10/22 偶然で無圭角な計画②

「えっと、咲ちゃん——あ、呼び方これでいいかな?」


改めて、衣典は咲ちゃんの方へ向き直り、問いかける。


「ええ、大丈夫ですよ」


「じゃあ、それで。……咲ちゃんは、古町と付き合ってるんだって?」


衣典の質問に、咲ちゃんの目線がぴくりと動いた。

その動きはごくわずか。

だけど、存在感の強いその瞳が揺れると、サファイアが数粒零れ落ちるんじゃないか、という印象すら与える。


「……ええ、そうです。コレは、私の恋人です」


「コレ……」


指示名詞で呼ばれたことを悲しむべきか、恋人と認定されたことを喜ぶべきか。

夕星は、そんな複雑そうな表情をしている。

……とはいっても、後者の方が圧倒的に勝っているようだけれど。

よく見ると、口元と目尻がしっかり緩んでいる。


「何だよ、夕星じゃ咲ちゃんには釣り合わないって?」


そんな夕星に代わって、僕が苦笑しながら指摘した。

灯絵に『夕星の彼女』と紹介されたのに、わざわざ本人にも訊いた。

それは、とても信じられないと暗に言っているようにも聞こえるからだ。

それに気づいたのか、衣典は慌てて否定した。


「いや、文句があるってわけじゃないんだ」

「僕も、古町はそれなりに格好良い部類だと思ってる」

「ただ、なんていうか……」


そこまで言うと、咲ちゃんの方をちらっと見る。


「……こんな綺麗な子が誰かと付き合ってる、っていうのが想像できなくて」


「それはまぁ、確かに」


衣典の気持ちはよく分かる。

人間離れした美しさは、時に自分自身の明確な格付けをしてしまうから。

僕の同意を得た後、衣典は夕星の方へ向き直る。


「その、なんだ。古町も大変だな」


「大変?」


「ほら、ヤキモキすることも多いんじゃないか?」

「他の奴らに言い寄られたり、芸能界にスカウトされたり、色々あるだろ」


「いや、それは気にしてない」

「これだけ綺麗なんだ。人が寄って来ないわけがない」

「俺は、考えても仕方ないことは考えない主義なんだ」

「頭は良くない方だからな」


夕星は鷹揚に笑いながら、続ける。


「元々、付き合うっていうのは、相手と時間を共有することだと俺は思ってる」

「買い物に付き合ってくれ、なんて言う時でも、そういう意味だろ?」

「確かに、咲はよく芸能界にスカウトされてる」

「でも、それは咲の時間の話。言ってみれば、咲自身の問題だ」

「俺に出来るのは、二人一緒の時間を大切にすること」

「俺と一緒にいて楽しいって思えるように、工夫をすることだけだ」

「そのためには、ヤキモキしてる暇はない、ってことだな」


そこまで言い終えると、夕星はちらりと咲ちゃんを見た。

咲ちゃんは少し呆れたように肩をすくめると、夕星の話を引き継いだ。


「確かに、コレに対して不満はありますよ」

「見た感じからして軽そうだし、話してみると実際軽いし、そのくせ変な所で頑固だし、時々余計なことはするし……」

「さっきから台詞がやたら臭いのも、不満といえば不満ですね」


「……」


「さ、咲ちゃん、容赦ないね……」


ピシッ、という音が聞こえてくるほど、夕星はすっかり固まってしまった。

あまりのことに、灯絵が苦笑しながら呟く。

だけど、そんな手厳しい言葉の後——咲ちゃんの表情は、すっと柔らかくほどけた。

高級な紙に滲む水滴のように。


「でも、私の事を心から想ってくれます」

「一人の人間として、対等に」

「それだけで私には充分なんですよ」


「…………」


衣典は、咲ちゃんを見つめる。

咲ちゃんもそれに視線を合わせて、頷いた。


「だから、私はコレと付き合っているんです」


「……そうか。悪い、失礼なことを言った」


衣典は、二人に頭を下げた。

綺麗だからと、特別扱いをされたくない。

今の会話で、そんな咲ちゃんの心中に気づいたんだろう。

自分が悪いと思ったらすぐに謝れることも、衣典の美点だと思う。

それに対して夕星は、ひらひらと手を振って笑った。


「いや、良いさ。実際、咲は綺麗なんだからしょうがない」

「釣り合わないって言われるのもしょっちゅうだ」

「な、咲」


「そんなことより、夕星センパイ」

「ご飯に行く話はどうなりました?」


「「そんなことって、咲ちゃん……」」


夕星の言葉を完全にスルーした咲ちゃん。

図らずも、僕と灯絵のツッコミが綺麗にハモった。

夕星は再び固まっていたけれど、今度の立ち直りは早かった。


「お、おお。それなら大丈夫だ」

「この五人で行こう、ってことになった」


「そうですか。なら、そろそろ行きましょう」

「話は、歩きながらでも」


「ああ、そうだな」


頷くと、夕星は僕ら三人へ向き直る。


「なあ、飯はさつき軒でもいいか?」

「ここから近いしな」


さつき軒は、僕らが良く行く定食屋だ。

栄養価が高く、ボリュームもあり、立地も学校から近い。

なので、僕らの大学の学生には特に人気がある。


「ああ、僕は構わない」


「僕も問題ないよ」


「そろそろいい時間だねえ」


三者三様の返事を聞くと、夕星はふわりと笑って、歩き出した。


「——じゃ、行こうか」

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