ミニチュア・エタニティ⑥

愛しさだとか。

労わりだとか。

悲しみだとか。

苦しさだとか。

渇きだとか。

未練、だとか。

僕の中にある、ベクトルのばらばらな感情の数々。

それらが全部混ざって、ぐちゃぐちゃで。

胸が痛んでしょうがなくて。

なのに——この想いを『嬉しい』と呼ぶ、なんて。

そんな矛盾を、生まれて初めて知る。


『だから、これからは頻繁に寝坊してね』


どこか他人とズレている発言をする時があるけれど。

面倒見が良く、世話焼きで優しい彼女。


『あたしが一番にけーくんの誕生日を祝いたかったもん』


良くすねたりはするけれど。

すぐに別のことを見つけては笑っている、無邪気な彼女。


『人生って川の流れに似てるなぁ、って思うことがあるの』


そして、その内側に脆さも抱えていて。

深く何かを憂いているような表情をたまに見せる彼女。

それらは、全て灯絵の一部だ。

それは間違いない。

けれど、今目の前にいるのは、どの灯絵とも違う。

手を少し震わせ、肩すら揺らして。

それでも、呆れるほど真っ直ぐに僕を見つめて。

目には涙と、それ以上の強い覚悟とを滲ませて。

身体の色が薄いなんて思わせないほどの、強い強い存在感を放っている。

もし、僕がここで「迷惑だ」と言ったら、本当に出て行くんだろう。

時間をかけて準備してくれた誕生日パーティーさえ、全部投げ捨てて。

手早く荷物をまとめた後、また明日、とでも言って笑うんだろう。

全ては、僕だけの為に。

——あぁ。

僕はようやく、灯絵の本質に触れた気がした。

ふわふわとした見た目や笑い方とは裏腹に、芯が強くて。

必要なら、自分を犠牲にしてでも、僕が一番幸せになれる方法を選ぶ。

それはきっと、不屈の愛とでも呼ぶべき物なんだろう。

あるいは、強い奉仕の心。


「(……奉仕?)」


そのキーワードが頭を過ぎった時。

僕の頭に、ある詩の一節が浮かび上がった。

作者の中で、きっと一番有名であろう詩。




『愛するものが死んだ時には、

自殺しなけあなりません。


愛するものが死んだ時には、

それより他に、方法がない。


けれどもそれでも、業(?)が深くて、

なほもながらふことともなつたら、


奉仕の気持に、なることなんです。

奉仕の気持に、なることなんです。


愛するものは、死んだのですから、

たしかにそれは、死んだのですから、


もはやどうにも、ならぬのですから、

そのもののために、そのもののために、


奉仕の気持に、ならなけあならない。

奉仕の気持に、ならなけあならない。』




中原中也の『春日狂想』の一節だ。

僕は高校の頃に、初めてこれを読んだ。

だけど、どうしてもピンと来なかったのを覚えている。

この『奉仕の気持』というのが、何なのか。

中原中也は、どんな気持ちで残りの人生を過ごしたのか。

それが、どうしても理解できなかった。

そして、それは『愛するものが死んだ』今も同じだ。

実際、人によって解釈は様々だと聞く。

正解なんて物は、一生解明される事はないんだろう。

だけど、それで良いんだと、今なら思う。

大切なのは……僕が今、、という事。


「……………………」


改めて、目の前の灯絵を見つめる。

覚悟のこもった目。

僕の裾を揺らす指先。

灯絵は、さっきまでと全く変わらない佇まいで、そこにいた。

そう。

灯絵のこの心の有り様は、僕にとっての『奉仕の気持』そのもの。

心を鎮めて、相手を見つめて、ありのままに受け入れる事。

そして、相手の幸せを願う為に、多少の犠牲を覚悟する事だ。


『あたしじゃ、けーくんの助けになれない?』

『あたし……ここにいても、迷惑じゃない?』


その上で、僕に真っ直ぐ向き合ってくれた。

震えながら、はっきりとそう訊いてくれた。

それに引き換え、僕はどうだ。

灯絵が帰ってきた事に焦って、視野が狭くなっていた。


『大丈夫。ただ着てただけ』

『しばらく灯絵のシチューを食べてなかったから、びっくりしただけだよ』


見え透いた言い訳を並べて、灯絵と真っ直ぐ向き合おうとすらしていなかった。

そんな気持ちで灯絵を見送れるなんて、思い込んでいた。

『灯絵と幸せな時間を過ごそう』だなんて、形ばかりの覚悟を決め込んで。

それを実現する為にするべき事さえ、何一つ考えてやしなかったんだ。

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