回想:きみと逢った日(後編)
なんで、謎々?
という想いが、少し胸をよぎった。
謎々なんて、小学生の頃友達と出し合って以来やっていない。
今では、たまにテレビ番組で見かけるくらいだ。
「……」
だけど、その言葉には嫌味がなくて。
一緒に考えよう、って言っているみたいに優しい声で。
だから、答えようって自然に思えた。
空が青い理由。
確か、教科書に載っていた気がする。
遠い記憶をゆっくりとなぞる。
「……大気圏がプリズムのような働きをして、青の光を乱反射するから」
考え事をしたら少し冷静になったのか、その回答はするりと口を滑り出た。
だけど彼女は、僕の答えに何の反応も示さなかった。
再び、沈黙が下りる。
幾重にも、幾重にも。
……答えが大雑把すぎただろうか?
自分の答えを少し疑い始めた頃。
ようやく、彼女はこちらを振り向いて、
「うん。正解」
彼女は、正解、と言った。
……だけど、僕の答えは不正解なんだ、とはっきりわかった。
だって、振り向いた顔が、さっきまでと全く変わっていない。
大人びていて、どこか子供を諭すようで。
例えるなら——正解、の後に、理論的にはね、と付け足したいような。
そんな表情だ。
「君の用意していた答えは、違うの?」
だから、僕は訊ねた。
彼女はほんの少しだけ、ぴくりと眉を動かした。
当たり前かもしれない。
自分は正解と言ったのに『正解じゃないだろ』と難癖をつけられたようなものなんだから。
しかも、答えた張本人から。
それでも、僕の直感は間違っていなかったようで。
彼女は、さっきまでの丁寧な声のまま、自分の答えを口にした。
「眺めていると、落ち着くから」
「……え?」
「空を眺める時って、何か悩んだり疲れたりしてる時が多いでしょ?」
「そういう時に安心するように、神様が青く塗ってくれたんだと思うの」
「黄色だったりしたら、絶対落ち着かないでしょ?」
学校の屋上で、男子と女子が謎々をする。
よく考えたら、ひどく不思議な状況だと思う。
だけど、その答えは、それに輪をかけて奇妙なものだった。
……神様が塗った?
黄色だったら落ち着かない?
確かに、これはクイズじゃない。
謎々、と彼女は言った。
僕の答えは理論的に正解でも、謎々の答えじゃなかった。
それはわかる。
だけど彼女の答えは、根拠がなにもなくて。
とんちやユーモアのきいた答えでもなくて。
『こうだったらいいね』
という、願望のようなもの。
高校生の答えにしては稚拙で、少し夢見がちで。
大人びた表情の彼女が言うと、余計にアンバランスに映った。
「…………」
だけど。
その答えを聞いた時、僕の頭に浮かんだのは、文句ではなかった。
困惑でも、失笑でもなかった。
「(……なんで、そんな泣きそうな顔をしているんだ?)」
表情はさっきまでと変わっていない。
大人びた、落ち着いた微笑みを浮かべている。
だけど——何故だろう。
その時、僕には、彼女がその表情で泣いているように見えたんだ。
深く、なにかを憂いているような。
そんな気がした。
ぎゅっ、と胸が締めつけられる。
彼女のことは、全然知らない。
さっき初めて会話をしたくらいだ。
だけど、彼女にそんな表情はしてほしくなかった。
少しの間、僕は言葉を探した。
そして、
「謎々です」
僕は、できるだけ丁寧に問いかけた。
彼女と同じように。
「夕焼け空は、どうして黄色いのでしょう?」
彼女はびっくりしたように目を見開いて、僕を見た。
ぱちくりと、二度三度の瞬き。
その時、初めて、彼女と目が合った気がした。
できるだけ優しそうに、笑いかける。
すると彼女は、戸惑うように少し目を泳がせた。
「う〜ん……青ばっかりだと飽きちゃうから」
「ちょっとだけ、暖色系を取り入れてみたんじゃないかな?」
さっきまでとは打って変わって、少し自信がなさそうに答える。
そして、上目遣いに僕を見た。
正解は? と訊ねるように。
どこか犬みたいなその表情に向かって、僕は仕上げとばかりに、自分の答えを告げる。
「黄色の好きな神様が怒ったから」
「世界に、神様と名のつく存在は山ほどいるからね」
「多数決で空を青に塗ろうって決めたけど、黄色派の人が文句を言うから」
「しかたなく、折衷案として夕焼け空を黄色にした」
そう。
それは、さっきの彼女と同じように。
こうだったらいいね、という、稚拙な答え。
しかも、今思いついたばかりの。
僕の出した謎々は、質問のつもりじゃない。
正直、答えなんてどうでも良かった。
ただ、彼女をびっくりさせようと思った。
突然の謎々で、その泣きそうな微笑みを塗り潰したい。
それだけだった。
さっきのお返し、という意味も込めて。
「………………」
彼女は呆気にとられたように口を少し開けて。
もう何度目かの沈黙が下りる。
だけど、二人の間の空気は、さっきまでとは全然違った。
毒気もなにも介在しない、軽やかな沈黙。
長い時間をかけて、僕らは見つめ合った。
そして——
「………………あはっ」
ぱあっ、と。
彼女は笑った。
花火が開くみたいに。
何のてらいもなく。
どくん。
少しして、花火のような音がした。
それが自分の心臓の音だと気づくのに、少しかかった。
「へんなのっ」
無邪気な声が、屋上に響く。
微笑み、じゃない。
あどけない笑顔。
それは、今まで見たことがないほど綺麗だった。
「そんなふうに返してくれたの、あなたが初めて」
どくん。
どくん。
季節外れの花火が、うるさく響く。
何だろう、この気持ちは?
頭が真っ白で。
言葉が全く出てこなくて。
「ねぇ、」
彼女は、そっと呼びかけた。
最初と同じ言葉で。
最初と同じテンポで。
だけど、それは全く違う声に聞こえた。
「あたし、赤浦灯絵」
「あかうらともえ、っていうの」
彼女は、ゆっくりとそれだけを言うと、僕の顔を覗き込んだ。
信じられないほど綺麗な、その笑顔で。
頭が真っ白で。
言葉が全く出てこなくて。
だけど、名乗られたら名乗り返さなきゃ、と、それだけを思った。
僕は、たどたどしい言葉で、自分の名前を口にする。
「え、っと、僕は——」
***
——そう。
これが、僕と彼女の出会いだった。
この日から3年以上続いていく、僕らの恋は。
ちょっと不思議な謎々から始まったんだ——
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