10/23 端緒②

「…………………………は?」


その言葉は、確かに耳に入ってきた。

だけど、全く意味が分からなかった。

灯絵が?

交通事故?

その二つの言葉自体は知っていても、それらを結ぶ線が見えてこない。

無理やり、まとめて頭に押し込めてみても、ぽろぽろ零れてしまうばかりで。

だって、昨日の別れ際。

灯絵は、笑っていたんだ。

僕の誕生日を祝うんだって、本当に嬉しそうに。

その笑顔をさらに緩ませて、今日、うちに来るって言っていたんだ。

交通事故?

そんな言葉、あの可愛らしい灯絵とは縁遠いはずだ。


「……さっきまで、僕は、灯絵と電話してたんだ」


ぽつぽつと、雨を降らせ始めたように衣典が語り出す。

事実だけを告げるその声には、一切の感情がなかった。


「突然、灯絵から電話がかかってきて」

「誕生日パーティーに本当に来ないのか、って、聞かれたんだ」

「当然、行かない、って答えて、それで」

「そう、その後、しばらく雑談してたんだ」

「いつもしてるような、他愛ない、話だ」


そこで一旦言葉は途切れた。

でも、先ほどの不吉な言葉を振り切るには、あまりに弱々しい沈黙で。


「…………そ、そうしたら」


だから、雨はまたすぐに降り始める。


「……車のブレーキ音と……突然グシャッて、何かが潰れるみたい、な音が聞こえてきて」


その声は、上ずっていて、掠れていた。


「すぐ後、ガラスが砕けるような音もして」


そして、びっくりするほど震えていた。

いつもクールな衣典がこんな声を出すなんて、普段ならあり得ない。


「そこで、通話が切れたんだ」

「かけ直しても……で、電源が入ってない、ってアナウンスが、流れて」


……だからこそ。

その声を聞いたことで、僕の中で二つの言葉がようやく繋がった。

灯絵が、交通事故に遭った。

最悪な意味を持ってしまったその言葉が、頭の中でガンガンと鳴り響く。


「もちろん、僕の気のせいだったら、いい」

「だけど、あれは、気のせいで片付けられる音じゃ、なかった」


想像する。

車のボンネットが、華奢な身体に衝突する音。

投げられた人形のように、地面に転がる音。

そして——くしゃっと、命が潰れる音。

嫌でも、想像してしまう。


「っ、だから、確認してみてくれ」

「灯絵が、計斗の家に行くルートがあるだろ」

「それを逆から行って、探して——」


「そんなわけないだろ」


言い募る衣典の言葉を、いつの間にか発せられた僕の声が遮った。

脊髄か、頭の裏から出たようなそれは、本当に僕の声なのかも分からないくらいに低く、冷たい。


「いつも歩道を歩くし、歩道がなくても道の隅を歩く」

「灯絵は、そういう子だ」

「だから、灯絵が事故に遭う理由はない」


……僕は、何を言ってるんだ?

自分の言葉なのに、僕は他人事のように、そんな冷ややかな感想を抱いた。

だって、そんなのは屁理屈だ。

事故ってのは、そういうのじゃない。


「もちろん、灯絵が悪いなんて思ってない」

「でも、計斗だって分かるだろ」

「少なくとも、片方が悪ければ、事故ってのは起こるんだよ」

「歩道に車が突っ込んだら、それだけで、事故は起こるんだ」


そして、それを他人の口からはっきり指摘された時。

僕の中で——何かが弾けた。


「……何なんだよ、さっきから」

「起こってるかも分からない事故を強調して」

「お前は灯絵に死んでて欲しいのか?」


「んなわけあるか。僕はあくまで可能性をっ」


「もういい」

「黙ってろ」

「灯絵はこれから、僕と誕生日パーティーをするんだ」

「縁起でもないことを言うのはやめてくれ」


「お、おい、話を聞いてっ」


衣典を待たずに、僕は終話ボタンを押した。

何度も。

何度も。

画面が切り替わっても、なお。

そして、終いに、ベッドに向かってスマートフォンを投げつけた。

衝撃は、ベッドだけでは吸収しきれずに。

壁に強くぶつかった後、ベッドの上で何度か跳ねて、止まった。

後は、自分の荒い息だけが部屋に響く。

……と思ったら、布団の上で、またスマートフォンが震え始めた。

恐らく、衣典だろう。

だけど、出なかった。

出られなかったんだ。

そんなわけない、と自分に言い聞かせているだけで精一杯だったから。

交通事故。

ニュースやドラマ、それから小学校の交通安全運動等でしか聞いたことのない言葉だった。

それが、大事な親友の口から飛び出して、今、僕に見えない牙を剥いている。

認める認めない、の話じゃない。

まだ二十年も生きていない僕のキャパシティを、明らかに超えていた。

それだけなんだ。


「…………………………………」


だけど、その時。

今一番聞きたくなかった音が、少し遠い場所から微かに聞こえてきた。

『ピー』と『ポー』の二種類の音が交互に鳴り響くだけの、ひどくシンプルな警告音。

いつもは聞き流すような、ありふれた音だ。

だけど、この時ばかりは不快な感触とともに僕の心臓を握った。

だって——あれは、救急車のサイレンの音だ。

それは、誰かが怪我をした、ということ。

そして、さっきの電話が、はっきり現実味を帯びたということ。

どくん。

どくん。

どくん。

どくん。

それに責め立てられるように、僕の動悸がどんどん早くなっていく。

……やがて、動悸のスピードがサイレンの音を追い抜いた時。

ふっと、思い出したことがあった。

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