵に問いかける。


「言ってたよね? 心葵わたしに殺される覚悟はあるか、と。しかし君は言うだけ言って、いざその状況に陥ると実行に移せないでいる」


 図星を突かれ、心葵は無意識に目を逸らした。


「君達を見ていると思うよ。人間とはつくづく小胆で、脆弱で、矛盾にまみれた生物なのだな、とね」

「……あんたが……人間でもないあんたにが、知ったふうなことを言うな!」

「知ってるんだよ。僕は君以上に沢山の人間を見てきたからね。今の僕は、人間以上に人間というものを理解している」


 メラーフの言葉に押し負けた心葵は、再び目を逸らして唇を噛んだ。


「さて、そろそろ答えを出したらどうだ? 自らの手で大野千夏を殺すのか、それとも別のプレイヤーに大野千夏を殺させるか」


 メラーフの出す選択肢のどちらを選んだとしても、千夏が死ぬことに変わりはない。

 その選択肢は、どちらも心葵には選びがたいものだった。


「もし自らの手で殺すのならば、大野千夏の居場所を教えよう。しかし無理ならば、別の人間に依頼する」


 心葵は考え、頭痛が起きるほど迷った。

 千夏を殺したくない。千夏を殺させたくない。そもそも、こんなところで千夏を死なせたくない。

 今こうして迷っている間にも、千夏は激痛に苦しんでいる。千夏のためにも、心葵は答えを出さなければならない。

 心葵が迷い始めてから、時間は5分も経過していない。しかし心葵的には、その倍以上の時間を費やしていると思い込んでいる。

 しかし時間の感覚が狂う程に迷った心葵にも、ようやく決断の時がやってきた。


「……千夏は、どこにいるの?」

「……ようやく決めたみたいだね」


 ◇◇◇


 心葵の自宅から徒歩20分弱。そこには、取り壊しになった建物の廃材置き場がある。

 廃材置き場は現在、関係者以外立ち入り禁止になっているのだが、最早作業員すらも立ち入っていない。


(千夏……)


 立ち入り禁止のテープの前で、心葵は千夏に会う覚悟を決めた。

 変色が進み、醜怪な姿になっていたとしても、1人の人間として受け入れる。心葵はそう自分に言い聞かせながら、テープを越えて中へと入った。

 廃材置き場は広く、積まれた廃材で四方を囲っているため、外から中を見られることは無い。

 中は不規則に廃材が積まれており、関係者以外の一般人からすれば最早迷路同然である。


「……!」


 廃材置き場の中心。かつて関係者達が休憩所として使用していたため、比較的廃材が少なく広い。

 そこに千夏は立っていた。


「来てくれたんですね、先輩……」


 心葵が声をかけるよりも先に、背を向けたままの千夏が声を発した。


「よかった……私を殺すのが先輩で……本当によかった」

「……千夏が死ぬ必要なんてない。例え身体がプロキシーになったとしても、千夏が千夏であることに変わりはないじゃん。だから……帰ってきてよ……」

「もう……だめなんです……」


 心葵の思いも虚しく、千夏はそれを否定した。


「この身体になって……プロキシーになってようやく気付いたんです。なぜプロキシーが人を食べるのか……」


 千夏は未だ振り向かず、背を向けたまま話す。


「プロキシーは人を食べることで強くなる。けどそれ以前に、単純に人を食べたいと思ってしまうんです。だから私も……」


 少し躊躇ったが、千夏はようやく振り向いた。

 しかし、数日ぶりに見る千夏の顔は、心葵の予想を超越していた。


「人を……食べたいと思ったんです……」


 涙を流す千夏の顔は半分以上が変色している。

 そして口元と服が、誰のものか分からない血液で赤く染められている。


「まさか……食べたの?」

「……今、私の中には2人の私がいます。1人は、先輩とずっと一緒にいた私。そしてもう1人は、プロキシーになった私。気付いた時には、プロキシーになった私が……誰かを食べてました」


 千夏は誰を食べたのか覚えていない。何せ我を取り戻した時には既に、内臓と肉片しか残っていなかった。

 散らばったパーツから察するに、食べたのは女性。しかし年齢までは分からない。

 どちらにせよ、千夏は人としての禁忌を破り、人を食してしまった。


「私はもう後戻りできない……だから、もう1人の私が出てくる前に、私を殺してください……」


 千夏はさらに涙を流した。それも、心葵がいつも見てきた笑顔で。

 心葵はその笑顔を見て、千夏が死を覚悟していることを悟った。

 愛する後輩が死を覚悟しているのにも関わらず、なぜ自分はこうして迷うのか。心葵は自らの不甲斐なさを振り切るため、ポケットからアクセサリーを取り出した。

 震える手でナイフへと変化させ、


「うあああ! 変身!」


 心葵は変身した。


「千夏……私のこと、好きなだけ恨んで。私も……私自身を恨む」


 心葵はナイフを力強く握り、震える脚で千夏へと歩み寄る。


「恨みません……私は先輩を愛していますから……その分、先輩も私を愛してください」


 歩み寄ってくる心葵を迎えるように、千夏は涙を拭い両手を広げた。


「……あああああああ!!」


 千夏の心臓へ刃を突きつける心葵。

 震えは止まり、きっさきは正確に心臓を捉えている。

 このまま突き刺せば、ナイフは確実に心臓を貫き、千夏は死を迎える。

 しかし、ナイフが千夏の皮膚に触れる寸前、心葵の脳内に千夏との思い出が過ぎった。


(あ……)


 ナイフは止まった。

 心葵の中では覚悟したはずだった。

 しかし、寸前のところで躊躇ってしまった。その結果、


「がはっ!!」


 千夏は心葵の腹部を蹴り、心葵は後方へ倒れた。

 蹴られた際の衝撃は、プロキシーや変身後のプレイヤーの攻撃に匹敵している。

 そして心葵は悟った。たった今心葵を蹴ったのは心葵を愛する千夏ではなく、プロキシーの千夏であると。


っ……!」


 痛みにより集中力が途切れた心葵は、自動的に変身が解除されてしまった。

 そんな心葵を、千夏は紫色の瞳で見下す。

 顔の変色は濃くなり、涙は止まっている。さらに背中からは再び翼が生え、黒い髪が徐々に変色を始めた。


「……」

「っ!!」


 千夏は心葵の腹部をさらに蹴る。

 心葵は変身が解除されているため、プロキシーとなった千夏の攻撃で後方へ飛ばされ、そのまま積まれた廃材に激突した。


「ゲホッ! うっ……ぅげ……!」


 嘔吐する心葵。

 蹴られた衝撃で内臓が損傷したため、吐瀉物の中には血液が混じっている。

 さらに廃材にぶつかった際、左腕の骨にヒビが入ってしまった。腹部と腕にダメージを受けた心葵には、立ち上がる力すら残っていない。


(やば……このままじゃ……死ぬ……)


 気絶寸前の心葵へと歩み寄る千夏。

 千夏は右腕に紫の光を集約させ、心葵へトドメを刺すために腕を振り下ろした。


(死ぬ……)






 目をつぶって数秒経つが、未だに千夏の攻撃が来ない。

 千夏の身に何かが起こったのか。それともメラーフが時間を止めたのか。

 心葵はその真相を確かめるべく、閉じたまぶたを再び開いた。


「木場……さん……」


 そこには変身した舞那が立っており、盾で千夏の攻撃を防いでいた。


「目ぇ覚ましてよ……千夏!」


 舞那は右手に青い光を集約させ、強く握られた拳で千夏を殴った。

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