10/22 睡笑の夜、非睡の朝⑥

「はは、悪い悪い」


「もう。夕星くん意地悪だなぁ」


灯絵はむくれた声を上げた。

良いようにからかわれて、大層すねていらっしゃる様子だ。

だけど夕星は、柳に風とばかりにひらひらと笑った。

そして、僕の肩にぽんっと手を置く。


「でも、計斗だって今の聞いて惚れ直したろ?」


いつも通りの柔らかい軽口。

僕は、それにためらいなく答える。


「いや、惚れ直してはないかな」


「えっ」


灯絵はびっくりしてこちらを振り向いた。

そして、その顔はみるみる歪んでいく。

……捨てられた子犬のような目。

だけど、それは大きな誤解である。


「だって、これ以上ないってくらい、既に惚れてるから」


「けーくん……!」


ぱあっ、と。

花火が開くみたいに。

あの時と同じように、灯絵は笑った。

そして、ようやく衣典のもとを離れて、僕の方へと向かってくる。


「おっと」


夕星がするりと僕の隣から避難する。

そして——


「けーくん、好きっ」


ぎゅっ、と灯絵が再びしがみついてきた。

ほとんど体当たりのような衝突に少しよろめくが、何とか受け止める。


「でも、惚れ度が限界突破しちゃってもいいんだよ?」

「惚れ直してないって断言されちゃうと、あたしだって悲しくなるよ」


「一生変わることがない愛、ってことだよ」

「限界値のままずっと灯絵を愛する、ってこと」

「僕は安定志向だからね」


「〜〜〜っ」


腕の中の膨れっ面へ向けて優しく語りかけると、彼女は身を少し震わせた。

そして、握り拳を二・三発、ぽこぽこと僕の胸へ当ててくる。


「けーくんのそういうところ、ずるいと思う。ずるいと思うっ」


「怒ったのか?」


「惚れ直したのっ」

「あたしの愛には上限なんてないんだからっ」


怒ったような口調の後——もう何度目かの、ぐりぐり攻撃。

おでこがすり減ってないか、少し心配になる。


「……なあ、こいつらっていつもこの調子なのか?」

「高校の頃はここまで酷くなかったはずなんだが……」


見ると、少し離れた所では、衣典が例によって頭を抱えて呟いていた。


「いや……まぁ、この二人のスキンシップはいつものことだけど」

「さすがにここまでは……」


夕星は夕星で答えつつ、苦笑している。


「ま、心配した反動で甘えモードに入っちゃっただけだとは思うんだが」

「ここまで来るといっそ、公然とイチャつくために、計斗がわざと遅刻したんじゃないかって思えてくるな」


そこまで言うと、夕星は急に真剣な顔をした。

ゆっくりと近づいてきて、ボソッと一言。


「——まさか、本当にわざとか?」


妙に神妙な口調に、僕は思わず噴き出した。


「そんなわけないだろ」

「用意周到が僕の座右の銘なんだから」

「人生初の遅刻だし、これでも結構落ち込んでるんだぞ?」


「そうか? 俺には落ち込むどころか、デレデレしてるようにしか見えないんだが……」

「怒らないから、素直に言ってみ?」


「ははは。言ってろ」


僕が夕星を親友と呼ぶ理由は、二つある。

一つは、場の雰囲気を軽くするその独特の雰囲気だ。

一見チャラいと思われそうな服装。

優しく甘い顔立ち。

人を安心させる声音。

ひらひらとジャブのように何度も繰り出す軽口。

その全てがふわっとしていて。

話していると、自然と場の雰囲気が軽く、ゆるくなる。

それは、ひどく心地よい軽さで。

悩んだり、落ち込んだりしていても、数分後にはついつい笑わされている自分がいる。

そして何より、ああ見えて周りの空気が読める奴なんだ。

他人が本当に嫌がる発言はしないし、必要な時は愚痴を聞いてくれたりもする。

そんな彼が適度にいじってくれるからこそ、堂々と灯絵とイチャつけている、という面もあった。


「……で、この後計斗はどうするんだ?」

「何か予定があるのか?」


「いや、灯絵を安心させようと思って来ただけで、特に用事はないよ」


「だったら、今日の講義の内容を教えてやろうか?」

「今週も面白かったぞ」

「テーマは『ダブルミーニングという観点から見る日本語のあゆみ』だ」


「う。それは是非聞きたい……」


そして、これが理由のもう一つ。

『面白い』のベクトルが同じなんだ。

夕星とは大学に入学してすぐの頃、いくつかの講義で顔を合わせたことから知り合った。

そして、びっくりするほど趣味が合うことがわかると、急速に仲良くなった。

好きな小説、好きな映画、好きな食べ物等。

後になって、取っている講義すら全く同じだということに気づいた時は、お互い顔を見合わせて笑ったものだ。

そんな彼が面白いと言う講義の内容。

可能なら、今のうちに聞いておきたい。


「あ、じゃあさじゃあさ」

「これから皆でご飯食べに行かない?」


その時、灯絵がばっと皆の方を向いて、提案した。


「ほら、この顔ぶれが揃うことって、あんまりないでしょ」

「衣典と夕星くんなんて、顔は知ってても、お互いのこと詳しくは知らないんじゃない?」

「その親睦会もかねて」


そこまで一気に言うと——灯絵は一転、泣きそうな顔になる。


「……あと、あたしも講義の内容、教えてくださるとうれしいです。夕星センセイ……」


どうも、夕星の言っていた『授業も上の空』というのは本当だったみたいだ。

恐らく、板書もろくにできていないんだろう。

灯絵の嘆願に、みんな一様に苦笑する。

そして。


「……僕は構わない。どうせ予定もないし」


しょうがないな、という顔で、衣典が一番に名乗りを上げた。

そして、僕の方をちらっと見る。


「もちろん、僕の方は願ってもないんだけど……夕星は?」


「ああ、俺も問題ないんだが……」


そう言うと——夕星は頬をかきながら付け足した。


「……せっかくだし、咲も呼んでいいか?」

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