決壊①

***




「……………………」


気がつくと、僕は暗い所で、膝を抱えて蹲っていた。

そこは、とても静かで。

そして、じんわりと寒くて。

例えるなら——形がなくて、引き金もついていない機関銃みたいな。

そんな無意味な闇が、目の前に漠然と広がっていた。

ほどなくして、目がその暗さに慣れて来る。

そこは、僕の部屋だった。

大学に通うために借りた、マンションの一室。

……どうして、ここにいるんだろう?

確か、僕はさっきまで、灯絵と大学の入試に向けて勉強していたはずで。

灯絵の妹や弟に冷やかされながらも、同じ大学を目指して、必死で頑張っていたはずで。

そして、その前は確か、告別式の式場にいて。

見たくもないのに、灯絵の死に顔を覗き込まずにはいられなくて——

…………あれ?

ざらり、と撫でるように。

ぼやけた頭が、その思考の矛盾を感じ取る。

……どうも、記憶が曖昧だ。

多分、夢と現実がごっちゃになってしまっているんだろう。

そう思って、何とか頭を整理しようとするけれど。


「(…………あ、れ)」


駄目だ。

ひどく、頭がぼうっとして。

熱に浮かされたように揺らめいていて。

そして、何もかもが億劫で。

考えることすらままならない。

記憶どころか、意識すら曖昧だった。

千切れるほど絞り出そうとしても、滲むのはかすかな溜息だけ。


「(……全部、夢だったんじゃないか?)」


ままならない思考の末に。

そんな考えが、頭をもたげる。

さっきまで見ていたのは全部、何かの悪い夢で。

マンションにいる、今この瞬間だけが現実。

寝起きだから、こんなに意識が曖昧なんだ。

そう自分を納得させようとして、

……でも、それなら、灯絵と受験勉強をしていたあの夢は?

受験勉強をしなければ、大学へは入れないし、このマンションで生活することだってできない。

そうすると、あれは現実かもしれなくて。

…………あれ?

分からない。

どこまでが夢で、どこからが現実なのか。


「(……………………いいか、どうでも)」


目を閉じる。

今はもう、何も考えられない。

いや——考えたくない。

放心状態って、心を放すと書くけれど。

それがどういうことなのか、分かった気がする。

こうして、何もかもを諦めて、考えるのをやめてしまうことだ。

人にはきっと、心の奥底にドアがあって。

誰にも見せたくないものが、その中にしまってある。

自分自身で見たくないものも、また。

だから、ドアノブから手を放せば、それで終わりだ。

何も感じないまま、この闇の中へ沈んでいくことができる。


「………た」


できる、と。


「……………………った」


——そう、思っていたのに。






「…………痛った……」






放したばかりのそのドアは、今、ギシギシと音を立てていた。

中で何かが暴れている。

手がつけられないほどに。

そして、ほどなくして。

『それ』はいとも簡単に、そのドアを破いた。

さっきまで、見ないようにしていた物が。

そこからいくつも、いくつも、信じられない勢いで、溢れ出してくる。


『あたし、赤浦灯絵、っていうの』


灯絵の、花火のような笑顔が甦る。

あの日から、僕達の愛が始まったんだ。

そこに絶望が仕込まれていると知らないまま。


『今は、都筑くんを見ていたいの』


灯絵の、恥ずかしそうな笑顔が甦る。

それは、時も止まるほど幸せな言葉で。

だから、お互いのその瞬間のことしか見えていなかった。


『けーくんが、好きだから』


灯絵の、ふにゃっと崩れた笑顔が甦る。

同じ大学を目指す僕達は、お互いの想いをより強くして。

だけど、それが皮肉にも、あの事故に間接的に繋がる結果となった。


『じゃあ、また明日ね』


灯絵の、柔らかく手を振る姿が甦る。

あの時、二人の見ていた未来は、ただただ眩しいもので。

逆光の彼方にあるのが交通事故だなんて、想像すらしなかった。

……そんな思い出が、いくつも、いくつも溢れる。

とめどなく、溢れ続ける。

夢じゃないんだ、って言うように。

支えきれない痛みと共に。

うわん、うわん、と頭に反響して。

痛みは、どんどん増していく。


「……いたい…………」


何度目かの呟き。

だけど、それはさっきまでの言葉とは違っていた。




「会いたい……」

「灯絵……」

「会いたいよ…………」

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