軋轢②

そう。

それくらい、棺の中の灯絵の顔は、いつもと変わらなかった。

事故で滲んだ血も拭われ、死に化粧を施された、その顔は。

初めて会った、あの日と同じだ。

優しい印象を与える垂れ目。

全体的に細いフォルムの鼻や眉。

桜の花びらみたいにぷっくり膨らんだ唇。

白い肌のキャンバス。

その全てが、バランス良く、愛嬌のある顔立ちを作り上げていた。

それは、不必要なくらいに可愛くて。

事故に遭っただなんて——本当に、嘘みたいで。

だから、別れ花を添えた後、僕はすぐに外に出てきた。

あれ以上あそこにいたら、自分が何をしでかすのか、分からなかったから。

このまま家に帰ろう、と。

とにかく、ここにいたくないと。

そう思っていた。


「…………」


だけど、式場を出た瞬間。

突然、足が動かなくなってしまった。

行こうか、と夕星に促された今も、なお。

これは、一体何なんだろうか?

未練じゃないのに。

むしろ、その逆なのに。

足は、さっきからじっと黙ったまま。

ねぇ。

動いて。

もう何度目かも分からない呼びかけをしようとした——その時。


「……」


ふわん——と。

遠くで、車のクラクションが鳴るのが聞こえてきた。

どこか間の抜けたような、少し場違いにも聞こえるその音は。

じんわりと尾を引く。

長く、長く、長く。

霊柩車が出発する時には長いクラクションを鳴らす、と聞いたことがある。

恐らく、あれがそうなんだろう。

それにつられて、少しだけ、空を見上げた。

夕星も。

咲も。

僕も。

皆で、想いを馳せるように。

やがて、その音がふつりと止んだ時。


「…………あ……」


唐突に、けれど冷静に、理解した。

別れの儀は、終わったんだと。

灯絵を乗せた車が出発したんだ、と。

火葬場へ向かうんだと。

そして、何故だろう。

それを理解したことで、不意に最後のピースがかちりと埋まったような、そんな気がした。

さっきまで確かに欠けていた、今の状況に対する『現実味』という、一番必要なピースが。

そう。

今、はっきり悟った。

どうしようもないほどに、実感した。






あの日、赤浦灯絵は、死んだのだと。






僕の最愛の人が……この世を去ったのだと……。






「僕が、」


「計斗?」


口から、何かが溢れる。

自分の物だと信じられないくらいに震えた、その言葉は。

さっきまで僕の奥底に沈殿していた——紛れもない後悔だった。


「僕が、誕生日パーティーなんかをやろうとしなければ、」


「計斗、それは違う」


灯絵は死ななかった、と続く言葉を、夕星がぴしゃりと遮った。

それは、いつもの悠然とした様子ではない。


「あれは事故だ」

「悪いのは運転手であって、計斗じゃない」

「だから、責任を負おうとするな」


両の肩に手を置いて、目を合わせて、夕星は強い口調で言う。

その目は、口調とは裏腹に、心配や優しさを湛えていて。

夕星の後ろでは、咲ちゃんも同じ目で、こちらを窺っていた。

二人の気持ちは、素直にありがたいと思う。

だけど、後悔っていうのは、そうじゃない。

後悔とは、この今を過去の自分の行動ひとつで変えられたはずだと、嘆くことだ。

自分が悪い、悪くないは関係ない。

『灯絵が死んだ』という最悪の今がある以上。

後悔しないなんて、無理なんだ。


「(事故の日、灯絵があの道を通る時間が少しでもずれていれば……)」

「(事故の前の日、灯絵を家に帰さなければ……)」

「(いや、そもそも、誕生日パーティーなんか企画しなければ……)」


ああしていれば、こうしていれば。

そんなことばかりが、僕の胸に去来する。

もう叶うはずのない未来を、一つ一つ数えながら……。


「こんなことになるなら」


そして。

僕の後悔はとうとう、全ての始まりまで辿り着いた。

僕達の始まった、一番最初の出来事に。


「計斗?」


「こんなことになるなら」

「僕なんかと出会わなければ、良かったんだ」

「そうしたら、灯絵は、死ぬことはなかった」

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