【番外編】漆黒に咲く②

「咲は、今日を本当に楽しみにしてたからな。その分、申し訳ないって想いもひとしおなんだ」


夕星はどこか侘びるような口調で話す。

ぽんぽん、と咲の頭を撫でながら。

いつもの咲ちゃんなら『人前で頭を撫でないでください』と振り払うところだけれど、今はされるがままになっている。

それだけ落ち込んでいるってことなんだろう。


「こぉら、咲ちゃん」


——と。

不意に二本の指が伸びてきて、咲ちゃんの頬をつまんだ。

むに、むに、と、本当に優しい力で。

だけど、咲ちゃんはびっくりして横を向く。


「……灯絵しぇんぱい?」


「そんな、しゅんとした顔しないの」


「え……?」


真面目な、たしなめるような灯絵の表情に、咲ちゃんは困惑した様子を見せる。

怒られると思ったのかもしれない。

でも、違う。

僕には分かる。


「その落ち込んだ顔さえ絵になってて、すっごく綺麗なんだもん」

「そんな顔してたら、人がますます寄ってきちゃうでしょ」


「……あ」


そう。

これは——灯絵が相手をからかおうとしている時の顔なんだ。

からかって、場を和ませようとする時の。

咲ちゃんもその意図に気づいたようで、けれど何かを確かめるように、灯絵を見つめる。

そんな咲ちゃんに向かって、灯絵はふにゃっと笑ってみせた。


「だいいち、謝る必要ないよ」

「咲ちゃんは、自分のせいでトラブルに巻き込んだって思ってるのかもしれないけど……あたしたちは全然迷惑だなんて思ってないもん」

「あんなにたくさんの人を惹きつけて、咲ちゃんって本当にすごいなあって、それだけなの」

「むしろ、こんな可愛い子と仲がいいんだぞって、誇らしいくらいだよ」


「……灯絵センパイ」


落ち込んでいた咲ちゃんの目が、みるみる透き通っていくのがわかった。

その目はだんだん細くなっていき、やがて、息を呑むほど美しく弧を描く。


「ありがとう、ございます」


綺麗以外の言葉が見つからないほど、綺麗な笑顔だった。

それを見て、僕らはみんな、ほっとする。

あのことをずっと負い目に感じていたら、咲ちゃんも純粋に花火を楽しめないだろうから。


「いいからいいから。ほら、行こっ」


「ええ。そうですね」


灯絵に促され、咲ちゃんは改めて居住まいを正す。

背筋を伸ばして、浴衣の裾をきゅっと引っ張り、うん、と頷いた。

夕星は、先ほどまで咲ちゃんを撫でていた手を広げ、肩をすくめてみせる。

そして、二人には聞こえないように囁いてきた。


「なんつーか……敵わないよな。灯絵ちゃんには」


「……うん。そうだね」


灯絵は、場の雰囲気を和ませるのが本当に上手だ。

だけど、それはわざとじゃないんだろう。

さっきの咲ちゃんへの言葉だって、そうだ。

迷惑なんて、本当に思っていない。

咲ちゃんはすごいと、本気で思っている。

世話焼きで、優しい一面ももちろんあるけれど。

灯絵の言葉は、いつだって無邪気で、真っ直ぐで。

それが伝わるから、みんな毒気を抜かれてしまう。

敵わないなぁ、って気持ちになってしまうんだ。


「(……だけど)」


目の前で、さっきよりはっきりした足取りで歩き出そうとする二人を引き止めるように。

とん、と、僕は目の前の肩に手を置く。


「灯絵」


灯絵は振り向いて、首を傾げた。


「なぁに?」


そうして顕わになった耳に、僕はすっと口を寄せる。


「さっき、こんな可愛い子と仲がいいんだぞ、って言ったけど……」

「灯絵だって、可愛いよ」

「浴衣、本当によく似合ってる」


灯絵は、薄いピンク地に撫子の柄の浴衣を着ている。

暗がりの中、その浴衣は夜を払いのけるように浮かび上がっていて。

それは灯絵の心そのものみたいに、とてもよく似合っていた。

もちろん、浴衣姿を初めて見た時にも、似合っていると言った。

だけど、今、もう一度伝えなきゃって、何となくそう思ったんだ。

灯絵は、びっくりしたように僕を見る。

そして、しばらくして、隣の二人を見た。

そこには『見せつけてくれちゃって』と肩をすくめる夕星と、『本当ですよ』とすました顔を見せる咲ちゃんがいて。


「……えへへ」


うっすらとはにかむように、だけどそれを塗り潰すくらい嬉しそうに、灯絵は笑ってみせた。


「けーくん、ずるい」

「ほんと、ずるいんだから」




***




「ごめーん、衣典。お待たせっ」


ぶんぶん、と手を振る灯絵の姿を認めて、衣典は大きく手を振り返してくれた。


「おーい。早く来いよ」

「もう花火始まるぞ」


僕ら四人は、早足でそちらへと向かう。

そして、一人そこで待っていてくれた衣典に、一斉に声をかける。


「すみません、お待たせしました」


「お疲れさま〜」


「ありがとう」


「場所取りを任せちゃって、悪い」


「いや。ここはいい所だな、退屈はしなかったよ」


衣典の言葉を聞いて、辺りを見回す。

そこは山道の途中、少し開けた場所だった。

ちょっとした公園よりは遥かに広くて。

視界を遮るものはなく、広く景色を見渡せる。

高いところではないけれど、花火を観るにはもってこいだろう。


「へぇ。こんなところがあるんだ」


「言ったろ、穴場だって」

「地図にも山の一部って形でしか載ってないし、地元の連中しか知らないんだ」


確かに、夕星の言う通りだ。

祭りの会場にはあれだけ観光客がいたのに、ここは人がまばらで、静かだった。

これなら、花火の音もよく聞こえるだろう。


「はい、衣典リクエストのたこ焼き」


「サンキュ」


と。

隣では、灯絵が手の荷物を手渡していた。

大きなたこ焼きが6個、ぎっしり詰まったパッケージを、衣典は嬉しそうに受け取る。


「ちょっと冷めてるけど、ごめんね」


「気にするな。猫舌だから、ちょっと冷めてるくらいでちょうどいい」


爪楊枝をくわえながら、衣典は器用にパッケージを開ける。

その後、すぐ爪楊枝を手に持ち替えてたこ焼きに刺す。

手慣れたその様子をじっと見ていると、衣典がこちらを振り向いて訊いてきた。


「何だよ?」


「いや……今日は浴衣なんだな、って」


今日の衣典は、浴衣姿だった。

灯絵とは対照的で、辺りに溶け込みそうな夜色をベースにした花火柄の浴衣。

だけど、問題はそこじゃない。


「いつも、夏祭りに来る時は甚平を着てたじゃないか」

「今日はどういう風の吹き回し?」

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