決壊③
少し大きめの荷物を手に提げて。
記憶通りの可愛い笑顔を浮かべて。
「……………………何、で、ここに」
喉はいつの間にか、カラカラに渇いていて。
何度も何度もつっかえながらも、僕はかろうじて、そう絞り出す。
「何でって……」
「もう。寝ぼけてるの?」
灯絵は呆れたように呟いた後、ずいっ、と顔を寄せてきた。
そして、真っ直ぐに人差し指を立てる。
「約束したでしょ。けーくんの誕生日パーティーをやるって」
「だから、来たんだよ」
……どういう、ことだ?
灯絵は、確かに死んでしまったはずで。
僕は、その死に顔を告別式場で見たはずで。
なのに、ここにはその灯絵がいて。
失われたはずの笑顔を僕に向けていて。
そして、あの日流れてしまったはずの『誕生日パーティー』をやる、と言っている。
僕は、状況を整理しようとした。
だけど、考えようとすればするほど、頭は真っ白になっていくようで。
まるで、脳が思考を拒否しているみたいだ。
「ねぇ、」
……と、それを中断させるように。
「そんなことよりっ」
灯絵はもう一度、ずいっ、と顔を寄せてくる。
「早く中に入れてよ」
「ケーキ、冷蔵庫に入れちゃいたいの」
「あ、あぁ」
「えへへ。ありがとっ」
僕が反射的に身体をどけると、灯絵は脱いだ靴を綺麗に揃えて、軽快な足取りで部屋へ上がる。
そして言葉の通り、荷物の中からケーキの箱を取り出して、冷蔵庫へと仕舞った。
続けて、他にも色々と荷物の中から取り出し始める。
あれは……食材?
灯絵が亡くなる前日に一緒に買った、僕の誕生日パーティー用の食材だ。
灯絵は、それもケーキと一緒に冷蔵庫へと仕舞い始めた。
その姿を後ろから見つめる。
「(…………あれ?)」
何だろう。
ほんの少しだけ、違和感がある。
あまりのことに、さっきまでは気にもしていなかったけれど。
その後ろ姿は、最後に会った時と比べて、何かが違うように感じたんだ。
もう一度、良く目を凝らす。
その『灯絵』の隅々まで見つめる。
……そして、気づいた。
「(……色が)」
そう、色合いだ。
薄いというか、色素を少し失くしてしまったような感じだ。
ふわふわで自慢の髪も、お気に入りのワンピースも、少しだけくすんでいる気がする。
……いや、それだけじゃない。
今、冷蔵庫に仕舞おうとしている食材も、そうだ。
変色しているのとは違う。
何だか——全体的に、生気を失くしてしまったように見えて。
「(ああ)」
それで、僕は唐突に理解する。
「(これは、灯絵の幽霊なんだ)」
突拍子もない発想ではあるけれど。
死んだ人が目の前に現れたのなら、それは幽霊以外にあり得ない。
良く考えれば、当たり前のことだ。
なら、死んでもなお、僕に会いに来てくれたんだろうか?
僕を遺して逝ってしまったことが、気がかりで?
……………………いや。
それにしては、様子がおかしい。
誕生日パーティーをしに来た。
さっき、灯絵はそう言った。
約束したでしょ、とも言った。
——それが、ごく当たり前であるかのように。
「ところで、さ」《《》》
「……え?」
その時。
冷蔵庫を閉めた灯絵は、そっと振り向いて、訊いてきた。
「どうしたの? その格好」
……格好?
自分の身なりを確認する。
それで、僕が告別式に出た格好のままだということに気づいた。
あの時、確かに意識はあやふやだったけど。
部屋に帰ってきて、着替えることすらしなかったらしい。
「……これは」
言葉に詰まる僕に、灯絵はなおも訊いてくる。
「もしかして、誰か知り合いが亡くなったとか?」
「これから葬式に行かなきゃいけなかったりする?」
「だったら、誕生日パーティーなんてしてる場合じゃないよね?」
……ああ。
その表情を見て——僕は何となく、けれど確実に悟った。
これは、紛れもなく灯絵だ、って。
だって、心配する様子が、そっくり同じだ。
10度くらい首を傾げて。
頬を少し紅くして。
眉をひそめて。
右目には『あたしは心配です』、左目には『本当です』、と書いてある。
幽霊であることなんて、どうでも良い。
そう思えるほど、彼女は生きていた頃のままだった。
「……いや」
口許に、笑みが浮かぶ。
笑ったのなんて、何日振りだろうか。
さっきまで強く波打っていた心が、今は信じられないほど落ち着いていた。
「大丈夫。すぐ着替えるよ」
「ほんとに?」
「あたしと誕生日パーティーするための嘘とかじゃなくて?」
「大丈夫。ちょっと着てただけ」
「ごめんな、変な心配させて」
「そっかぁ。なら良かった」
喪服を『ちょっと着てただけ』なんて、苦しい言い訳だったかもしれない。
だけど、灯絵は疑うことなく頷いてくれた。
そんなところも灯絵のままで。
そのことが、ただただ嬉しくて。
「……あぁ、でも一個だけ」
「んー?」
「変なことを訊くんだけど」
「なぁに?」
そう。
これだけは訊いておこう、と思った。
部屋の奥へ向かおうとした灯絵に、できるだけ丁寧に、問いかける。
「今日って、何月何日だっけ」
灯絵は少しだけ、さっきと同じ心配そうな顔をした後。
困ったように微笑んで、確かな声で、答えてくれた。
「……今日は、10月23日」
「けーくんの誕生日の前の日だよ」
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