ミニチュア・エタニティ⑧

「ごめんね、嫌な事を言わせちゃったね」

「大事な人が亡くなっただなんて、言いづらいよね」


そしてなお、灯絵は僕を気遣ってくれる。

涙目のまま、零れるような笑顔を浮かべて。

——あぁ。

灯絵は本当に素敵な女性だ、と思う。

死んでしまった今も。

この優しさにずっと救われてきた僕は、本当に幸せ者だろう。

だからだろうか?

素直な謝罪の言葉が、僕の口から流れ出る。


「いや、僕が悪かったんだ」

「一人で抱え込もうとせずに、最初から灯絵に話していればよかった」

「そうしたら、灯絵に余計な心配をかけることはなかった」

「嫌な思いをさせたのは、僕の方だよ」


改めて、真っ直ぐに灯絵の方へ向き直った。

そして、深く頭を下げる。


「ごめん。灯絵」


これほど真剣に、灯絵に謝罪したことはなかったろう。

そもそも、今まで喧嘩らしい喧嘩もした事がなかった、というのもある。

だけど、理由はそれだけじゃない。

この謝罪は、決意でもあった。

灯絵と最高の誕生日を過ごすんだ、という決意。

さっきまでのように、流されるがままに過ごすんじゃない。

奉仕の気持ちで灯絵と向き合い、最高の思い出にする。

その上で、灯絵がこの世を離れるのを見届ける。

そんな、強い決意だった。


「……いいよ」

「辛い事があったら、どうしていいか分からなくなるのは当たり前だもん」

「だから、ね、顔上げて」


言われるままに顔を上げる。

灯絵は困ったように、だけど嬉しそうに、笑っている。

それを見て、僕の想いは伝わったんだと分かった。

灯絵の顔はふにゃっと崩れていて、可愛くて、どこか懐かしいような気持ちになる。


「ね、けーくん」


——と。

灯絵は気持ちを切り替えようとばかりに、ぐしぐし、と目を袖でこすった。


「それより、食べよっ」

「ご飯を食べたら、気持ちがあったかくなるよ」


「……うん。そうだね」


灯絵が促した通りに、僕はテーブルへと向き直る。

そしてもう一度、僕はシチューを口へ運ぶ。

ぱくり、と一口。

……やっぱり、味はしない。

だけど、その代わりにと言わんばかりに。

さっきまでは気付かなかった感覚が、強く口の中で広がっていくのを感じた。


「美味しい?」


「……あったかいよ」


灯絵の言う通りだ。

ご飯を食べると、気持ちが温かくなる。

さっきまで話しているうちに、少し冷めてしまった料理。

それでも、不思議なほどに心は満たされて。

温かさが、僕の中でいっぱいに広がっているんだ。


「えへへ。なぁに、それ」

「美味しいかって聞いたのにー」


灯絵は、膨れっ面で僕を見上げる。

美味しい、と言わなかったのがご不満らしい。

でも、目が笑っているから、本気で怒っているわけではないんだろう。

そんな可愛らしい表情を見て、正直に話すかどうか、少し迷う。

……だけど。

それでも、下手な言い訳をするよりは良いだろう、と思った。

さっきみたいに心配をかけるよりは、ずっと。


「いや……実は、今ちょっと味が分からないんだ」

「味覚障害みたいになっててさ」


だから、僕ははっきりそう伝えた。

途端、灯絵の顔は不安と心配に包まれる。


「えっ、それ、大丈夫なの!?」

「他に具合が悪い所はない?」

「咳が止まらないとか、熱があるとか、だるいとか」


「大丈夫。そういうのじゃないんだ」

「多分、ストレス性の物だよ。あんな事があった後だからね」

「落ち着いたらすぐに治まると思う」


「……ほんとに?」


「うん」


灯絵が覗き込んでくるその視線を、正面から受け止める。

そして、大丈夫だ、と伝えるように笑ってみせた。

誤魔化すのとは違う。

だって、本当に舌は大丈夫なんだから。

嘘じゃないと分かったのか、灯絵はむー、と唸りながら目を逸らした。

その視線はテーブルの料理へと向けられる。


「じゃあ……残りはどうする?」


そして、灯絵はおずおずと切り出した。


「冷蔵庫に入れとこっか?」

「それとも、捨てちゃう?」

「一応、栄養は摂っといた方がいいとは思うけど……」

「味が分からないなら、食べてても楽しくないよね?」


「い、いやいや」


灯絵のシチューを捨てるなんてとんでもない。

少し焦りつつ、僕は首を振った。


「今、このまま食べるよ」


「ほんとに? それがストレスになったりしない?」


聞いていて、つい噴き出しそうになる。

本当に、灯絵は優しい。

優しすぎるくらいだ。

自分が作った料理を、捨てようか、なんて言う女性はそうそういない。

普通は、もったいないから後で食べて、と言ってタッパーに詰めるか、せっかく作ったのに、と怒るかのどちらかだ。

でも、灯絵はそんなこと一切言わない。

僕の体調と気持ちを、第一に考えてくれる。

それで、この胸の温かさがさらに広がっていくのを感じた。


「ならないよ。ストレスになんて」

「ご飯を食べると、気持ちがあったかくなる。そう言ったのは、灯絵だろ」


「そうは言ったけど……」


「それに、味が分からなくても、込められた灯絵の想いは伝わるから」

「だから、食べたいんだ」


「……けーくん」


そう。

灯絵の気持ちが嬉しくて。

気遣い抜きで、本当に食べたいと思う。

灯絵は少し、何かを考えるようなそぶりを見せた後。

——何か思いついたように、ぽん、と手を打った。

そして、いたずらっぽく笑ってみせる。


「じゃあ、あたしの気持ちがもっと伝わるおまじないをかけたげる」


「おまじない?」


首をかしげる僕の前で、灯絵はおもむろにフォークを摘んで、ケーキをひとかけ切り崩した。

そして、それを刺して、僕の口元に差し出す。


「ほら、あ~ん」

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