回想:思い出の結実(前編)

***




「……ね、ねぇ、やっぱり行くのやめない?」


「駄目。行くぞ」


「ほら、この時代ネットというものがあるんだから、わ、わざわざ行かなくても結果は見られるんだよ?」


「ここまで来ておいて、何を今さら……」

「だいいち、『途中で行くのやめようって言い出しても絶対連れてって』って昨日言ったのは灯絵だろ」


「たしかに言ったけど……」


「けどじゃない。ほら、行くぞ」


「……あ、ぁうー」


……と。

そんなやり取りの末、僕は何とか、灯絵を会場に押し込んだ。


「ぁうー、ぁうー……」


「ちゃんと前見て歩かないと、転ぶぞ」


「だってぇ……」


「(……駄々っ子だ)」


言い訳の内容といい、ぐずり方といい、歯医者に行くまいとする小学生のそれだった。

だけど、気持ちは分かる。

だって、今日は大学受験の合格発表の日だから。

この一年ほどの間、必死で頑張ってきた。

灯絵の苦手な数学も、うんうん唸りながら勉強してきた。

その結果が、今はっきりしようとしているんだ。

緊張するのも、逃げたくなるのも仕方ないと言える。

——とはいえ。


「さすがに、ここまで緊張するとは思ってなかったけどね……」


テンパると顔が赤くなり、照れ顔に近い表情になる、というのは知っていた。

だけど、どうやら『幼児退行』という一段階上があるらしい。


「だって、だってっ」


「いくらなんでも、緊張しすぎだよ。もう少し気を抜いてもいいと思う」

「あれだけ勉強したんだ。きっと受かってるから、自信を持って……」


「無理っ」


「……そこは自信ありげに言うんだ」


即答されると、もはや苦笑するしかなかった。

むー、と唸りながら、灯絵は僕を上目遣いに見る。


「だって……けーくんは緊張しないの?」

「あたしと一緒の大学に行けるかどうかがかかってるんだよ?」


「電車に乗るあたりまでは不安だったし、焦りもあったよ」

「だけど、大学に近づくにつれてテンパって、挙動不審になっていく灯絵の様子を見てたら、冷静にもなるよ」


「ず、ずるいっ」


「何がずるいの?」


「あたしだけ緊張してるのはずるいっ。けーくんももっと緊張してよ」


「……無茶言うなぁ」


「もう、誰さ。インターネットじゃなくて、現地で合格発表を見たいって言ったのは」


「灯絵だよ。好きな少女漫画に、恋人と一緒に合格発表を見るシーンがあったから憧れてた、って言ったじゃないか」


「む、むぅ……」


灯絵はとうとう押し黙り、恨みがましい目を向けてくる。

相変わらず、掲示板に背中を向けたままだ。

ちょっと正論を言いすぎただろうか、と思い、少し助け舟を出すことにした。


「どうしても見るのが怖かったら、僕が灯絵の分も見ようか?」


「……だ、大丈夫。ちゃんと見るから」


「本当に?」


見ている限り、あと1時間くらいは振り返ってくれない気がする。

だけど、灯絵は自慢げなのか不安げなのかよくわからない表情で主張しはじめた。


「うん。こういう時には秘策があるんだよ」


「秘策?」


「人っていう字を手のひらに3回書いて、飲み込むの」

「そうしたら緊張がほぐれるんだって」


「……うん、まぁ、よく聞くよね」


「1012番、1012番、1012番……ごくん」


「……今飲み込んだの、受験番号じゃなかった?」


「——あっ」


何というか……もう、メロメロである。

そういえば可哀想のことを可愛そうとも書くよなぁ、なんてことを、ふと思い出したりした。


「(……おっと、今はそんな場合じゃない)」


「ぁうー、ぁうー……」


「うん。とりあえず、急いで見てしまおう」

「ここにずっといても他の人に迷惑だし、パッと見てパッと帰ろう」


実際、時折こちらに向けられる目には『バカップル』や『リア充爆発しろ』と書いてあって、少し居心地が悪い。

これ以上押し問答を続けていると、警備員につまみ出されてしまいかねない。

そう思っての提案だった。

だけど、灯絵はまだ覚悟が決まらないようで、うんうんと唸っている。


「……灯絵」


いったん離れよう、と提案しかけたその時。

灯絵は急に顔を上げて、胸の前で手を合わせた。


「お願い! けーくんはあたしの受験番号があるかどうか見て!」


「え?」


「代わりに、あたしはけーくんの受験番号を見るから!」

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