《2》 怪物
ブレーキを踏んだ誠一は、自らが走っている路上の数十メートル先を見つめている。眠気が吹き飛んだ舞那も誠一の視線の先を見つめ、車を止めた理由を理解した。
この道路は時間帯により交通量が多いのだが、今日のこの時間は交通量が少ない。さらに見通しが良く、この近辺には野生動物が少ないため、本来ならば急ブレーキをかけることは無い。しかし、今回ばかりは急ブレーキをせざるを得なかった。
「何……あれ……」
数十メートル先、2台が絡む追突事故が発生している。しかしそれはさほど重要ではない。重要なのは、その事故が起こった理由である。そしてその理由は、誰が見てもすぐに理解できる。
追突事故を起こした車の目の前に、身長3m弱の人型の怪物が立っている。怪物には目と口はあるものの、鼻と耳、毛がなく、皮膚は光沢のある紫。人型ではあるが、その禍々しい外見は最早人間ではない。
怪物は事故を起こした車を殴り、運転手ごと車を大破させた。そして怪物は死亡した運転手を引きずり出し、大口を開けて頭部から死体を喰い始めた。
死体からは鮮血が噴き出し、断面からは噛み切られた脳が流れ落ちる。さらに怪物が咀嚼する度に細かくなった身体の一部が口から零れ、見る者の吐き気を促す。
構わず食事を続ける怪物は、死体の服を剥ぎ取って胴体を喰らい始めた。先程落下したのは脳と眼球だけだったが、今回は肝臓や胃の一部が地面に落下する。怪物はさらに喰い進め、死体の身体から怪物の口まで小腸が繋がってしまった。怪物は上手く腸が噛み切れなかったようで、噛むことを諦めた怪物は麺を啜るように腸を吸い込んだ。
ズルズルという音を響かせながら腸を啜る怪物。そんなグロテスクな光景を見てしまった舞那は気分が悪くなり、胃の中のものが逆流してくるのを実感した。
しかし舞那は一人の少女。誠一の前での嘔吐を避けるため、込み上げてくる内容物を唾液と一緒に飲み込んだ。
「お父さん早く逃げよう……ねえお父さ……嘘でしょ……」
呼びかけても返事がない誠一。しかし、返事がないのは当然のことである。なぜならば、怪物が死体を喰い始めた時点で失神してしまっているのだから。
「ちょっと起きて! 起きてってば!」
必死に揺れ動かしてみるが、誠一は目を覚まさない。そして気付けば怪物は一人目を喰い終わり、続いて追突した側の運転手を喰い始めた。
怪物には目があるため、おそらく舞那達も認識している。つまり2回目の食事が終われば、次に喰われるのは舞那達である。
それを理解している舞那は、処刑を待つ死刑囚のような気分を味わった。
(どうする……! いっそ私が運転……って、やり方が分かんないから無理じゃん!)
自分と誠一が生き延びる方法を考えるも、結局解決することはできない。
そうこう考えるうちに怪物は二人目を喰い終わり、怪物は視界に入り込んでいた舞那を次の餌と認識。
腕を振り上げながら走り出し、出せる限界のスピードで舞那の乗った車へと走った。スピード自体は鈍いが、一歩、また一歩と、確実に舞那へと近付いている。
「い、嫌……まだ死にたくない……」
車と怪物との距離は残り10m弱。数秒前よりも近くなった怪物の顔を見て、舞那は自らが怪物に喰われる描写を瞬間的にイメージした。
頭が無くなり、腕が無くなり、上半身が無くなり、最終的には血と僅かな肉片しか残らなくなる。そんな自分をイメージした舞那は一瞬にして顔が青くなり、今にも嘔吐しそうな表情になった。
(だめ……食べられちゃう……!)
