ミニチュア・エタニティ①
***
トン、トン、トン、と。
キッチンから、小気味良い音が聞こえてくる。
「ふんふん、ふふふーん♪」
「ふんふふ、ふんふんふー♪」
そして、それに乗って流れてくるのは、どこか温かいハミング。
聞き覚えはないのに懐かしいような。
テンポが速いのに落ち着くような。
何より——嬉しいのに、泣きたくなるような。
そんな気がして。
「ふふん、ふふん、ふーふー♪」
「ははっ。ご機嫌だね」
「それはそうだよ。ご機嫌にもなるよ」
灯絵は手と鼻歌を止めて、振り向いた。
「だって、明日は、けーくんの誕生日だもん」
いたずらっぽい笑みを浮かべた後。
灯絵はまた、手元の料理に戻っていく。
……何だろう。
僕の誕生日なのに、自分のことのように嬉しそうで。
手つきはリズミカルで、生き生きしていて。
時々覗かせる仕種の一つ一つさえ、灯絵そのもので。
だから、こうして遠くから眺めていると。
あれが幽霊だなんて——嘘みたいだ。
『約束したでしょ。けーくんの誕生日パーティーをやるって』
『だから、来たんだよ』
さっき、灯絵が訪ねてきた時のことを思い出す。
あれは、本当にびっくりした。
息をするのも忘れるほど。
一瞬、本物かと疑いさえした。
だけど、全体的に色がくすんでいることに気づいて。
ようやく、彼女が幽霊だと分かったんだ。
『……今日は、10月23日』
『けーくんの誕生日の、前の日だよ』
そして、灯絵はそう言った。
もうとっくに終わった日付を、僕に告げた。
ごく当たり前のように。
つまり、それが意味するのは——
「(灯絵は…………自分が死んだって気づいていない……?)」
そう。
飛躍した仮説ではあるけれど。
灯絵の中では、きっと、あの日の続きなんだ。
轢かれてすぐに、灯絵は命を落として。
その時に、魂もぽろっと落としてしまったのかもしれない。
そして、『僕の誕生日パーティーをする』という、生前の記憶をそのまま引き継いで。
その零れた魂が幽霊となって、こうしてここにやって来た、と。
……もしかしたら、それは神様がくれた、少し遅めの誕生日プレゼントなのかもしれない。
大切な人を喪った僕を哀れんで、二人の思い出を作る最後のチャンスをくれたのかもしれない。
あるいは、神様の気まぐれなのか、うっかり灯絵の魂を取りこぼしただけなのか。
真偽は、一切分からないけれど。
「(…………はは)」
なんて。
正直、自分でも馬鹿らしく思う。
いくつか辻褄が合わないこともあるし——第一、非科学的もいいところだ。
僕の気がふれてしまって、幻覚を見ているだけだ、と。
そう言われた方が、まだ信じられる。
……だけど。
僕は、改めてもう一度、灯絵を見つめる。
「ふふふふふ、ふんふー♪」
いつの間にか、聞こえてくる音がトントンからコトコトに変わっていて。
鼻歌も、どうやら別の曲へと進んだようだ。
その合間合間に、灯絵は鍋をかき混ぜたり、野菜を手で千切ったりしている。
とても楽しそうに。
……きゅっ、と、胸が締め付けられて。
だけど、それは決して嫌じゃなかった。
「(今は、どうだって良い)」
彼女が幽霊なのか、幻覚なのかも。
灯絵がここにいる理由さえ、どうでも良い。
今、大切なのは——灯絵がここにいる、その事実だけ。
今まで何度も見てきた、その花火のような笑顔だけ。
だから、今は、灯絵と幸せな時間を過ごすことだけ考えよう。
灯絵の言動の全てを、一切逃すことのないように見届けよう。
僕の『誕生日』を迎えるその瞬間までを、後悔がないように過ごそう。
今の僕にできるのは、それだけしかないんだから。
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