二章 狂犬の教鞭(体育)

「郷田、胴を打った後の重心がすこしずれている。もう少し左に寄せないと残心の際綺麗に戻らないだろう」

「!押忍!先生!」

「……」

 風紀委員室での勉強会から20分が経って、俺は剣道着に着替えて次の用事である剣道部の練習に付き合わされていた。と言っても基本的には外から口を出してアドバイスをし、最後の方だけ実践練習をするだけなので体力的には何ら疲れる事は無いのだが。どちらかと言えば肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が溜まりやすい環境だった。

「片貝はもう少し摺り足の練習をした方が良い。今のままじゃ動きに無駄が多過ぎる。もっと早く、そして大きく一気に間を詰めろ」

「はい、コーチ!」

「………」

 少しばかり上から目線な俺の発言にも素直な返事で返してきて練習を続ける彼ら。つい二週間前に大立ち回りしてボコボコにされたのにこんな腰の低い態度になってしまって、プライドとかは無いのだろうかと疑問を覚えながらもそれっぽい事を指導して何とか体裁を保とうとする。

「……今気づいたが菱塚は面の時に癖が出てるな。手首が上向きに一瞬動いてから振りかぶっている。研究なんてされないと思うが念の為注意しとけよ。予備動作の隙を突かれたら元も子もない」

「え…そんなのありましたか!?師匠」

「……ああ…。それと頼むから師匠は止めてくれ…落ち着かん」

「分かりました!先生!」

「…………………」

「へぇ~。やる気が無いなんて言ってた割にはちゃんと見てるんだね。セ・ン・セ・イ」

 果たして、面を付けて視界が悪くなっている彼らは俺の渋面に気が付いているだろうか。百歩譲ってコーチはまだしも先生や師匠なんて呼び方をされる気は欠片も無いのだが、今の剣道部には三年が居ないので基本的に同級生か下級生しか存在しないのだからもっと砕けた呼び方で構わないと言っているにも拘らず、この五日間一向に直る気配が無い。そんな呼び方に対して橘が弄ってくるのにも、もはや慣れてしまっていた。

 しかしながら今日に限っては橘の他に一人、豪快に笑い飛ばしながらこの状況を楽しんでいる人が居た。

「ハッハッハッハッハッハッ!いやぁー中々教師としての板が付いてるじゃねぇか、えぇ?名蔵先生よ」

「……西村先生まで勘弁してください…。と言うよりなんで本当に付いて来てるんですか。美術部だって暇じゃないでしょうに」

 俺の横、道場の壁に背を付けながら地べたに胡坐を掻いて話をしているのは美術教師の西村先生であった。本来ならば顧問をしている美術部の活動の方を見るべき人がどうして体育会系の部活をのんびりと見学しているのか。それは先程の風紀委員室からここまでの道中で出くわした所から始まる。

 木ノ崎の勉強を見てやって池上先輩への悩み相談も終わり、俺は少しだけ急ぎ足で校舎内を移動していた。幾ら強引に頼まれたからと雖も一度請け負うと約束をした手前、不真面目な態度を取るのはマズいと階段を駆け下りていると一階の曲がり角付近で見知った顔を見つけて急ブレーキを踏む。急に止まった事で前につんのめった橘からの文句もそこそこに聞き流し、ダラダラと汗を流しながら下を向いて歩いていた西村先生に話しかける。先生は俺が目の前に居るのに驚きながらも手間が省けたと前置きして聞きたい事があると言ってきた。どうやら俺の事を探していたらしく、この時点で西村先生が言いたい事は予想が付いた俺は四季桜の件かと先回りして話を振る。別段避けていたわけでは無いのだったが、巡り合わせが悪かったのかあの絵を美術室前に放置してから今日に至るまで西村先生と会う機会が無かったのだから、わざわざ俺を探してまでする話なんてそれしかないだろうと分かっていた。

こちらとしては両親からの追及は免れたので既に峠を越えた話であり、その直後から木ノ崎や剣道部から色々頼まれていたのでこの件の重要度が低くなってしまっていたのは申し訳ないと思いつつも絵の出所はお前かと聞かれたのでこれを肯定。隠す事でも無かったのだが、あまりにもあっさり口を割った俺に対して怪訝な表情をしてきた西村先生に俺は事前に考えていた嘘を話す。具体的には『橘が死んでから20年が経っていいかげん罪悪感が募ってきた頃に俺から西村先生が絵を見たがっている話を聞いて返そうと決心した』と言う内容。これを大元にワザワザ俺が返しに来た理由やあんな返し方になってしまった理由を適当に肉付けする。話の八割が嘘っぱちではあるが二割は本当である為真実味の欠片程度は匂うだろうし、少しでも疑念を抱かせられれば人間は好意的に解釈をしやすい生き物であると、橘と出会ってからの二週間で嫌と言う程実感させられたのでゴリ押してしまった。最初は怪しげな顔をしていた西村先生も、最終的には自己解釈と共に納得をしてくれた様な反応をした。昔教わった話術が役に立って良かったと思いながら、上に居る橘には「詐欺師も良い所」なんて言われたのが騙した様で申し訳無さを駆り立てる。とは言え、相も変わらず十割の真実なんて誰にも話せない状況は続いており今回の件だって誤魔化さなければ土台から信じてもらえる可能性なんてあるわけも無し。話の信憑性と真実を良い感じで混ぜ合わせれば、この辺りが落とし所だろうと自分に言い聞かせて先生を言い包めた。

本来ならば、西村先生の話も終わったのでこのまま別れる、と言うのが自然な流れの筈なのだが、この話をしている間に二時間目の本鈴チャイムが鳴ってしまい、遅刻への緊張からか視線が泳いでしまう。その落ち着きのない姿で何らかの用事があると西村先生は読んだらしくこの後の予定を聞いてきた。俺は一瞬悩んだものの時間も推していたのもありここ最近は剣道部の練習を見ている事を口にすると、先生は意外そうな顔をした後に大きく笑い、面白そうだから見学していくなんて言い出した。他の人間ならともかく、西村先生には俺が人に物を教えるなんて恥ずかしい姿を見せたくなかったので文化祭の事や道場への部外者立ち入りはどうかなど対外的な理由でやんわり断ろうとしたが全部効かず、それどころか時間が推しているなら立ち話などしている暇はないだろうと逆に丸め込まれてしまって、渋々こんな醜態をさらす羽目になってしまった。

この際、橘にも何か西村先生を誘導できる良い方法は無いかとハンドサインで意見を求めてみるも奴は「ニシケンも一度決めると梃でも動かないから無理だと思うよ?」とけらけら笑いながら諦めの姿勢。つくづく使えない幽霊だと言いたかった。

「さっきも言ったろ?俺が色々口出しして作った物なんて美術部の製作物にはなんねぇんだよ。どんなに見栄えが悪くても奴らが頭と手を使って自分達だけで作り上げた物が一番良いんだよ。そう言う方が十年後とかに思い出した時、きっと良い思い出になる」

俺の問いかけに、それで駄作だと笑う奴が居たら俺がぶっ飛ばしてやると最後に付け加えて豪快に笑う西村先生。昔から生徒の事を第一に考えて動いてくれる素晴らしい教師であるのは間違いないのだが、もう少し生徒の心の機微についても考えてくれると個人的には大層嬉しい所である。目頭を抑えながらそんな事を考えていると、橘も慰めるように口を挟んできた。

「まーまー、咲良が考えている事も何となくわかるけどさー。ニシケンも悪気があって来てるわけじゃないんだしそんな邪険にしないであげてよ」

 そんな事は分かっていると、俺は首の裏を左手の親指で掻いて答える。寧ろ西村先生は俺が剣道部で浮いているのではないかと心配して来てくれているのだろう。だからこそ何も言えないので困りものであるのだが。

「…それで美術部員の人が先生を探し回っていても、俺は知りませんからね」

「俺の放浪癖なんて今更よ。十分探して見つからなかったら諦める連中には仕上げたつもりだぜ」

 西村先生の発言にそれはそれでどうなのだろうかと、恐らく俺も橘も考えがシンクロしたような気がしながらも俺は溜息を一つ漏らして視線を男子剣道部の方に移す。

「倉内はもう少し体格を生かしても良いかもな。その図体は立派な武器になると思うぞ」

「…ウス」

前に俺が飛燕斬を食らわせた倉田に軽いアドバイスをしてから俺は再び全体を見渡す。今は乱取りの時間であり、ここで俺が各部員の特徴や短所を見て個別に練習をすると言うのが今日の流れである。

「永山は…攻めっ気をもう少し隠したほうが良い。そんな前傾姿勢だと打って下さいって言ってるようなもんだ」

「……」

今来ている最後の男子部員に口出しをして俺は一息つく。永山からの返事は舌打ちであったがこれもしょうがない事。今回俺のコーチングを頼んできたのは主将の郷田であり他の部員達に説明をあまりせず独断で決めた事らしい。事後報告で納得してくれた部員もいるが、当然永山の様なポッと出の俺に指導されるのが不快な人間だって存在する。因みに、男子剣道部の部員数は総勢七人で今居る人数は五人。来ていない二人は俺が居る午前中は出ないで午後からの予定なのだろう。前に郷田がそれで注意をしていたが、最終的に俺が無理強いをすべきではないと説得する妙な立ち回りになってしまった。

とは言え、永山も俺の事を嫌っていた一人ではあるが来ていない二人に比べるとまだ改善の見込みがあるかも知れないと思える。俺の意見には大抵無言か舌打ちでしか答えないがその後の練習ではきっちり反映してくれている。個人的にはああいう反骨精神がある奴が一番好きなタイプなので特に指摘をする気は無い。

