アンカ

酒場に着くと、外の熱気はすっと引いてひんやりとした空気に包まれる。控えめな話し声が響く酒場の中は昼間ということもあってか空いていて、丸いテーブルに数人の客とカウンター席にちらほらと人が座っていた。

僕は席に座る前に改めて広い酒場を見渡すと、カウンター席に座っていた、この男臭いどこか汗の染み付いたようなアルコールの匂いばかりが漂う木で出来た空間にはそぐわない、若いのに杖を持ったどこか好奇心に溢れた悠然とした態度の女性にいつの間にか話しかけていた。その女性の名前はアンカと言った。

「ねえ、君はなんで昼間からこんな所にいるの?」

「それは、勇者が今日ここに現れると聞いたからよ。もしかして…」

アンカは僕の容子を念入りに眺め次に僕の顔を覗き込んだ。

「ああ、そうだよ。僕は勇者、ロンって言うんだ。でも、君は本当に旅に出るつもりなのかい?」

アンカがそうしてる間、僕も同じようにアンカの細い腕や、地面に届かない足などを見ているととても戦闘に向いているとは思えなかった。僕が不安そうな顔でアンカの顔を見るとアンカは急にフグのように頬を膨らませ、額に微かにシワを寄せた。

「馬鹿にしないで、私は魔法使いよ。この辺じゃ有名なのに、ロンは知らなかったの」

僕はそう言えばそんな話を幾年か前に聞いたことがあったような気がした。どうしてそんな面白そうな話を忘れていたのだろう。少しづつ好奇心が失われていたことに今更になって気づいた。

「ほら、見てて」

アンカが酒場の主人が持ってきたお冷に丸い水晶の埋め込まれた杖を向け、呪文を唱えるとたちまちその水は凍ってしまった。コップからは静かに白い煙が立ち上っていて、その水の中には空気の粒が、水玉模様をコップの側面に描いていた。そして、その瞬間だけ周りの空気も微かに冷えた気がした。客のほんの二 三人はその様子を見ていたようだった。

僕は目の前で起こったささやかながら奇妙な出来事に興奮していた。アンカを仲間に引き入れてみようと考えた。これからどんな困難が待っていようとも、この子の魔法が僕を救ってくれる。そんな漠然とした安心感がその笑顔の中にはあった。恋とは少し違ったが、でも、限りなくそれに近かったし、本当はそれが恋だったかもしれないのであった。

「アンカ、君はこれから長く困難な旅にも耐えられるのかい?」

僕は最終の確認の意味も込めて、アンカのエメラルド色に輝く瞳を見つめて問いかけた。アンカは悲しい程に純粋に淀みなくその首を縦に振った。もしかしたら、僕は誰にも気づかれないくらい僅かに泣いていたのかもしれない。

大きな樽がある少しだけ、浮世離れしたこの空間には誰かの話し声と薄いメガネをかけてすました顔の主人がコップをふく音が、微かに響くばかりであった。


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