プロローグ:死んだケーキと彼女(前編)
ふと、考えることがある。
ケーキって、なんなのか?
白いホイップの上にイチゴが乗っているもの。
クリームチーズの生地を冷やして固めたもの。
あるいは、原宿なんかでおなじみの、ミックスを薄く延ばして焼いたもの。
全部、ケーキと呼べるだろう。
種類は本当にさまざまだ。
詳しく説明しはじめたらきりがない。
だから、僕はこう答えることにしている。
『ケーキとは、甘いもの』
って。
甘いから、女性はケーキを食べる。
絶対太るとわかっているのに、
『ダイエットは明日から』
なんて言い訳をしてまで、食べるんだ。
もし砂糖を入れ忘れたケーキを売ったりしたら、ひどいクレームが来るだろう。
だって、ケーキとは、甘いものだから。
甘いことは、ケーキの絶対条件なんだ。
だけど――
「(だったら、僕が食べてるこれは、いったい何なんだ?)」
そのケーキは、まったく味がしなかった。
たとえ話をしてるんじゃない。
僕の味覚がおかしいわけでもない。
ただ――本当に、どうしようもなく、味がしないんだ。
食べている感触はある。
お腹にたまっていく感じもする。
だけど、多くの女性を太らせてきた、あの犯罪的な甘さはどこにもない。
何度噛んでも、何度飲み込んでも、甘さを感じなかった。
半日くらい噛み続けたガムみたいに。
「(ありえない……)」
だけど、それはどうしようもなく現実で。
僕がいま食べているのは、そういう代物だった。
ケーキの形をした、まったく味のしない『何か』。
ケーキじゃない、こんなのは。
こんなケーキ、死んでいるようなものだ。
「(……死んでいるケーキ、ね)」
考えて、自分で失笑する。
上手いことを言ったつもりはないけど、実際その言葉は、的を射ていた。
そう。
トラックに轢かれたあの瞬間、ケーキは本当に死んでしまったんだろう。
彼女と一緒に。
だから、こんな味なんだ。
「…………あ」
ふと視線を感じて、顔を上げる。
「…………えへへ」
テーブルの向こうでは、彼女がこちらを見ている。
自分の分はもう食べ終わったようで、あとは僕が食べるのをじっと見つめていた。
とても嬉しそうな顔で。
「(……くそっ)」
だから、僕は『それ』を食べないわけにはいかなかった。
彼女の見ている前で、僕は『それ』にフォークを突き刺す。
そして、ぐっと口に詰め込んだ。
大丈夫、食べられる。
不味いわけじゃないから。
だって、そもそも味がないんだから、『不味い』という味もしないんだ。
『それ』を食べることは、ただの違和感との戦いだった。
味がしないものを食べる、違和感。
僕は普通を装ったまま、その違和感を喉の奥へと流し込んだ。
何度も、何度も。
「こぉら、そんなに慌てて食べないの」
「ケーキは逃げないよ?」
それを見た灯絵は、くすくす笑いながら言う。
いつもと同じ、からかうような口調で。
それを聞いて、少しだけほっとする。
いや――
ほっとしてしまう。
本当は、ほっとしていいはずがないってわかっているのに。
だって、そこにいるのは、彼女じゃない。
彼女の幻影だ。
本当の彼女は、3ヶ月も前に死んでしまった。
僕は、自分の目でそれを見たんだ。
だから、ケーキを持って僕を訪ねてきていいはずがない。
僕がケーキを食べ終わるのをじっと眺めていていいはずがない。
いつものように僕に話しかけて、笑ったりしていいはずがない。
……だけど。
特別な日にはいつも着ている、そのお気に入りのワンピースの似合い方が、
かすれ気味の声をそっと僕の耳に通すような、ゆっくりとした喋り方が、
顔をふにゃっと歪めて、小さな八重歯をちろりと覗かせるその笑い方が、
全て、彼女とそっくり同じだからーー。
「(くそっ)」
もう一度、出かけたその言葉を、僕はケーキと一緒に飲み込んだ。
代わりに零れたのは、もう言い慣れてしまった言葉。
「ケーキは足が早いからね」
「生ものですのでお早めにお召し上がりください、って言うだろ」
「だったら、お早めにお召し上がらないとね」
そう。
彼女を不安にさせないためだけに、いつも叩いている軽口だった。
「屁理屈ぅ」
だから、彼女が笑いながら言った言葉も、いつもと同じで。
「お早めにっていっても、一刻を争うほどじゃないよ」
「高かったんだから、ちゃんと味わって食べてよね」
「ほら、あ~ん」
そう言って、彼女はいつも通り、ケーキ付きのフォークを差し出した。
死んだケーキ付きのフォークを。
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