そんな各人分析をした所で、次の乱取りに移動する際の右奥の人間を見やる。乱取りはバレーの様に時計回りで回しながら行う為、奇数ではあぶれ者が出てしまう。それを回避しようと最初は俺が中に入ろうと思っていたのだが、隣で練習している女子部員の一人が穴埋めをすると言ってこちらの練習に加わった。それが誰かなんて、言うまでも無いだろう。

「……メェーーン!メン!」

 フェイントを一瞬かませながら相手の構えをブレさせてそのまま鍔迫り合いの形にして一気に引き面。俺は綺麗に決めるものだと思いながら感心していた。他の二組よりも圧倒的に早く終わってしまい、相手だった菱塚と共に左右の打ち合いを見ていた。

「いや~、にしても男子に交じっても打ち負けないって凄いね能代ちゃん。流石は咲良センセイの秘蔵っ子って所だね」

 俺の上から見ていた橘も茶化しながら能代の事を褒め称える。事実、俺としても何か言う事が無い程度には今の打ち合いは完璧であった。しかしながら、俺が教えているだけで秘蔵っ子と言うわけでは無いので右肩を中指と人差し指で揉む仕草をする。このハンドサインは『黙ってろ』だ。

「!ムキー!そうやってぞんざいに扱うと怒るよ!呪っちゃうぞ!」

 俺の頭をパスパスと殴る素振りを見せながら暴れる橘を他所に、秘蔵っ子と言う単語を聞いてふとある人間を思い出す。池上先輩との話でも上がったが、甲月の奴は元気にしているだろうか。

「先生!乱取り二週終わりました!」

「あぁ、んじゃ皆少し休憩取ってくれ。その後はいつもの個人練習で」

「押忍!」

 乱取りを終えて俺の元に寄ってきた郷田に指示を出した所で、俺も休憩を取ろうとその場に座り込むと、頭の海抜が同じになった西村先生が肩をバシバシ叩いてきた。

「それにしても良くやるなぁお前さんも。腕っぷしに自信があるってのは知ってたがまさか剣道を教えられる程だってのはなぁ。能代の奴から聞いた事はあったが想像以上だったぜ。どこかで習ってたのか?」

「…まぁ、そうですね。剣道は習ってませんでしたが他の武芸を少しだけ」

 西村先生からの質問に俺は曖昧に答える。四谷道場の話は基本的に隠している事であるため、事実を知っている一部の人以外にはこのようにぼかした返ししかできないのが地味に辛い。能代には独学なんて言っているがそれもどこまで押し通せるかどうか。

「咲良って意外と秘密主義だよねー。さっきの…四谷道場?って話も基本的に隠してるし。そんなに強かったら自慢げに語っても良いと思うんだけど」

「聞いても無駄ですよ、西村先生。私だっていつもはぐらかされてるんですから」

 橘のボヤキに被さるように話に混ざってきたのは能代であった。面と頭巾をを取ってポニーテールを揺らしながらこちらに寄って来て、二歩引いた所で円陣を組む様に正座で座った。

「へぇ、能代にも話して無いのか。そりゃちょっと隠し事が過ぎるんじゃないか?名蔵よ。今の言い方だと能代の奴も知りたがっているみたいだしよぉ」

 ニヤニヤしながら含みを持たせて能代の援護をする西村先生から目を背けて、俺は肩をすくめながらどういったものだと考える。

先程知った話だがこの学園にも四谷道場の門下生、それも上位の頭巾を持った人が居る以上いずれ知られてしまう可能性が非常に高い。池上先輩には剣道部の指導をしている事も知られてしまっているのでこちらに来られたらアウトであり、そこで隠し事をしていたのを能代にバレてしまえば信用を損なうのは必死。ならばある程度自分から話してしまった方が良いのかも知れないと俺は考えた。ここに居るのが中学からの付き合いである二人なのも、都合が良い。

「…大した話じゃないから隠してるんですよ。昔ある道場に通っていたんですけど、ちょっとした理由で除籍されまして名乗る気も無かったから隠してた。それだけの話です」

「……ふむ」

「それだけの話、ねぇ…。にしても除籍って、当時のお前は何やらかしたんだ?」

「師範代に喧嘩売っちゃったんですよ、そんで除籍です。今にして思えば若気の至りでしたね」

 当時の事を思い出して朗らかに笑う俺。あの頃は本当に勢いだけで恥ずかしい事をしたものだと、我が事ながら自然に笑いが漏れてしまう数少ない事柄である。そんな俺を見ながら、何か考え事をしていたような能代が口を開いた。

「……その道場と言うのは、四谷道場の事か?」

「…は?四谷道場ってお前…」

 能代の言葉に合わせて西村先生は驚くような反応をしていたが、俺はと言えばまさか能代の口からその名前が出てくるとは思わず呆気に取られてしまった。確かに一度だけ能代の目の前で四谷先生と通話した事があったが、そこから推察したのであろうか。上に居る橘も能代の推理力に感嘆の息を漏らしていた。

「あぁ、そうだ。…良く分かったな、能代」

 俺がそう言うと、能代はそうでも無いと言って少しだけ遠い目をしながら返事をする。

「色々と符合する事があったからな。成る程…」

 そう言った能代は何かを噛み締めるような顔をして黙りこくってしまった。符合する事があったなんて口にしていたが、彼女と四谷先生の接点なんて妹の矢矧くらいしか思い当たる事が無く、どこから推理できる要素があったのだろうかと気にかかったが、それを気にする前に西村先生が目を細めながらしみじみとした口調で聞いてきた。

「にしても、四谷道場って言えばこの国でもトップクラスの剣道場じゃねぇか。そこの師範代に喧嘩を売るってのは…お前さんも随分ヤンチャだったんだなぁ」

「えぇ、本当に。アホな事はするもんじゃないですね」

「……。ん?…あれ?」

最後に三人が笑って話を締めた所で話は終わるものの、その輪からは外れている頭上の橘は何かが気になったようでしきりに首を傾げて唸っていた。やはり池上先輩の話と今の話を両方聞いたコイツならば、今の話の矛盾点、と言うよりは話して無い点に気づいてかも知れない。この幽霊の勘は意外と馬鹿に出来ないのはこの前の一件で理解している。

「だがお前も嘘はよくねぇなぁ。剣道は齧った程度なんて前に言ってたが四谷道場で習ってて齧った程度なんて嘘八百もいいとこじゃねぇか」

「いえ、本当に齧った程度なんですよ。あそこで習うのは剣道では無くて剣術ですから。せいぜい剣道の教えで使えているのは体捌きや摺り足の練習くらいですよ」

 この話は殆ど事実である。四谷道場で習うのは基本的にオリジナルの型の動きとそれを実践で使えるようにする練習であり、剣道の構えや面や胴の型を重視する動きをやれと言われてもロクに行う事が出来ない。一応俺は『春疾風』や『木枯』に『飛燕斬』を修めているので、その型の要領で胴や残心を行って誤魔化しているが、面は独学で練習した付け焼き刃。恐らく剣道の大会で使っても一本は取れないだろうと言う自覚はある。あと使えるとしたら『鵺』くらいのものである。

「動きだけで一本も取れなくなるようでは剣道部も形無しなのだがな。いつになったら私は名蔵から一本を取れるのだろうか」

「そんなに強いのかこの男ぁ。毎日朝から練習してるとは聞いてたが…。……まさか今まで一本もって事はねぇだろ?」

「そのまさかですよ。少なくとも私は教えてもらった一年間で、一本も彼からとった事はありません」

 能代がやれやれと言わんばかりの溜息と共に連敗の記録を口にすると、先生は呆れた様に俺の事を小突きながらお説教を始めた。

「かーッ、それで齧った程度なんて言われちゃ逆ギレされてもおかしくねぇぜ?名蔵よ。謙虚も過ぎれば傲慢になるってもんだ、もう少し相手の事を考えて自己評価ってのを行うべきだな」

「いや、でも実際俺の剣道はトリックみたいなもので…」

「手品だっていいじゃねぇか、ばれなきゃイカサマなんて証明出来やしねぇ。少なくとも剣道の授業や剣道部の練習じゃ誰も気づけねぇんだろ?だったらいいじゃねぇか。美術教師だから言えるが、誰にもバレねぇトリックをテクニックって言うんだよ。なぁ能代よ」

 捲し立てて喋る西村先生はそのまま能代の方に同意を求める。俺もすぐさま能代の方を見て何とか言ってくれと目で訴えてみたが、能代は俺と目を合わせた後に少しだけ悩んだ素振りで髪の毛を揺らして、ニヤリと口元を曲げた。

「そうですね。そういう意味なら確かに名蔵のトリックはテクニックと言っても差し支えないと思います。去年の授業で内田先生が名蔵から一本を取られた話などもありますし、少なくとも実力は折り紙付きです。もしアレをトリックなんて言おうものなら、それを見抜けなかった内田先生に対する侮辱に繋がる。…そうは思わないか?名蔵」

「…それをこの場で言うか……能代」

意地悪そうな笑みを浮かべた能代は、俺の痛い所を完璧に突いた言い分を口にしてこちらの様子を窺うようにじっと見つめてきた。能代の言葉を聞いて口笛を吹いて称賛する橘は放置するとして、この能代の言葉に対してどんな反応をすればいいのか、頭をフル回転させて考えなければならない状況を作られてしまった。

