回想:きみと逢った日(前編)

1.


愛するものが死んだ時には、

自殺しなけあなりません。


愛するものが死んだ時には、

それより他に、方法がない。


けれどもそれでも、業(?)が深くて、

なほもながらふことともなつたら、


奉仕の気持に、なることなんです。

奉仕の気持に、なることなんです。


愛するものは、死んだのですから、

たしかにそれは、死んだのですから、


もはやどうにも、ならぬのですから、

そのもののために、そのもののために、


奉仕の気持に、ならなけあならない。

奉仕の気持に、ならなけあならない。




——中原中也『春日狂想』より




***




コツ、コツ、

屋上への階段を、ゆっくりと上る。

コツ、コツ、

階段は一歩ごとに、控えめな音を立てる。

コツ、コツ、

あの時の僕にとって、それはただの手段だった。

『屋上へ上る』という目的を果たすための。

だから、その一歩一歩に意味はなかった。

コツ、コツ、

そんな、乾燥した音を立てて歩き続けた。

そうするうちに、たったの二十段はすぐに経ち、僕は屋上へのドアの前に立った。

そして、それを開ける——




「(……あれは)」




そこには、先客がいた。

フェンスのすぐ傍、こちらに背を向けて立っている。

学校指定のスカートと、明るい色の髪を向かい風になびかせて。


「—―」


こちらに気づいたのか、彼女は顔を少し僕の方に向けた。

優しい印象を与える垂れ目。

全体的に細いフォルムの鼻や眉。

桜の花びらみたいにぷっくり膨らんだ唇。

それらのパーツが、肌という白いキャンバスに、ふんわりと置かれていた。

とりたてて美人、というわけではない。

だけど、どこか愛嬌があって、人をほっとさせるような、そんな顔立ちで。


「(確か、隣のクラスの……)」


それは何度か見かけたことのある顔だった。

話したことはないけれど、廊下ですれ違ったことならある。

友達に囲まれている。

ニコニコ笑っている。

溌剌としている。

確か、そんな印象の子だったと思う。

でも——今は違う。

大人びた表情。

いつものあの活発さが嘘みたいに、ひどく落ち着いた微笑みを浮かべていて。

泰然自若、という言葉が正しく似合う顔だった。

そして、その仕草。

足をぴったりと揃えて、屋上に整然と立って。

透けるほど青い空に向かって、腕をすらりと広げていた。

伸びとは少し違う。

例えるなら、白鳥が水辺で羽を休めているみたいに。

優しく、軽やかに腕を広げていて——。


「(綺麗だ……)」


見ず知らずの他人にも、素直にそう思わせるほどに。

『高潔』だとか。

『品格』だとか。

そういったものを当たり前に身にまとって、少女は立っていた。


「ねぇ、」


「……え?」


少しかすれ気味のその声で、ふと我に返った。

どうやら僕は、ぼうっと彼女に見入ってしまっていたらしい。

失礼だっただろうか、という想いと、気恥ずかしさとが去来する。

そんな僕を見るともなく、彼女はそっと言葉を続けた。


「あなたも、空を見に来たの?」


それは、とても不思議な声だった。

ゆっくりとしたテンポで、丁寧に。

針に糸を通すようで。

耳に声を通すようで。

だけどたどたどしい感じはしなくて、むしろ相手をいたわるように優しくて。

そのせいか、かすれるほど小さいのに、その言葉ははっきりと耳に届いた。


「ほら、今日はすっごく、天気がいいから」


「……うん」


「空、キレイだよね」


「うん」


「こんなに真っ青」


「……うん」


「『空色』の原色を、そのまま使ってるみたい」


「そう、だね」


彼女の言葉ひとつひとつに、訥々とつとつと、返事をする。

その姿に、その声に、ぼうっと浮かれたまま。

すると、彼女はまた空を見上げて口をつぐんだ。

薄く引き延ばされたような沈黙。

返事をするだけの僕に呆れたのだろうか、と思う。

だけど、その沈黙は一瞬だけのもので——


「謎々です」


「……なぞなぞ?」


「うん、謎々」


突然の彼女の言葉。

あまりに想定外の内容に、返事をするのが少し遅れた。

彼女はこちらに背を向けたまま、そっと、問いかける。




「空は、どうして青いのでしょう?」

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