【番外編】漆黒に咲く③
衣典は、いわゆるXジェンダーというやつで、半分男性・半分女性という性自認をしているらしい。
それもあって、着る服はメンズ・ウィメンズを問わず、自分の着たいものを着ていると言っていた。
だけど——僕の知る限り、過去に祭りで会った時の衣典は、いつも甚平を着ていたんだ。
『夏は暑いし、人混みの中を動き回るなら動きやすい方がいいから』とのこと。
それなのに、今日は浴衣?
僕の質問を聞くや、衣典はたこ焼きを食べる手を止めた。
そして、んー、と悩むそぶりを見せて。
ほどなくして、あー、と頭を掻きむしり。
最終的には、じとっと半目になって僕を見た。
「そりゃあ、僕だって最初は甚平を着てくるつもりでいたさ」
「だけど……」
隣の灯絵を軽く指さして、ため息をつく。
「……コレが、浴衣姿を見たいって拝み倒すから」
「拝み倒してないもん。土下座だもん」
憤慨した様子で訂正を入れる灯絵。
衣典は、心底呆れ果てた顔をする。
「似たようなもんだろ。土下座と拝むは」
「全然違うよ。アシカとアザラシくらい違うよ」
「何だ、やっぱり似たようなもんじゃないか」
「……え、というか灯絵、土下座したの? 本当に?」
「された。お手本のような綺麗な土下座だった」
そこで、誰かが噴き出すのが聞こえた。
見ると、僕の隣に腰掛けた夕星だった。
苦笑半分、爆笑半分と言った感じで、小刻みに肩を震わせている。
「おいおい、灯絵ちゃん、どれだけ衣典サンの浴衣姿が見たかったんだよ」
振り向いて、唇を尖らせる灯絵。
「だって、あたしと衣典は長い付き合いなのに、浴衣姿は一度も見たことないんだもん」
「人生で一度は見てみたいって思うでしょ」
「まあ、気持ちは分からんでもないが……」
「いやいや、分かるなよ。古町」
衣典が冷静な突っ込みを入れる。
「そもそも、僕の浴衣姿を見て何が楽しいんだよ」
「何がも何も、すっごく楽しいよ?」
「大好きな子の浴衣姿を見ることができたんだもん」
「……ほんと、お前ってやつは」
衣典は頭を抱えて、何度目かのため息をついた。
「いつも言ってるけどさあ……恥ずかしげもなく、恥ずかしいことを言うなって」
「恥ずかしいことじゃないもん。大事なことだもん」
「それに……」
そこまで言うと、灯絵はじろじろと、衣典を眺めた。
頭の先から爪先まで、ためつすがめつ。
衣典は居心地悪そうにしているけれど、灯絵はそんなことは気にせず眺め続けて。
……そして、今日一番じゃないかと思える笑顔を浮かべた。
「うん。浴衣、すごくすっごく似合ってるよ?」
あたしの目に狂いはなかった、とばかりに、うんうん頷いている。
「いや、あのな——」
「確かに、良く似合っていますよ。衣典センパイ」
何か言いかけた衣典を遮るように、咲ちゃんも同調する。
開封されたりんご飴を時折舐めながら、優しく微笑んでいる。
それに毒気を抜かれたらしい衣典へ向かって、僕達も揃って頷いた。
「うん。本当に似合ってる」
「俺もそう思うぞ」
別にお世辞ではない。
衣典はスタイルが良くて、基本的に何を着ても似合うんだ。
だけど、この浴衣姿はいつもと違う雰囲気を孕んでいた。
甚平を着ている時と比べて少し動きにくそうな、その歩き方。
しっとりと汗ばんだ身体。
決まり悪そうに細く結ばれた唇。
一言で言うと『窮屈』と形容されそうなその様子は、何となく『女性』を感じさせるもので。
そこには、いつもと違う衣典の魅力があった。
灯絵が浴衣姿を見たいと言った理由が、なんとなく分かる気がする。
「ほんと、お前らは……」
それに気づいているのか、いないのか。
処置なし、といった風に衣典は頭を抱え、再びため息を辺りに広げようとした。
……その時。
「おっと、痴話喧嘩はここまで」
突然、夕星が手を上げて、制するような動きを見せた。
その視線は、まっすぐに遥か頭上を捉えている。
「始まったぞ」
それを追って、空を見上げようとしたその瞬間。
どんっ。
と、大きな音が轟く。
お腹に響くような力強い音だ。
その音に一瞬動きを止めたけど、すぐに僕らの視線は、夜空へとたどり着く。
そこには——
「わぁ……」
ぱあっ、と。
ゆっくりと開いていく花火があった。
色とりどりの光達は、四方八方へと散っていき。
どん、と、大きな音を立てる。
「たまや〜」
また別のところで光が空へと上っていって。
ぱあっ、と開く。
どん、という、存在感の強い音。
「かぎやー」
咲いては、散る。
それを、あらゆるところで繰り返す。
『花』火とはよく言ったものだ、と思う。
「(そういえば……)」
その時、僕の頭に浮かんだのは、灯絵と初めて会った時のことだった。
高校の屋上で立っている彼女を見つけた、あの日のこと。
一番初めにあったのは、深い憂いの表情。
そこにじんわりと浮かんだのは、
『……あはっ』
そう。
花火が開くみたいだ、と思ったんだ。
その笑顔を。
その華やかさを。
どん。
どん。
頭上で、花火が次々と弾ける。
その音は、在りし日の高揚感を思い出させた。
鳴るたびに、胸のどこかがじんわりと、優しく熱を帯びてくる。
何度も。
何度も。
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