今になって急に一年の頃の話を引っ張り出したのは間違いなく俺を追い込む為だ。その証拠に、先程まで女子剣道部員の練習を見ていた剣道部顧問の内田先生がこちらの方を睨んできている。あの様子ではこちらの会話を完全に聞き耳立てているだろう。あの時は久々に竹刀を握って少しばかり舞い上がっていた所で授業の最後に全力を出して良さそうな内容になったので意気込んで挑んだら運良く胴が入ってしまっただけなのであるが、果たしてそんな言い訳が通じるかと言われたら絶望的だと考えなくても分かる。しかし、問題である手品の種を明かせば、それはそれでオカルト染みた話になるので信じてもらえるかどうか。どちらにせ完全に信じてもらうのは無理な話であり、どちらの方がまだ話しやすいかと言う内容である。オカルトか、偶然か。

「…アレ、大丈夫?咲良。顔が青ざめてきてるけど」

 最初は茶化してきていた橘が不安になって心配してくる程度には、今の俺は緊張しているのだろう。しかしながら、この後の発言一つで要らない敵を増やす事になりかねない状況で軽口を叩けるほど、俺のメンタルは強くなく結局は無難な選択肢を選んでしまう。

「…結構色々言われてますけど、実際に俺の出来がそんな良い訳無いでしょう。確かに俺は四谷道場で色々小技を使えるようになりましたけど、それだけで剣道の教師から一本とれるわけが無い。本当に偶々だったんですよ。もう一回やったら、と言うより実際にその後は一回も取れてないですし、それは今やったとしても変わらないでしょう」

「本当か…?なんだかんだ言ってお前さんの実力があるって事なんじゃないのか?」

「そうだよ咲良、さっき風紀委員の偉い人も言ってたじゃん。なんかスゴイ段位を持ってたって。それって相当な実力が無いと取れないんじゃない?」

 怪訝そうに聞き返してくる西村先生と先程の話を聞いている所為で要らん事に気づいた様子の橘から怪しい視線を向けられる。気が付けば休憩を取っていた男子剣道部の面々や女子の方までこちらの話の行方を気にしている様子で10人以上いる筈の道場が酷く静かであった。そんなに面白い話はしていないのだが、存外話のネタが少ないのだろうかと思いながら眉根を潜めて俺は西村先生に対して答えた。

「確かに実力はそこそこあるかも知れませんが、それは剣道の実力ではありません。それを言ったら内田先生なんて剣道五段だった筈です。初段獲得から10年以上続けないと貰えないベテランの証だ。俺なんかとは文字通り桁違いのキャリアの差です。もう一度剣道の試合を行えば、食らいつける可能性はあれどきちんとした一本を取るのは難しいでしょう。審判が真面目な人達ならば尚更です」

 内心で冷や汗を掻きながらも、咄嗟の判断にしては上手い事落とし込めたような気がする発言に安堵しながら胸を撫で下ろす。相手を立てつつ持っていけない状況の指定などをしてこの場での衝突を避ける。少々卑怯な言い方だったかも知れないがこうでも言えば実際にやってみようみたいな状況になる可能性は低いだろう。

それに、先程から口にしている『勝つのが難しい』と言うのは本心からの発言。初めての時は内田先生の油断などもあり何とかなったが、相手が剣道のベテランで、こちらは本来付けることを想定していない面や防具などを付けた状態、更に剣道の型に縛られた状態となればこちらの勝機は薄い気がする。それこそ、俺のトリックに気づかれようものなら動体視力だけで防がなければならない。それは些か分が悪すぎる。

 試合に勝たなくて良いと言うのならば話は別なのだが、今の話は俺が内田先生より剣道の実力があるかどうか。ならば、この話はこれでお終いである。

ふと、随分と喋ったような気がして道場内の時計を見ると休憩を取り始めてから15分以上経過していた。これ見よがしと俺は立ち上がりながら大きく手を叩いて男子剣道部の方を向きながら声を掛けた。

「オラお前ら!人のプライベートよりも自分の事だ、休憩も十分に取っただろうしさっき言った個人練習に移れ!今日は最後に俺が全員の調子を見るからそこん所含めてしっかり調整しとけよ!」

「うぇっ、今日の練習は咲良も動くのかぁ…、つらいなぁ……。それにしても…」

 俺の言葉で、こちらの方に視線が向いていた男子部員達は慌てて立ち上がり各々で間隔を取りつつ個人練習を始めた。物好きな連中だと思いながら鼻を鳴らすと、能代も腰を上げて伸びをしながら袴の尻を払って準備を始めた。

「さて、私は一旦女子の方に戻らせてもらう。了承を得ているとは言えあまり離れると部長としての威厳が無くなってしまうからな」

「おう。わざわざ俺を弄る為に内田先生を出汁にしたんだからこってり絞られて来い」

「あぁ。名蔵の流しの時はまたそちらに戻るからそれまではシゴいてもらうとするさ」

 そう言って能代はどこか楽しそうな足取りで女子の方に混じっていった。本人にも聞こえる声で悪口とも言える事を喋っておきながらあの調子なのだから、随分と芯が図太くなったと嬉しさ半分、心配半分で見送る。本当にいつか能代の両親に娘が擦れた原因と抗議されるのではないかと思っていると、西村先生と橘が二やっと俺の方に向けて一言。

「逃げたな」

「逃げたね」

「……一応聞いてみますが、能代がって話じゃないですよね」

俺の問いかけにまたしても、当たり前だとシンクロするこの二人は本当に仲が良かったのだろうと思わされてしまう。だがそんな事を気にする暇は無く、俺は大きく息を吐きながら二人の否定を始めた。

「……さっきの話は事実ですよ。俺はそこそこに腕は立つかもしれませんが剣道と言う枠組みで勝負をすれば勝つのは厳しい。四谷道場で習った剣術を使って良いと言う話ならまた違うとは思いますが…。それこそよもやま話でしょう」

 今日は様々な人から追及をされているような気がしながら俺は大きく息を吐いて話を締める。今日は高校に入ってからで一番自分を語った日かも知れないと思い返していると、西村先生は最後に豪快に笑って同意した。

「まぁ今日はお前さんの強さの秘密について分かっただけでも十分な収穫かね。まさかあの四谷道場に通ってたなんてなぁ…」

「いくら国内トップクラスの名門でも中の門下生はピンキリですけどね。風紀委員長の池上先輩は相当上の方らしいですけれども」

「へぇ、正国の奴も四谷道場の門下生か。こりゃ俺も奴の前でオイタは出来ねぇな」

そう言って話を終え、個人の動きを見る為と言って俺は西村先生の元を離れて反対側の端っこに立つ。こちら側に来たのは部員の動きを見ると言うのは勿論だがもう一つ、頭上の奴が何か言いたそうな感じだったからと言うのもあった。

「……何か気になる事があるのか?」

 俺はなるべく小さな声でそう呟く。ここ最近で分かった事であるが、どうやらコイツと会話するときには声の大きさは関係ないらしく、言葉にさえなっていれば掠れた声でも橘には通じる。体が触れているからもしかしたら振動で伝わっているのかも知れないが、飽くまでも推測。俺達としては存外会話がしやすいと言うのが分かっただけで十分な事だ。

「うわっ、話しかけてきた。…人の多い場所だけど大丈夫なの?咲良」

「前にもやったし小声なら大丈夫だろ」

「まぁ確かに。口さえ隠せばばれなかったもんね。いやまぁ聞きたい事もあったような気がしたけど…、どちらかと言えば…怪しい感じ?不自然って言うの?」

 急に話しかけられた橘は驚きながらも俺にそう言い放つ。先程まで会話が出来なかった反動からか、少々言い方が嫌味ったらしく感じる。俺は欠伸をする振りで口元を隠しながら橘と話をする。

「風紀委員室で話を聞いてればまぁ不自然だわな。それで?お前は何が聞きたいんだ?」

 俺としては、誰に言いふらせるわけでもない橘ならそのまま奴が気にしているであろう事について答えても良かったのだが、折角なので奴から聞かれた事だけを答えようと悪戯心が湧いてきた。

「えっ…、んーと………。あぁそうそう!咲良が辞めちゃったって言う道場!あれの辞めちゃった理由の話で咲良は師範代に喧嘩を売ったからって言ってたけどあれ、本当の理由じゃないんじゃない?」

「その根拠は?」

 自信ありげに聞いてきた橘の質問は予想と全く同じものだったので、俺は即座に切り返す。これも橘とのコミュニケーションで分かった事で、奴は頭の回転がそこまで早くないのか会話でも間を置かないとテンポを崩して話がこじれやすくなる。これを用いて、何回か話すのが面倒な内容になった時に煙に巻いている。

「えっ、根拠?……うーん…。あぁ!アレだよ!さっき風紀委員の偉い人が言ってた話で、咲良スッゴイ強かったんでしょ!?なのにニシケンとかに話した時にはちょっと強いですよ程度に話を抑えてたし。しかもそれだけ強かったんなら師範代に喧嘩売って除籍っておかしくない?もっとなんか対外的な理由があったりとかしたんじゃないの?」

 はしゃぐような声で自分の論を展開する橘。流石に池上先輩からの話も聞いているだけあって良い線を突いてはいたが、やはり途中から少しずつ論理が破綻してきていた。もう少し違う所のヒントに気づければ俺に聞かずとも答えが分かったであろうに。

「別におかしい事は無いだろ。強さに自信があったから師範代と一騎打ちした。ただの門下生が師範代に勝負を挑むなんて言語道断だが相手は負けた方が道場を去ると言う条件で勝負を承諾してくれた。…んでもって現実で道場を去っているのは俺だ。真実はこんなもんだよ」

 俺は隠蔽した真実を語って橘を論破する。今の話だけならば矛盾点は一切見つからない論破であるが、まだ橘は拾い切れていない謎がある。それを拾えるかどうかがこのゲームの趣旨だ。