自分はこの怪物に喰われる。しかしそのイメージは現実にはならなかった。
「ひっ!?」
突如、フロントガラスが謎の液体によって赤黒く染められた。その液体によって視界は遮られてしまい、今自分が乗っている車の前で何が起こっているのかが全く分からなくなってしまった。
一体何が起こったのかを確認するため、舞那はドアを開けて恐る恐る車外へと身を乗り出した。
「っ!?」
そこには当然怪物が立っているのだが、怪物の見た目はこの短時間の間に著しく変化していた。
怪物の皮膚と筋肉、身体に詰まっていた臓物が裂けている。さらに頭頂から股にかけて切れ目が入っており、怪物の血液が大量に流れ出ている。フロントガラスに付着しているのは怪物の血液であり、十字に身体が斬れた際にその血液が噴出したのだ。胃や腸も斬られていたため、先程の運転手達が怪物の胃液や体液と共に路上に落ちる。
消化はできていないが、運転手達は噛み砕かれ原型を保っていない。グロテスクな再登場を果たした運転手を見て、堪えていた吐き気が再び込み上げてきた。
「うぷっ……うおぇ……」
漂い始める異臭と、グロテスクな光景に耐えかねた舞那は、車から下りて胃の内容物を吐き戻した。
休日は朝食を食べないこともあり、吐瀉物は殆ど胃液。多少昨晩食したものも混ざっていたが、消化されていたため最早何か分からない。
「ゲホッ! ぅえ……ガハッ!」
舞那が吐いている最中、怪物の死体は乾いた泥人形のように全身にヒビが入り、そのまま崩れ落ちて砂と化した。
先程まで怪物が立っていた場所には代わりに赤い髪の少女が立っている。その少女は車の横で吐いている舞那に気付き、足音を立てずに歩み寄った。
「大丈夫……じゃないか。まあこんなもの見ちゃったら、そりゃ吐いちゃうよね」
嘔吐により咳き込む舞那に、赤い髪の少女が声をかけた。少女は赤い巫女服とミニスカートという奇抜な着こなしをしていたため、舞那は少し気味悪がった。
「……お姉さん誰? じゃなくてあの怪物は何!?」
「あれ、記憶が……まあいいか。知らない方がいいよ。あれは普通の人が関わっちゃいけない。無理に関わろうとすれば、必ず面倒事に巻き込まれる」
巫女服風の少女は舞那に警告をした後、逃げるようにその場から離れた。
「何なの、一体……」
先程までフロントガラスに付着していた血液も、地面に流れ落ちた血液もいつの間にか消えており、怪物の胃から出た死体も消えていた。
結局その場に残ったのは、誠一の車を含めた3台の車と舞那の吐瀉物だけである。ありえないことの連続であったため、舞那は所謂『夢オチ』を期待したものの、喉の痛みと吐瀉物の臭いにより夢ではないと改めて理解した。
「そうだ……お父さん! 起きてお父さん!」
「ん……ん? あれ? もしかして寝ちゃってた!?」
なかなか目を覚まさない誠一だったが、舞那が全力で肩を揺すったことでようやく目を覚ました。
「あの怪物を見て気絶してたの! ねえ早く帰ろ!」
「怪物? 何言ってるんだ?」
「え……? ちょっと、お父さんこそ何言ってんの? お父さんも見たでしょ!?」
「夢でも見てたんじゃないのか? 少なくとも父さんは怪物なんて見てない。それより大丈夫か? 吐いたみたいだけど、もしかして酔った?」
「そんな……」
つい先程まで、怪物は確かに存在していた。誠一はそれを目撃したため車を停止させ、後に気絶した。余程の脳内変換能力がない限り、覚えていないわけが無い。
しかし誠一の言葉には迷いがなく、その顔を見ても誠一が嘘を言っているようには思えない。ましてや誠一は嘘をつくのが下手であることを自覚しているため、舞那や知り合いに対して嘘をつくことなどほぼ無い。
「舞那、疲れてるんだろ? 帰ったらゆっくり休むといい」
「う、うん……」
結局舞那は怪物の話を諦め、全ては疲労によるただの妄想だったのだと自らに言い聞かせた。
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