回想:同じ方を見ていた。(後編)
屋上で出会った時以来の、本当に久しぶりの謎々で。
だけどあの時と違って、今は少し不貞腐れた表情で。
「(……えっと)」
少し考える。
『眺めていると、落ち着くから』。
あの時の答えは、そんな子供っぽいものだった。
子供っぽくて、稚拙で、理屈に合わなくて。
だけど何より、愛嬌があって——無邪気な答え。
「(どうして、ここで謎々を?)」
あたしの人生のどこに役立つって言うのさ。
さっき、灯絵はそう言った。
あたしは、どうして数学を勉強しないといけないのでしょう?
その後、灯絵はそう問うた。
言い回しこそ違うけれど、よく考えれば、言っていることはほぼ同じだ。
なら、灯絵はどうして、わざわざ謎々に言い換えたのか?
その事自体に意味があるんだろうか。
「(……あ)」
そう考えた時。
僕は、ようやく気づいた。
「……僕と同じ大学に、行きたいから」
「だから、苦手な数学でも勉強しなくちゃいけない」
するり、と。
その考えは、頭から口へと直接滑り出る。
そう。
きっと、これが灯絵の望む答えだ。
さっきまで灯絵がすねたような返事をしていたのは、やる気がなかったわけじゃない。
難しい理屈を並べてやる気を出させようとした僕に対する、ささやかな反発だろう。
灯絵には、そんな言葉は要らなくて。
『僕と同じ大学に行くために、頑張ろう』。
それだけで良かったんだ。
謎々に言い換えたのは、もっと子供っぽい答えだよ、というメッセージだったんだと思う。
「うん、正解」
そして、ふにゃっと崩れたその表情を見て。
僕の考えは当たっているんだ、と分かる。
ほっとするよりも、嬉しい、と思った。
出会った頃より、灯絵の考えが分かるようになってきたこと。
そして、僕と同じ大学に行きたいという灯絵の想いが、何よりも嬉しい。
「あ」
「でも、補足してもいい?」
……と。
続く灯絵の言葉に、僕は首を傾げた。
「補足?」
「うん。あたしが、数学を勉強する理由」
「実は、もう一つあるんだ」
灯絵は身体を起こすと、僕を真っ直ぐに見つめた。
そして——頬を少し赤くして、もう一度、ふにゃっと笑う。
「けーくんが、好きだから」
「けーくんの格好良いところを見たいな、っていう、ちょっとした下心」
「得意教科を教えてくれる横顔が、凛々しくて素敵だな、って思ったりするの」
「だから、あたしは数学を勉強するの」
「勉強したいな、って思うんだ」
「灯絵……」
元々は、僕が提案した勉強会だ。
だけど、灯絵には灯絵なりの下心があったらしい。
しかも、こんなに嬉しい下心が。
自分の口元が、どんどん緩んでいくのを感じる。
「……じゃあ、頑張ろう」
「絶対、受かろうな」
「うんっ」
何だろう。
愛おしいって、こういう気持ちなのかな、と思う。
相手のことでいっぱいに膨らんだ胸の内。
ぎゅっと締め付けられるのに、温かく幸せな想い。
そして——抱きしめたいという衝動。
灯絵も同じ気持ちなんだと、目を見て思う。
衝動と、雰囲気。
それらの言う通りにしようか、とも思う。
……だけど、できなかった。
「……いけ、そこで、ちゅーだっ」
「……だめですよ。まずは頭をなでたりして、フンイキを作らないと」
少し開いたドアから、そんな小声のやり取りが聞こえたから。
灯絵にもそれは届いたらしく——呆れた表情を浮かべながら、ドアの方へ呼びかける。
「……こぉら、二人とも」
「うにゃっ、何でばれたし!?」
「……見つかってしまいました。不覚です」
灯絵の妹と、その弟。
二人は悪びれるでもなく、あっさり顔を出した。
僕は苦笑しながら、二人に挨拶する。
さっきしたばかりだけど、この状況ですることは挨拶しか浮かばない。
「もう。バレるに決まってるでしょ」
「覗きは犯罪だから、しちゃだめだって言ったじゃない」
「あ、気にしないでお姉ちゃん。あたしたちのことは、インテリアか何かだと思ってていいよ」
「二人のお邪魔はしませんので」
「「れっつ、ちゅー」」
「……おませなことを言ってないで、さっさと部屋に戻んなさい」
「好きなお菓子、持って行っていいから」
「お菓子なんかじゃ釣られないよ」
「今まで男っ気がなかった姉が彼氏を連れてきたとなれば、気になりますよ」
「……いいから、戻んなさい。これは姉命令」
「でないと、晩御飯はおかず一つ抜きにしちゃうよ」
「うぐぐ……晩御飯を人質に取るとはヒキョウな」
「これは立場が悪いですよ。おとなしく引き上げましょう」
「ちぇっ、いいところだったのにー」
「では、後は若い者同士でごゆっくり」
二者二様の返事を置いて、二人はバタバタと走り去っていった。
足音が消えるのを確認した後、僕らは顔を見合わせて——肩をすくめて、笑い合う。
「可愛い妹弟だね」
「もう。あんな言葉、どこで覚えたんだろ……後で部屋の本棚をチェックしないと」
「まぁまぁ、二人もそういうお年頃なんだよ」
「見られたくないものもあると思うし、それは勘弁してあげなよ」
「むー……けーくんがそう言うなら」
灯絵をなだめながら、さっきまでの雰囲気がすっかり霧散してしまったのを感じる。
それは、灯絵の方も同じようだった。
だから、それ以上何をするでもなく、僕らは再び参考書を広げる。
——だって、何もする必要がなかったから。
「……じゃあ、休憩は終わりにしようか」
「……うんっ」
二人は、同じ夢を見て、同じ方へ歩いている。
それを確認できただけで、充分だったから——。
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