「…むむ、なんか限りなくそれっぽく聞こえるけど…、あれ?やっぱりなんかおかしい気が…」

 ブツブツと呟きながらまた考え始めた橘を見て、この隙にと俺は近くに居た郷田と菱塚に口を出す。

「菱塚!もっと歩幅広げろ!それで戻れないようならスクワットなりなんなりで足腰の強化からだ!そして郷田は少しブレてるぞ!ちゃんと白線からキッチリ体二個分ずれろ!」

「「押忍!」」

 突然の俺の大声で驚いていた二人(と幽霊)であったが、すぐさま気を取り直して指示を取り入れていた。あれだけ聞き訳が良いのも少しばかり心配になるが、それはそれとして俺は再度口を隠しながら橘に話しかける。

「どうだ?さっきの質問で終わりならそれで良いが」

「あー待って待って。いや、絶対なんかおかしい。何がとは言わないけどスッゴイもやもやするこの感じ…昔味わった屈辱の味」

「…なんのこっちゃ」

 何か良く分からない事を口走りながら橘はうんうんと頭を悩ませる。そこまで考えないと出てこないならたいした事では無いと思うのは俺だけなのだろうか。だがこの幽霊、記憶の連結がどうなっているのか分からないが突然の閃きがあったりするので馬鹿に出来ない。

「ん~…?むむむ……。…ッ!そうだよ!やっぱり今のおかしいって!だってだって、そんな喧嘩別れみたいになった状態だとしたら咲良の札を残すような真似はしないと思わない?それに影の師範代なんて噂が流れてたらその師範代って人も良い気分じゃないだろうから潰しに掛かると思うんですけど、私!」

案の定、橘はこの嘘についての矛盾点をきっちり示唆してきた。影の師範代の方では無く札の謎から話を持ってくるあたり橘らしいと言えばいいのであろうが、札の話も影の師範代なんて噂も、先程に初めて知った内容ばかりなので俺としても疑問が多い内容である。よって、俺は首を傾げながら橘にこう言うしかない。

「そう言われてもなぁ。俺もその話については初めて聞いたし驚かされたから何とも言えん。まさか除籍した人間の札が残ってるなんて思わないだろ、普通。実際、他の辞めた門下生の札は燃やしてる筈だし。それこそ神のみぞ知るって所か」

「え、えぇ~…。自分の事だよ?そんな投げやりで良いの?咲良」

「良いのも何も、俺はもう辞めた身だからなんも関与できん。それに影の師範代なんて噂もどれ程広まっているかも分からんだろう。案外池上先輩の近くだけで広まっている話かもしれないだろ?」

 俺のあっさりした返答を聞いた橘は気が抜けたらしく肩を落としたような仕草を見せた。これ以上の追及は出来ないらしい。惜しかったな、なんて思いながらも俺は口元に置いていた右手を降ろして他の部員達にも檄を飛ばす。本当に、自分でも何でこんな事をしているのだろうかと疑問に思ってしまうが、西村先生の言う通りに少しでも板に付けばなんて考えながら個別練習の時間を過ごした。



「よーし、午前中の仕上げだ。防具を付けて一列に並べ!流しやるぞ流し!例によって俺から一本取れたら俺の指導からは卒業だ、今後は俺が居ても自分で練習しても構わないからな!」

 部員達に個人練習を行わせてから四十分程が経過して、そろそろ昼時が近くなってきたのを確認して俺は手を叩きながら彼らにそう告げる。それを聞いた男子部員達は一様に気合の入った声を出しながら列を作り始め、能代は女子の方に断りを入れてから形成された列の最後尾にちょこんと並ぶ。どちらも思惑は違えど俺との流しに対するやる気の高さを滲み出させていて、苦笑を漏らしながら俺は橘からの文句を聞きつつ速やかに防具一式を付ける。

「何で咲良も剣道やるのさー。別に教えるだけなら面被んなくたっていいじゃん」

「面倒見てやるって言った以上真面目にやるのが俺の主義だ。打ち合えば短所がわかる。そこを指導してまた打ち合って別の短所を見つける。これが一番手っ取り早い」

「そうは言ってもさー…咲良の上に居る身としてはやっぱりツラい訳で。目の前を竹刀が掠めて怖かったり咲良のワケ分かんない動きに振り回されたり掴む所が少ない所為で首絞めみたいな持ち方しなきゃいけなかったり」

 恨みがましそうに喋る橘の言い分は半分以上が泣き言であった。持ち手が首しか無くて見栄えが悪いなんて誰にも視認できない事でうだうだ言われても仕方ないとしか言えず、竹刀が掠めて怖いだの動きに酔うなんて事を言うのならば俺から手を離して屋上で待機していればいいのだからそれをしないお前が悪いとしか言えない。

「怖いなら先に帰ってればいいものを」

 面を付けながら俺はそう反論をする。面をつける事で視界が悪くなるので相手の口までは見えなくなるのでこの手の隠れて行う会話にはもってこいである。にもかかわらず橘はこれから始まる絶叫系アトラクションが不満なようである。何とも我が侭な話だ。かと言って俺がこう言うと、対応が雑だとこれまた文句を垂れる。どうすればいいと言うのか。

「やーだね!私が先に屋上帰ったら咲良百パーセント迎えに来てくれなさそうだもん!だったら我慢して上からグチグチ言ってる方がマシだね!」

「それをされると俺が辛いんだがな…」

 一応俺は前にこのような話題になった時にその可能性を否定したのだが、思い込みとは怖いもので橘には言っても聞かなかった。どの道奴も耐えられなくなったら自分から手を離すだろう。まさか華厳の滝を俺に降らせる事にはならないだろうし、仮に滝が出来ても俺にそれが当たるかと言われたら、涙も当たらなかったのにそれが俺に当たるとは思えない。第一、そうなった時に奴は何を吐き散らすのだろうか。それはそれで興味はある。

 胴紐を閉めて籠手を付ける。四谷道場の練習ではこのような物を一切付ける事は無いので手の感覚や重さなどに慣れず、軽く摺り足の練習をしながら竹刀入れの方に移動する。そこから抜き取った竹刀を左手で握り軽く振りながら間合いと感触を確かめて構えを取る。昔振り回していたモノとは材質や長さが違うので間合いや重さに一々確認が必要なのは難儀であるが、こんな所に雨紫光を持ちだす訳にはいかない。

「……前に練習してた時から思ってたけどさ。咲良の構えっておかしくない?そもそも竹刀って両手で握るものだった気がするの」

 橘の疑念も最もである、恐らく西村先生もほぼ同じ事を考えているだろう。実際始めて俺の構えを見た能代や男子剣道部員は皆似たような事を口にする。しかし、昔俺が習ったものからするとこれが一番しっくりくるのである。とはいえ、一応この型も構えの一つにはなっているので文句はあまり出ない筈だが、異質であるのは間違いない。

「よし、待たせたな。それじゃ始めるぞ。最初は…郷田か」

「押忍!お願いします!」

 列の方に戻りながら全員に話しかける。最初に並んでいたのは剣道部主将の郷田であった。後輩も居るから先陣を切ってきたという所だろうか。

「礼とかは特にいらんぞ。構えたらいつでも攻めてこい」

 俺が左片手中段の構えを取りながら一言口にして開始する。基本的に自分がカウンターを主にする剣士であるためこちらから攻めると言う事はあまりしない。片貝や今日は居ない望月などが相手の場合はあちらも待ちの人間な為こちらから攻めざるを得ないのだが、大体こうやって相手の悪い所を指摘して翌日からの練習に指標とする。これが俺の練習法である。

 準備は万端だと言わんばかりに剣先を郷田に向けると、相手も理解して中段の構えを取る。初回は片手で馬鹿にしているのかと言いそうな態度であったが、今回は随分と真面目な雰囲気である。2m程の間が開いた状態から小刻みに動いて詰めようとする郷田。それに対して俺は磁石の様に郷田の正面をピッタリと向き続けてその場から一歩も動かない。本来ならば微妙に動いた左右に対して相手の気が逸れた所を狙うのが郷田の常套手段らしいが、こんな事をしなくても相手の責めるタイミングが分かる自分にとっては意味の無い事である。

右、左、右、右。僅かにぶれる方向に体を合わせて面の奥を睨む。郷田はこれ以上詰める事が出来ずに後退と前進を繰り返していた。実を言うと、この間合いは既に自分の範囲であるので攻めようと思えばいつでも攻められるのではあるが、俺はのんびりと郷田が攻めてくるのを待つ。郷田に覚えて欲しいのは攻めた際の動きでは無く、攻めた際にカウンターに対する切り返しである。

「…………」

 とは言え、このままではいつまで経っても攻めてこないかも知れないので、郷田を焦らす意味も込めて俺は一瞬だけ前傾姿勢を取る。俺の頭が動いた事に怯えたのか、郷田は一気に列付近まで後ろに下がり俺の間合いから離れる。下がれた事は良い事だがあそこまで下がらなくても良いのでは無いかと苦笑が漏れてしまった。そこまで恐怖を刷り込んだりはして無いはずなのだが、あれが郷田の短所だろうか。

 少し時間が経って郷田がさきほどまでの距離に戻ってくる。急に攻め込まれた事による恐怖からか動きがソワソワしていて集中力が散漫、と言うよりはどこに気をつければいいのか分からないという感じだろうか。どちらにせよ、他の部員も見る必要があるのでサクサク終わらせなければならないと、俺は持ち手の握りを強めて振りかぶりながら一気に間合いを詰める。

