ミニチュア・エタニティ③

***




「「いただきます」」


その言葉で、合わせた手をほどく。

目の前には、灯絵の手料理が並んでいた。

必殺料理スペシャリテのビーフシチュー。

サラダにスープ。

そして、僕の大好きなイチゴがたくさん乗ったショートケーキ。


「……えへへ」


そして隣には、何よりも優しい笑顔。

ふわふわしていて、和やかで。

確かな期待を込めて、じっと僕を見守っている。

——そう。

これは、あの日見るはずだった光景。

僕の待ち望んでいた食卓そのものだった。

もう一生、見ることはないと思っていた。

だけど今、それは確かに目の前にある。

数日遅れでも。

幽霊であっても。

だから、僕もつい顔を緩めてしまう。


「すごく美味しそうだね」


「それはそうだよ。実際美味しいんだから」

「ほら、パクッといっちゃって」


自信満々な灯絵に促されるまま、僕はスプーンを手に取った。

まずは、シチューを掬う。

茶色のソースがとろっと絡みついて。

その手応えが、ふと、遠い記憶を呼び覚ます。

灯絵のシチューを初めて食べたのは、確か、付き合い始めて少しした頃。

灯絵の家で、初めて夕食をご馳走になった時だったと思う。

あの時は、本当に衝撃だった。

たった一口。

それだけで、僕の中の『シチュー』という概念を塗り替えてしまったんだから。

しばらく呆然と動きを止めた後、思い出したように『美味しい』と呟いた僕に。

灯絵は得意げに、だけど少しだけほっとした様子でVサインをしてみせた。

あの時の鮮烈な美味しさは、今も忘れられない。

そして、今。

それと同じメニューが、目の前にある。

だから、強い期待を胸に——僕は、シチューをそっと、口にした。


「(……………………え)」


……そして。

違和感は、その直後にやってきた。

呆然と手を止めて。

だけど、しばらくして我に返る。

噛む。

噛む。

噛む。

何度も、何度も。

そして、それを飲み込む。

スプーンをもう一掬い。

口に入れる。

噛む。

噛む。

噛む。

それもしっかりと飲み込んだ後。

僕は、もう一度手を止めた。


「(……何で)」


目の前のシチューをじっと見つめる。

信じられない、という思いで。

だって、それには、あるはずのものがなかったから。


「(どうして……このシチュー、んだ?)」


見た目には、美味しそうだと思う。

湯気も出ていて、食欲をそそる。

食べている感触だって、ちゃんとある。

なのに——本当に、どうしようもなく、味がしなかった。

味だけが、料理からすっぽり抜け落ちたみたいに。


「(……味覚障害?)」


そういえば、さっき灯絵が訪ねてくるまで、ここ数日まともな食事をしていなかった。

まして、あんなことがあった後だ。

ショックで、味覚障害になった可能性も考えられる。

そう思った。

——いや。

思おうとした。

だって、心の中では気付いている。

変な確信があったんだ。

これは、きっと味覚障害なんかじゃないんだ、って。


「ど、どうしたのけーくん?」


「……………………え、」


「どうして泣いてるの?」


焦った声で、ふと我に返る。

いつの間にか、頬を温かい物が伝っていた。

言われなければ分からなかっただろう、と思えるほど小さな一粒だ。


「大丈夫?」


灯絵が、こちらに人差し指を伸ばしてくる。

多分、涙を拭おうとしてくれているんだろう。

他の事を考えていたせいもあって、頭が上手く働かなくて。

僕は自然と、その厚意を受け入れようとした。

その時だった。






——ひやり、と。






反射的に飛びのきそうになるのを、反射的にこらえる。

それは『愛する人を傷つけたくない』という、ごく当たり前の想いだったんだろう。

だけど、心臓が跳ねるのだけは、抑えることはできなかった。

どくん。

どくん。

どくん。

そう。

灯絵の指先は、びっくりするほど冷たかった。

普通の人間にはありえない温度。

灯絵の気遣いによる、そのたった一瞬の触れ合いは。

忘れるな、という、僕への警告にすら思えた。


「(ああ……そうか)」


気付いてしまう。

さっきの確信が、はっきり形を持ってくる。

僕がどう思っていても、どれだけ期待したとしても。

それは『幽霊』が持ってきた食材で作った料理だ。

普通であるわけがないんだ……。

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