誰も寝てはならぬ③

時計を見ると、時間は23:55を指している。

確かに、あと5分だった。

『僕の誕生日』まで。

そう。

それは偽物ではあるけれど、きっと、灯絵がここへ来た理由に違いなかった。

その瞬間を迎えるために、死んでもなおやってきた。

灯絵は、どれほどその瞬間を楽しみにしてくれているんだろう?

……そして、それは僕自身も。

どくん、どくん、と、少しずつ胸が高鳴るのを感じる。

今まで気づいていなかったけれど、きっと、僕も楽しみなんだ。

灯絵が亡くなって、二十歳の誕生日を僕は迎えられなかった。

意識もないまま、ただ通り過ぎてしまった。

二十歳になった自覚なんて全くなくて。

だから、この機会にちゃんと迎えたいと思う。

灯絵がトラックに撥ねられた、あの日。

報せが来る直前まで抱いていた、あの期待感をもう一度胸に——

灯絵と一緒に、その瞬間を迎えたいと思う。


「……ねぇ、けーくん」


「ん?」


「あたしたちが出会ってから、いろんなことがあったね」


「うん」


灯絵は、ひどく優しい表情のまま、数えるように囁きはじめた。


「屋上で、あんな運命的な出会いをして」


「うん」


「初めてのデートで、告白してくれてほんとに嬉しかった」


「うん」


「嫌いな数学も必死に勉強して、同じ大学に合格して」


「うん」


「大学では行動範囲も広がって、いろんな所でデートしたよね」


「そうだね」


「ほんとに、色々あったなぁ」


「うん」


「……でも」


そこまで言うと、灯絵は少しいたずらっぽく笑ってみせる。


「さっきみたいに喧嘩したのは、初めてだね」

「あたしたち、揉めたことすら今まで一度もなかったじゃない」


灯絵の言う通り、僕達は喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。

そもそも、灯絵に対して不満だと感じたり、イライラしたことすらほとんどないんだ。

不思議なほどに。

相性が良すぎたのか、あるいは灯絵が気を遣ってくれていたからなのかは分からない。


「……えへへ」


「灯絵?」


喧嘩しちゃった、という話題の割に、灯絵は何故か嬉しそうに笑っている。

僕が訊ねると、灯絵は照れの混じった表情で、言った。


「やっと、喧嘩できたね」


「……やっと?」


「うん」

「喧嘩っていうのは、自分の言いたいことをぶつけあうことでしょ?」

「それはつまり——自分に素直になるってことだと思うの」

「だから、嬉しいの」

「あたしがけーくんに対して、素直になれたことが」

「けーくんが、あたしの前で素直になれたことが」


「……灯絵」


目から鱗が落ちる思いだった。

喧嘩するほど仲が良い、なんて言葉はあるけれど、灯絵の言ったのはそれとも違う。

喧嘩そのものを肯定し、受け容れること。

口で言うのは簡単でも、実際にそう考えるのは難しいんだ。

なのに、灯絵の表情は、心からそう言っていると分かるほど純粋で、優しい表情で。

……と、それはやがて、どこかおどけたものへと変わった。


「今日は、初めての喧嘩記念日だね」

「それから、けーくんのバースデイ・イヴでもあるの」

「一生、忘れられない日になりそう」


「……はは」


「えへへ」


僕らはくすくすと笑い合う。

本当に、灯絵には敵わないと思う。

腕に伝わる冷たさなんて忘れるほどに。

また一つ、灯絵の魅力を見つけた。

愛しい気持ちが、この部屋に溢れて。

僕らの世界に二人だけのような錯覚に陥る。

……と。

ちらり、と一瞬、灯絵の視線が逸れる。

その表情は、灯絵らしくいたずらっぽいものへと変わって。


「じゅう、」


突然、灯絵は数を数え始めた。

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