「タァーーーーッ!」

俺の動きで郷田はまた後ずさりしたが、それも考慮して詰めたので丁度胴の踏み込み分の間が空き、俺は一瞬だけ右足を前に擦ったあと一気に右胴を打ちこみ俺の掛け声と共に乾いた音が響く。審判がいるわけでは無いが決着がついたものと互いにみなしている雰囲気があったため、そのまま俺は残心をして振り向き、元の位置に戻りながら郷田に感想を伝える。

「動きがビビりすぎだ。そんな小刻みに動いたって自分のバランス崩すだけだぞ。待つなら徹底的に待て。攻めるならガンガン攻めろ。半端な動きは狩られるだけだ」

「押忍!ありがとうございます!」

「…ハァ。次!…永山か」

 相変わらずのテンションに溜め息を漏らしつつ次の相手を呼ぶ。返事も無しに構えを取るのは永山くらいであると思いながら俺も構える。

――――次の瞬間、永山の敵意が跳ね上がった。

それを感じ取った俺は一気に集中して奴の動きを見る。視線の向きや力の入れ具合に変化は無く、敵意は俺の顔を見ながら向けている。

――面だ。

「ラァッ!」

 気迫と共に竹刀を振りかぶって詰めてくる永山。この時点で胴がガラ空きなので打ち込んでしまっても良かったが、二回連続で胴も芸が無い気がしたので少しは趣向を変えようと少しだけ竹刀を斜めに持つ。

「カアッ!」

 永山の面を竹刀で捌く時、横に弾くように振ってそのまま引き面の形を取る。気づけてはいたのだろうが避けるのが間に合わず俺の面が当たって打ち合いが終わった。

「良い奇襲だったと思うがやはり永山は来る瞬間が分かりやすい。今のだって詰め寄ってきた時は胴が空いていたからそこを打ちこまれたらお終いだ。もう少し対策を取られる事を考えて動けたら良いと思う」

「……」

 俺の言葉に対して永山は何も言わずに列を並び直す。今の態度について郷田に何か言われているようであったが、俺としてはこれくらいの態度の方がやりやすいと思っているので複雑な思いであった。

「あ~……死ぬほど怖い…。マジでお願いだから相手に面をやらせないでくらい?咲良」

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、橘は気の抜けた声で無茶苦茶な要求をしてくる。相手の練習でやっているのに振らせないように動けなんて出来るわけが無いだろうと右手を振って無理だ、と伝える。橘も当然分かっているようで項垂れながら肩を落として諦めた。

「それじゃ次、菱塚!」

「押忍!」

 俺は気を取り直して、次に並んでいた菱塚を呼ぶ。元気な声で返事をして竹刀を構えた所で俺も構える。なんやかんやでここまでの二戦は上手い事やっているが、竹刀を片手で持つなんてハンデを行ったまま負けるとなると恥ずかしいどころの話では済まない。剣が一本な以上、右側を攻められると受けられず厳しい試合になる。一応籠手は下げているので狙われる事は無いと思うが、胴は普通に避けるしかない。初心者ならいざ知らず、これでも剣道を真面目にやってきた人間達なら、俺に防がせる事は無いだろう。

「……」

俺は思案中に攻められなかった事に対してホッとしながら次の相手である菱塚の方に意識を向ける。こちらとの間合いを極力詰めようとしてじりじりとこちらに寄って来ていた。菱塚は面を得意とした剣士だが、先ほど言った通り面を打ち込みに行く際に独特な癖があり、本格的にあれを武器にするとなればあの癖を何とかしないといけない。踏み込みの弱さなどはそれを直してからでもいいかと思いながら待っていると、菱塚の剣先がほんの少しブレた。

「メェーン!」

 菱塚は掛け声と共に面を振り降ろしてくるが、来る瞬間が読めていた俺は既に間合いから一歩引いており、攻撃は外れる。そこで面が空いた所に、今度は俺が面を叩きこむ。

「うわっ!」

俺の攻撃をギリギリで守った菱塚、あの体勢から竹刀を戻すのが間に合ったのは良くやったと言いたいが、もう見る必要が無い程に体勢が崩れている。そこで俺は勢いのまま上体だけを一気に低くして右足を真横に一歩、大きく踏み抜いて右胴を打ちつける。

「カァッ!」

 菱塚の受けも間に合わず、今回も綺麗な音が鳴って打ち合いが終わる。打たれた事でがくりと肩を落とした菱塚に対して、俺は端的に感想を伝える。

「俺の面を受けれた所までは良かったな。後は体幹作りとさっき言った癖だな。今の攻防も、最初の面の瞬間が分かってたからこそみたいな節があるしな」

「りょ、了解です!先生!」

「……絶対おかしいんだよねぇ。仮想敵を咲良でやるのがそもそもの間違いな気がする…。今の動きだっておかしいじゃん。何で上下に頭高変えないで真後ろに下がったり前に踏み込んだりできるのさ、咲良」

 橘のボヤキには俺も同意する。そもそも剣道の練習で俺を仮想敵とするのは大分間違いである。他の四谷道場の人間ならばまだしも『鵺』を習得した俺の場合、その辺の人間ではあまりできないような動きができて、そして困った事にこの『鵺』と言う技はパッと使う様な技では無く、常日頃発揮している感じでオンオフが効かない。意図的に使わないようにする事も意識すればできるが、そんな事に意識を使えばマトモに打ち合いなんて出来る気がしない。なので、彼らや能代には申し訳ないが明らかに挙動がおかしい相手に打ち込めという無茶を言っているのである。しかもこの鵺、四谷先生が道場内で紅白以上の頭巾を持った人間以外には教えてはいけないと言っているので、仮に剣道部員が俺に動きの秘密を教えてくれなんて言ってきても誤魔化すしかない。これで先生なんて呼ばれているのだから滑稽この上ない話だ。

「だから先生じゃねっての……ったく。次!倉内!」

俺がしみじみと考えていると、並んでいた部員達が色々話しだしていたので俺は大声で次の奴を呼ぶ。顔は見えづらくても図体を見れば一発で分かる相手は呼ばれた事でこちらを振り向き小さく頭を下げる。

「………ウス」

 互いに竹刀を構えて、俺は倉内の面を見上げる。倉内は一年ながら恵まれた図体を持っていて身長、体格共に俺よりも大柄な個人的期待の注目株である。厳島然り今年の一年はガタイが良い気がする、なんて考えた所で木ノ崎の姿を思い出す。少しだけ申し訳なく感じてしまった。

「…………!」

 そうこうしている内に倉内が一気に詰めてきた。考え事をしていたせいで反応に遅れてしまい既に互いの範囲になってしまっていて、俺は一歩だけ引いて距離を取ろうとする。だが、胴を打ち込むにしてはあまりにも突っ込み過ぎな動きで、面だとしても俺の受けが間に合う。何が狙いだと眉を潜めると、倉内は更に一歩踏み込んで面を振り降ろす。

―――――体当たりか!

 咄嗟に理解した俺は一気に足腰に重心を移動させ、左腕を振り上げて倉内の面を上の方で受け止める。さながらそれは上からの落下物を抑えるような状態になっていて、押し込みにかかる倉内の方が圧倒的にこの後の状況を有利に進められる構図になっていた。体も拳二個分ほどの隙間しかない密着状態で、これが普通の試合ならば倉内は潰しに掛かるか引き技、又は押し出して体勢を崩しても良いとやりたい放題な選択肢である。実際、俺も大分厳しいものを感じていた。

「行け!倉内!」

「押し込め!」

「…ッ」

 俺の状況不利を見た外野の剣道部員は全力で倉内に声援を送る。倉内もその声を聞いて徐々に力を加えてきている。

「いやいやいやいや、絶対におかしいじゃん。何で両手使っての振り降ろしを咲良は片腕で抑えてんのさ!化け物!人外だよ!」

頭上では橘がなにか喋っているが生憎とそれを気にする余裕はあまり無い。どうやら少しばかり本気を出さないとこの状況を打開できそうに無かった。

俺はほんの少しだけ竹刀を支えていた力を緩めて崩れてきたフリをする。まずはこの餌に釣られてくれるかどうかでこの後の動きを決める。

「!…フッ!」

力を若干抜いた瞬間、倉内の力を込めるような鼻息が聞こえてきて一気に崩そうとしてきた。上手い事食いついてくれたのを確認しながら、俺は右足の爪先に力を込めて、重心を一気に後ろに回す。

「シャアァッ!」

「ひやぁあ!」

次の瞬間、俺は左腕と腰を落としながらほぼ真横に一歩動く。抑えが無くなった事で倉内の面が俺の頭に降りかかるが、防具の重みがあるとは言え鵺をフル活用して動いている俺の頭は既に竹刀の軌跡にあらず、避けた状態から春疾風の要領で胴を振り抜いた。

――――スパァァァァァァァァァン!

思わず力み過ぎてしまったせいか、俺は通常の練習時よりも二回りほど甲高い音を鳴らしながら胴を決める。密着していたので浅いかもしれなかったが、倉内は今の一本に納得したのかそのまま竹刀を腰に仕舞いぺこりと頭を下げる。

「いや、今のはかなり良かったぞ。隙を突いて自分の長所を活かした良い攻めだった。俺も思わず本気出しちまった位だからな。強いて言うなら鍔迫り合いからの択を練習した方が良い程度か?」

「…ウス」

 あくまでも寡黙な返事で倉内は答えてゆっくりと列の後ろに回った。誇張抜きでここ最近では一番焦ったかもしれないと思いながら気を抜きすぎていたと反省をして、竹刀を握る手にグッと力を込める。だが、それとは真逆に力が入らなそうな弱弱しい声で橘が愚痴をこぼす。

「……化け物、マジ咲良化け物…。どうやったらあんな動きが出来るのさ。今の感覚、完全に落下してたよ、横に。何であんな止まった状態から予備動作無しであんな動けるんだか…。なんかもう静と動の差がおかしすぎて…あ~酔いそう」

 ここまで俺の動きに振り回されてきた橘はかなりグロッキーな様子でそう呟く。しかしながらここまで俺の動きに憑いてきただけあって今の発言は割と良いセンを突いてきていた。鵺と言う技の秘密性を考えれば六十点と言った所だろうか。

「んじゃ次、男子最後の片貝!」

「は、はい!」

 俺の呼び出しに元気な声で返事をする片貝はそのまま構えに入る。前に聞いた話では彼だけは高校に入ってから剣道を始めた人間らしく、二年生ながら一年の望月と大してキャリアが変わらないとの事。個人練習では基礎からやらせていたので構えや動きなどはあまり見てやれてなかったのだが、どれほど動けるのだろうか。

 俺も構えながら片貝の全身を観察すると、心なしか引け腰で竹刀を持つ手も震えている。さっきまでの打ち合いを見て完全にビビってしまっていた。怪我をさせるわけでもないから怯える必要は全くないのだが、これでは練習になりそうも無い。

こういう時は、一度綺麗に叩いた方が怯えは消えると、昔の経験から知っている俺は腰を少しだけ落としながら両足に力を入れて、重心を前方に傾けながら一気に踏み込む。

「カァッ!」

「にょわぁ!」

 俺は声を張って相手の体がこわばった所を詰めよって面を打ち込んだ。恐怖で固まった片貝に面が綺麗に入り、そのまま俺は竹刀を仕舞う。

「俺如きにそんなビビってどうするよ。所詮はただの練習だ、殺されるわけでも無いしそんなガチガチになられても困る。怯えるくらいなら当たって砕けるくらいの気概を見せろ。大会でそんな姿晒したらお終いだぞ」

「!分かりました、気をつけます!」

 大きな声で返事をする片貝。とは言え今のでは精神面の課題しか見えず技術面はどうなのかがさっぱりだったのでこれ以上は何も言えず、俺は頷いて次の奴を呼ぶ。

「最後、……能代」

「ああ」

 本来であれば俺は男子剣道部の練習を見ているので今の片貝で一周するはずなのだが、女子剣道部員を見るべき立場の能代は当然の様にこちらの練習に混ざっているのが本当に不思議でしょうがない。乱取りの時などは人数が合わないからと言い訳がきいたが、流しの練習でこちらについても大丈夫なのだろうか。一応顧問と部員には話を通してあって練習の指示などはしているらしいのだが、だからといってこちらに混ざる理由があるわけでは無い筈。心なしか田中先生の視線も痛い気がするし、どういうつもりだろうか。

「久しぶりの片手持ち、楽しみだ」

「何だ、両手が良かったか?」

「どちらでも。だが名蔵の戦いやすい方が良いと言っておこうか」

 愉快そうに竹刀を構えて能代はそう俺に言ってくる。能代と朝練の際はいつも実戦形式の練習の為、普通の中段の構えで戦っている。太刀のサイズとは言えカーボン製の竹刀は軽いので片手でも問題なく振れるのだがいつもの間合いと差が出てしまうので目測がずれやすいと言う難点から両手持ちでやっていた。今日は久しぶりに片手でのリハビリを兼ねようとここまで片手でやっていたが、能代が相手ならば真面目にやろうと、俺は柄を握っていた左手を柄頭の方に持っていき、右手でも竹刀を握る。

「…成る程。ならば今までのは手抜きか?」

「まさか。ただまぁ、リハビリだったのは認める」

 言い終えて俺は改めて竹刀を構える。その瞬間に能代の方から緊張が伝わってきながら開始する。普段の俺ならば相手の攻撃を待ってカウンターを合わせると言う戦法が得意なのでひたすらに待つが、ずっとそれでは能代の練習にならないだろうとふと思い立ち、偶には俺から攻める事にした。

「……」

 間合いをじりじりと詰めてきていた能代は俺が突然寄ってきた事に驚きながらもすぐさま後退し間合いを取り直す。流石にいつも打ち合いをしているだけあって、俺の範囲からは上手い事外れている。だが、俺の範囲外と言う事は能代の攻撃も届かない距離であるので、ここで膠着状態になる。この状態になると、鵺のお陰で圧倒的に距離の長い踏み込みが出来る俺の方が有利になるのだが、能代はあくまでも平常心かつ野心的に勝ちに来ている。何か策があるのだろうか。

「………」

 先程より大きめの歩幅で間合いを詰めようと動く俺、それに対して能代は何とか引きながら打ち込まれないギリギリの距離を保っていた。だが、先程より確実に距離は縮まってきているので追いつめられるのも時間の問題な筈。

「……」

 ぐるぐるとスペースを摺り足で回るように移動し続けていて、あと4回ほどで胴が届く範囲になりそうなのを確認した俺は、目を細めながら動き続ける。

―――――3回。

―――――2回。

―――――1回。

「……フッ!」

 そしてようやく、詰め切った。俺は一思いに重心ごと前に踏み込んで胴を打ち込もうとした。

 その瞬間、能代の敵意が急激に上がった。

「ハァアァッ!」

 俺の踏み込みとほぼ同時に、能代が待っていたと言わんばかりの声を出して俺の方に向かって踏み込む。その時の竹刀は、こちらに向かって一直線に飛んで来ていた。

―――――――――――――――面白い。

 この瞬間に、能代の狙いがこちらへのカウンターによる突きであった事を頭が理解する。元より打ち合いの範囲で勝てないことを知っていた能代は、最初から俺の踏み込みに合わせた突きでレンジの差をカバーする気だったのだ。俺の勢いによって加速して見える能代の突きは喉元―――突き垂めがけて一直線に飛んで来ていた。完全にタイミングが合っていて、恐らく見ていた外野の誰もが決まったと思っただろう。

 だが、俺の足は、まだ両方地に着いている。

 これがもし四谷道場での試合ならば、このまま体を捻りながら突っ込み、突きを避けながら流星突を打ったであろうが、この時は頭が冴えていて剣道の練習である事を忘れなかった俺は前に出ていた右足に全力で力を込めて重心を後方に転換。後ろに体を引きつつ竹刀を横に構えて能代の竹刀を弾く。

能代もこれで決める気であったのであろう。竹刀と共にこちらに突っ込んできていた体勢では急に起動が変わった竹刀の抑えがきかず腕ごと振り上がってしまう。そこに再度、俺は重心を右斜め前に向けて踏み切る。能代の体も肉薄していたので、一歩踏み込むだけで横を抜けられる程であった。

「ラァッ!」

 パァンッ!

 些か竹刀の当たった位置が鍔元に近かったので先程のように綺麗な音はならなかったものの、十分な胴への一撃であったと感触で確認した俺はそのまま残心に移行して竹刀を仕舞う。能代もそのまま竹刀を降ろして、籠手と面を外しながら感想を漏らした。

「まさか今のがフェイントとはな、完全に読み違えてしまった、完敗だ」

「フェイントなわけあるか、本気で攻めに行ってたっての。あと一瞬突きのタイミングが遅かったら引くのが間に合わなかっただろうよ」

 俺の返事に能代は世辞でも嬉しい、と短く言って頭を下げた。本心で言ったのだが能代としては素直に受け取れないのだろうか。どちらにせよ、今の一瞬は肝が冷えた。そろそろ本格的に一本を取られてしまうかもしれない。

「……前に行くと思ったら後ろに動いて、しかもそのまま前に打ち込むなんて…いったいどんな足腰ならあんな動きが出来るのさ。私なんて危うく前に吹き飛びそうになったし」

 そして相変わらず文句を垂れる橘。しかし心なしか苦言にもキレが感じられず、いい加減グロッキーなのかもと思われたが、その割にはよく喋る奴である。

 今の能代が最後の一人という事で、俺も籠手を付けた状態で面を器用に外す。蝉の声が遠くから聞こえてきて、遮る物が無くなった視界に時計を映すと、時間も12時10分前と良い頃合いになっていた。俺はそれを見て男子部員全員に聞こえるように大声で締めの言葉を継げる。

「とりあえず一周したからこれで終了だ。昼休憩後の午後練に俺は居ないがさっき言われた事を時折思い出しながら汗を流してくれ!以上!」

 俺の終了宣言にベルトコンベアのように列を形成していた奴らからは不満の声が上がりはしたが、なんだかんだ言って皆も腹も減っていたらしくそのまま列が崩れて思い思いに更衣室の方に向かっていった。

「女子の方も今日は上りだ!午後も練習がしたい場合は内田先生と男子部員達に話を通してからスペースを借りてくれ」

 能代の方も女子部員達に話をして午前の練習を終える。元々あちらの方は内田先生が見ていて、こちらの流しを全員で見ていたらしいので殆ど上りみたいな状態だったようだった。能代の掛け声と共に女子部員も更衣室の方へと移動しだして内田先生も二、三能代と言葉を交わしてその場を離れる。結果としてこの場に残ったのは俺と能代と西村先生、ついでに橘を合わせて四人となった。伸びをしながら胴を外していると能代は西村先生の近くに寄っていって防具を外していたので俺もそちらに向かった。

「こんな感じなんですよ、西村先生。名蔵から一本取ろうと言うのは相当な無謀です」

「全くだなぁ。お前さんいつもこんな化け物とやってんのか?話にならんだろ」

「合わせてもらってますよ、勿論。本気を出されたら5秒耐えれるかどうか」

「だろうなぁ。はっはっは」

「……二人揃って、人を何だと思ってるんですか」

俺が呆れた様子で会話に混ざると、三人揃って思い思いに俺への評価を口にした。

「化け物」

「人外」

「……少なくとも超高校級ではあるだろう」

「…能代の優しさが目に染みるぜ」

 相変わらず言われたい放題であった。能代は苦笑しながらも三人の中では控えめな感想であったが、あの様子では西村先生の容赦ない言葉を聞いてマイルドにした感じだろう。気を使われる事の悲しさを覚えていると、西村先生が話を続けた。

「だってなぁ…。俺だって一応学生時代はあるから剣道も授業鵜でやってはいたが、竹刀ってのは片手であんなぶんぶん振り回せる代物じゃ無かった筈だぜ?しかもお前さん、人の振り降ろしを片腕で止めやがって…。無茶苦茶だろ。能代の奴が一本も取れないってのも納得だぜ。どんな身体能力してんだよ、えぇ?」

「ほらー、ニシケンだってこう言ってるじゃん。おかしいんだって咲良は。聖君もそこそこ運動神経良かったけどここまでじゃなかったし、雪根ちゃん達はどうやってこんな化け物を育て上げたんだが…。実はサイボーグとか?」

 橘と西村先生は最早褒めるのではなく貶しているのではと思える口ぶりで俺に聞いてきた。いくら何でもサイボーグは失礼ではないかと思いながらも、俺は首の裏筋を掻きながら言い訳染みた説明を始める。

「あくまでも昔取った杵柄ですからね。四谷道場時代の練習の成果と日課の運動で何とか誤魔化してるだけなんで。片手で竹刀を振り回していたのも四谷道場が原因です。片手の練習もするんですよ、あそこは」

「片手の練習つって要は筋トレ系だろ?お前さんの細身で出来るもんなのかよ。まださっきの倉内とかの方が分かるってモンだぜ」

「まぁ…鍛えてますからね。それでも届かない人には届きませんが」

「どこ見て言ってる台詞なんだがな…全く」

 ハードルが高いと呆れた口調の西村先生を見て皆が苦笑を漏らす。そうは言われても今まで掲げてきた目標や武術を教えてもらった人の事を考えればそうなってしまっても仕方が無いと諦めていると、能代がそれにしてもと別の話を始めた。

「今日の打ち合いには手応えを感じていたのだが、あれでも軽くいなされてしまうとは。本当にいつになったら名蔵の本気を見る事が出来るのだろうか」

「……え。あれで本気じゃないの?もうここまででも割と人外だと思ってるんだけど」

 能代の指摘に橘は本気で引いていた。少なくとも今回の試合では突きを振られた後の動きは真剣そのものだったのであるが、能代的には不満があったのだろうか。

「能代がどう思ってるかは知らんが今回の俺は相当真面目にやっていたぞ。カウンターまでの動きは完璧に嵌められた。あそこに合わせられると思わなかったから避けるのに必死になっちまった」

「そもそもそのカウンターまでも手心を加えて貰わなければ打てない所に問題があるのだ。それに名蔵は前に得意なのは返し技だと自分で言っていたではないか。練習だからと言って名蔵に攻めさせている時点でそれはもう手加減にならないか?」

「…ストイック過ぎやしないか?言っとくが俺は確かに返し技が得意だが攻め手も出来ない訳じゃないし苦手ってわけでも無い。だから気にし過ぎだ」

「……どうだかな。私の予想では名蔵がもし本気であった場合あのカウンターを読み切って突きを振らせもしないと思うのだが」

「剣道の試合でそんなの無理に決まってんだろ…突き以外は入らない距離を取られ続けてたんだからあの場ではお前の方が有利だったっての。それに安心しろ。あの距離で胴を取りに行く奴なんて俺以外にそうホイホイ居やしない」

 そう考えると、俺との練習で変な間合いの取り方を覚えてしまうと返って変な癖が付いてしまわないかと心配になり、今度からはもう少し打ち込む間合いを詰めて練習しようと俺は心に決める。教える側が低レベルで能代が負けるなんて事になれば死んでも死にきれない。能代も今の発言には納得をしてくれたようでじとりとねめつけながらも頷いてくれた。

「……そうだろうな。少なくとも名蔵より剣道がそう何人も居たら堪ったものでは無い」

「本当になぁ。改めて化け物っぷりを見せてもらったが、お前さん何で剣道部に入ったり日剣一に出ないんだ?それだけの腕があればあの『神童』にだって勝てるだろうに」

 俺の手抜き云々の話は逸れて漸く一安心と行くと思っていたら、今度は西村先生が別の話を持ってきた。持て囃されるのは勘弁願いたいのだが、西村先生は心底不思議なようで真面目に聞いてきていた。

「辞めたとは言え道場に籍を置いていた身です。学園の運動部に勝手に入るのはどうかと思いましてね。それに杵柄振り回して勝った負けたを言うのは本気で剣の道を歩んでる人に失礼じゃないですか。だから部活には入りませんでした。それにしても…『神童』ねぇ…」

 西村先生の質問に軽く答えながら、俺は今話に上がった『神童』について考えていた。

昨今の剣道界で『神童』と呼ばれるのは他ならぬ進藤草一郎の事に他ならない。父は剣道、母親は合気道の武人一家の長男に生まれて、自身も四歳の頃から竹刀を握り鍛錬を続けてきた、まさに剣道一筋の人間である。俺と同い年ながらも絶えず続けてきた練習は嘘を吐かず、日本で行われた全国大会は中学三連覇、確かこの間のニュースで高校でも二連覇の五連覇を成し遂げたと流れていた。その他日本のあらゆる大会を総なめにした話や、中学からの五年間で対外試合の勝率が98%と言う驚異の勝率、自身の苗字もあわさって『神童』なんてあだ名が付いたとの事。その実力は日剣一でも存分に振るっており、去年は個人、団体共に優勝を飾っていた。俺は剣道界隈に身を置いていないので彼の顔をテレビでしか見た事が無いが、整った顔立ちで誠実そうな好青年であった記憶がある。インタビューの受け答えも真面目そのものであり、何もかも半端者な自分とは対極であると雪根さんに感想を漏らした気がする。

「どうだ?あの『神童』なら咲良も本気を出せそうか?」

「馬鹿言うな。日本剣道界のトップと半端者の俺が何をどう間違えれば戦う事になる。それに相手は十年以上も剣道やってる化け物だぞ。一度だけ試合の映像を見たがあんな速度で打たれたらやってられん」

「え~…?さっきの桜の速度も大概だと思うんだけど…」

 俺は右肩を人差し指と中指で揉みながら肩をすくめて話をそらす。橘はこれを見て文句を言ってきたがそんなものは無視する。

「仮にやり合ったらの話だ。実際の武道家は映像などで相手の力量を測るのも大事な力だと何かの本に書いてあった気がする。名蔵くらいの実力があればそういうのも推し量る事が出来るのではないか?」

「無茶苦茶言いやがって…。…そうだな」

 俺は能代の言葉に対して頭を掻きながらぼやく。実際、剣道の試合で仮に当たった場合は規則に則った試合をした場合、相当な苦戦を強いられる気がする。まず普段から防具を付けて練習をしていない俺はそれだけで大分ディスアドバンテージを背負う事になり、加えて進藤のスタイルが速攻であるので、重りを付けた状態で奴と打ち合うのは難しいだろう。そうなると俺が取りたい行動は相手から竹刀を奪う事であるが、基本的に搦め上げでの反則勝ちはマナーが悪いとされる行為であり、礼節を重んじる剣道と言う競技においては褒められたものでは無い。何より進藤程の剣士であれば半端にやっても竹刀を落としたりはしないだろう。失敗すれば恥に繋がる所も考えると、あまり行いたくはない。

 真っ向から挑むのは愚策、竹刀落としを狙うのも難しいとなれば、最終的な作戦は得意の返し技になるのだが、面を付けた視界の悪さであの動きを見切って技を打ち込まなければならないのは正直厳しい。立ち会った事が無いので分からないが、俺の奥の手が使い物にならなかった場合は本当に勝てないかも知れない。そこまで分析を終わらせて、俺は能代にざっくりと感想を伝える。

「剣道の勝負ならマジで厳しいだろうな。仮に勝てたとしても絶対に後味の良い試合にはならない」

「……成る程な」

「ん、後味の悪い試合ってのはどう言う事だ?」

 俺の一言で能代は何となく察しがついたのか頷いたが西村先生は話の内容が分からず聞き返してきた。頭上の橘も首を傾げていたので、俺はその辺りの説明をする。

「進藤は間違い無く天才の部類に入るでしょう。そんな奴とちょっと竹刀を振りまわしていただけの俺が試合を行うとなれば普通に面や胴、小手を入れるのは難しいでしょう。そんな状態でこちらが勝とうとするならば、それ相応に搦手を使わざるを得ません。しかしながら、剣道は単に勝ち負けを争う競技では無い為に正攻法ではない勝負の仕方は嫌われる傾向にあります。場合によっては試合妨害で反則負けにもなりかねませんし。そう言うギリギリの所を攻めなければ勝つのは厳しそうと言う事です」

「はぁん、そうなのか。俺みたいな素人はとりあえず一本決めればいいもんだと思っていたが、そんな単純な話でも無いってわけか。……でも今の動き見ててアレで勝てないかも知れないなんてお前さんが言うようじゃ日本の剣道界は明るいなぁ」

「…どうでしょうか」

 西村先生が話を理解して納得した所で、能代が意味あり気にボソリと呟く。今完全に話を誤魔化し切った所を、能代は綺麗に蒸し返してきた。

「今名蔵は『剣道の勝負でなら』と状況を限定した。つまりそのルールが外れればまた結果が変わると言う訳だろう?」

「………言っとくがそんな何でもありで戦う様な事はまず無いだろう。前提があり得ないから話すのをやめただけだ」

 俺がそう言っても能代はじとりと俺を見たまま視線を動かさない。目は口程に物を言う、なんて諺があるが能代の視線は完全に「本当か?」と問いて来ていた。

「う~ん…私はその~、シンドウ君って人を全く知らないけど、さっきまでの咲良の動きを体感してた身としては、なんでもありなら咲良が負ける事って無さそうな気がするな~…ってかまず攻撃当たるの?全部回避しそうじゃん。あの動きなら」

 そして、頭上の幽霊は中々良い所を突いてきていた。確かにあの動きを体験すれば、そんな風に思えるかも知れない。なにせ自分も、鵺を完全に習得した時は他人の攻撃など最早当たる理由が無いと思ったほどであったのだから。

「そんな目で見てきてもやり合う事が無さそうだからこれ以上は何も言えないぞ。その手の野蛮な話はそれこそあの風紀委員の面々のがよっぽど似合いそうだ」

「んなこと言っても、お前さんだって…」

俺の言葉に対して、西村先生が何か反応しようとしたが途中で言葉を濁してしまう。言いたい事は何となく分かったのでそこから先は俺自身が言うことにした。

「まぁ…確かに俺も中学時代は十人程度の人間だったら返り討ちにしてましたが。仮にこの学園で喧嘩の強さランキングなんて不毛な物を作ったとしても俺はトップになれないと思いますよ」

「はぁ?お前よりヤバいのが居るってのかよこの学園に。俺が知らないだけでここは魑魅魍魎が巣食う魔境だったってのか」

 西村先生の言葉を俺は曖昧に肯定をする。本当にやり合ったら勝てない事も無いと思うがどうせそんな機会は無いので適当に誤魔化そうと名前を上げ連ねた。

「俺の狭い知り合いの中でも明らかに強さが桁違いなのは池上先輩ですかね。四谷道場でもトップクラスの実力者である事を考えると、少なくとも同年代ではむかう所敵無しでしょう。俺からすればあの人が日剣一出れば良いものを…って思ってしまいますね。後は…木ノ崎も相当手強そうな気がしますね」

「あのガキもか、確かに色々な噂が聞こえては来るが…。つってもまだアイツ高一だろ?図体もアレだしお前さんと殴り合いになったとしても勝てそうもない気がするんだが?」

「アレは恐らく見てくれで判断してはいけない典型的な例ですね。手合わせした事は無いので推測になりますが相当強いでしょう。誰に何を教えてもらってたのかが分からないので詳しい内容は言えませんが……、雰囲気的なもの、とでも言えば良いんでしょうかね」

 能代と西村先生にそう説明しながら、俺は剣道部の仲裁をした際の時を思い出していた。あの時、道場の外からしていた気配では正に獣に狙われていたかのような悪寒を感じた。あれほど敵意で寒気がした事など、それこそ四谷道場に居た頃以来久しく感じておらず、あんな存在が学園に居るのかと少しだけ恐怖した程だ。いの一番で飛び込んできたのは木ノ崎だった為アレの正体は奴と見て間違いないだろう。一年ではあるが底の知れない男だ。

「背は小柄ですが相当鍛えてますし、本人の自慢話も作り話じゃ無いのは窺えます。もしアレと本気で喧嘩でもしたら…」

 負けるのは俺かも知れない。そう続けようとした時、遠くから聞こえている蝉の声に良く知った声が混じった。

「あーも…………ですかア……達!そ……………も無い…………グチグチ言い………て!…の……性、路………ムよりうっと…しい……前ら!……、ってか誰か助けて―!」

「…………」

「…うわー、まさにザ・小物って感じの発言……。この声ってさー咲良…?」

 建物内にも微かに響いてくる声。方向的に恐らくグラウンドからであろうがこんな所にまで泣き言を届かせるなんて、奴は一体何をしているんだと会話を打ち切ってこめかみを抑えてしまう。その姿を見た西村先生は腹を抱えながら笑いを押し殺していた。

「クックック……、いやぁ、ヤツも大概間が悪いなぁ。んで?今助けを呼んでた木ノ崎とお前さんが喧嘩したらどうなるんだ?えぇ?」

「……折角人が褒めてやろうとしたってのに…アイツは」

 西村先生の言う通り、本当に魔の悪い事この上ない叫びであった。それはそれとして気になるのは奴に何があったのか。外で助けを求めたと言う事は風紀委員絡みで間違いない筈だが、暴力系統の話であれば奴が始末をつけられないなんて考え辛い。だが学生の少ない夏休みにそんな面倒なトラブルなんてそう無いと思う。だがグラウンドとなると…。

「気になるなら行ってくればいいじゃないか。名蔵」

 俺が奴の声に思慮を巡らせていると、能代が笑みを漏らしながらそう言ってきた。

「は…?アホ言うなよ。だいたい、この後昼飯だろ?奴の手助けなんてしてお前の飯が遅くなるのは申し訳ない。泣きながら頼まれた勉強だけで十分だ。これ以上面倒事に干渉する気は」

「でも、気になるのだろ?」

 俺が言い切る前に能代はそう短く言う。確かに気にならないと言ってしまえば嘘になるが、あんな奴の面倒と能代の時間なんて秤にかけるまでも無い。そんな俺の考えは能代だって分かりきっている筈だが。なんて事を考えていると、能代は捲し立てるように言葉を

並べ始めた。

「大体、名蔵は物事を気にし始めたら他の事に集中できないじゃないか。今の状況でご飯にしてもグラウンドの方に気を取られてしまうに違いない。それならば、いっそ先に片付けてしまってから食べよう」

「いや、つってもお前の時間が」

「私の事なら気にするな、昼が少し遅れた程度で人間死にはしない。私としては自分の事よりも名蔵がさっぱりして昼を食べられる事を重要視する。なんなら私も一緒に見に行くぞ?」

 能代は意地の悪そうな笑みでこう言ってきたが、この時点で既に会話の詰将棋は始まっている。能代は最後にああ付け加えたが、俺が能代をこの酷暑の中連れ回す気が無いのを分かっていてこう言ったのだ。ここで能代を説得しようとしても、最初の言葉に戻るだけで堂々巡りが起こる。そして最終的にはこんな会話自体に時間を取る事が無駄だと言ってきて会話を押し切るに違いない。昔は人に発言するのもおろおろしていたと言うのに、随分とたくましくなってしまったものだと感心してしまう。そして、この無言の時間を長考と取った能代は、そのまま一気に畳みかけてきた。

「ほらほら、考えている時間だって勿体無いだろ?どうせこのまま昼にしてもそうなるんだから、名蔵はさっさと、行って、来い!」

 最後に能代は俺の背中に回り込んで、そう言いながら両手でポンッと押した。俺の体が動かない程度の軽い力であって、差し詰め今のは能代に対する遠慮を断ち切る後押しと言ったものだろう。本当に気が利くのだか利かないのだか分からない能代の気遣いに、溜息を漏らしながら気まずそうな顔をして能代へ簡素に伝える。

「……軽く見てくるだけだぞ。どうせ風紀委員絡みなら他の人間が出張ってきているだろうし俺の出番は無い筈だ。万が一長引きそうだったら先に食っててくれ」

「名蔵を置いて食べるご飯など存在するものか。気が済むまで見てくると良い。方向からして木ノ崎君の位置はグラウンドだろう、ならば私はここで自主練習でもしているさ」

 俺が止める間もなく話を綺麗に纏めてしまった能代。彼女と話す際は本当にテンポが良すぎて、端から聞いている橘や西村先生からすれば意思の疎通が出来ているのか心配になるかも知れないが、伊達に同年代で一番付き合いが長いだけあって何となく相手の主旨が分かってしまう。

 話も終わり、俺は能代の方を向いてスッと左手を顔の位置まで上げる。能代も見るが早いか動くが早いか、俺とほぼ同じタイミングで右手を上げる。そして、そのまま互いに相手めがけて振る。パチンッと良い音が鳴って俺は能代に背を向ける。

「んじゃ後でな。もし遅くなっても文句言うなよ」

「自分で焚き付けたのに文句を言う奴があるか、馬鹿者」

 二人して憎まれ口を叩きつつ俺は剣道着を着たまま早足で体育館の入口に向かう。

「絶対デキてんじゃん…」

「…何がだ?」

 道場の入口に置いていた鞄を拾い、階段を降りている間に周囲の人が居なくなったからか橘が俺にそう言ってくる。何の事だか分からなかったので聞き返すと橘は呆れた声で喋りながら道場の方を指した。

「何さっきの会話、なんかもう二人して何もかもわかっちゃってますよ~って言わんばかりの雰囲気でさ。咲良前にもウダウダ言ってたけどアレでデキてないってもうギャグにもならないよ?なんかもう外の気温より暑さ感じた」

「…お前がどう曲解したかは分からんが、少なくとも俺達の関係にそんな甘いのは無い」

 何を言い出すかと思えば橘も随分見当外れの話をしてくるもので、阿呆臭いと一蹴しながら上履きを履いて外に出る。涼しさの欠片も無い外気に嫌気が差すものの、一度出ていった手前、引き返すのも見栄えが悪い。そんな事を考えながら、俺は一呼吸して一気に走りだした。

「だから、その急加速やめてよー!」

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