第7話

女生徒の日記


日記をつけ始めるにあたってどんな文章がふさわしいでしょうか。そう思ったとき、日記に語りかけるのも良いと思いました。今日は差し当たり自己紹介と近況を報告したいと思います。

わたしは自分が高慢で狡くて怠惰でプライドが高くて良い所なんて皆無だ。という事をよく知っています。でも、そのことをよく知っているという点が自分の優れている点だ。という風に考えて、自分にもひとつくらい良い所があるように思いたく、お釜にこびりついた黒い焦げのようにしつこくそこにしがみ付いている、わたしはまさにそういう終わりの見えない恥知らずをやってのけるマトリョーシカなんです。ビクビク他人を伺っておべんちゃら、道化に取り組んで、いつ金メッキが剥がれるのかとヒヤヒヤして、褒められれば不必要に尊大になり自分は本物の金なのかもしれぬと壮大な勘違いをし、無視されれば極薄の金メッキが剥がれたに違いあるまいと大盛りのお道化に勤しむのです。でも、今度のことでもうダメです。わたしは一生眠っているか死んでしまうかしていたいと思います。

一生眠るなんて傲慢な願いね。取り消します。とにかく死んでしまいたい気持ちなんです。わたしの駄文「うつくしいひと」がある大会で大賞を取りました。これは大変なことです。美しくない人が美しい文章、ましてや「うつくしいひと」なんて書けるはずは無いからです。そこから嘘。大噓つきです。みんな舞台のまがい物の煌びやかさに騙されているのです。わたしの文章など飾りをかき分けて蓋をとってみれば舞台裏の公衆便所のようなものであるのに。冷静になるまではわたしも喜ばしかった。金メッキも世に通用するじゃないかと古狸のような汚らしい考えも浮かびました。でも次第に恐ろしくなってきます。本当に大賞?わたしが?他の方の作品もたくさん拝見しました。キラキラとまがい物でない宝石がいくつも並んでいました。と書いたらおべんちゃらのぶりっこです。でも、玉石混交の中、いくつかの作品には、わたしが評するのもおこがましいことですが、才能の片鱗と申しますか、ああいったものは凡人でもわかるものですね__それを感じてしまって酷く落ち込みました。ダメです。もう一筆も書けません。と言いながらこのように筆を運んでいる。まさに厚顔無恥とはこのことです。

今日は寒い1日でした。第一回目の記念すべき日記の始まりがこんな陳腐な始まりかたでいいのかとも思いますが、自分で出した言葉なのです書く器量がないのだから仕方ない。

朝起きたわたしの胃は強烈に甘味を求めていていました。多分生理前で血糖値が下がっているのでしょう。赴くままにピーナッツサンドを食べました。半ば義務のように。朝食前、後ろめたい食事を家人に見られないように食べるのは少しスリルがあります、食事を味わってはいられない。もし階下に人が来たらこの机の下に隠す。など計算して食べています。気分はまさにミッションインポッシブル。さて、母の車の納車の馬鹿みたいに丁寧な説明はとても長くて、十時から御飯時までかかりました。わたしは何度も気が散ってトイレにいって自分のスタイルを確認するという遊びを執り行いました。くびれはともかく足の太さが少し目立ちます。マッサージが必要。昼ごはんの受賞お祝いパンケーキはわたしにはもったいないくらい美味しゅうございました。ですがひとつ改善点をあげるとしたらチョコソース。少しくどいところがありましたからかけない方がいいでしょう。備忘録ではないんですから感情だってのせていいはずなのにそれはとても難しいですね。アンテナが鋭敏でないのでしょう。私はこんなに無感情で生きてるのだろうかと思うと悲しくなります。やりきれない気持ち。小説が上手くなりたいなあと思います。名手の最高の一文に触れるとゾクゾクして私の脳内にそれがばちんと記憶されます。私の小説のほとんどはそのばちんの無意識の瞬間を借りています。無意識に。でも、何かが降りてくる時もやっぱりあって当然落ちる時もあります。落ちる時に焦るとまた具合が悪くなってしまうので気をつけましょう。

寂しい、とひとつ言葉を書いたら今まで考えていた高尚な言葉たちなんて消し飛んでしまいました。それが装飾のない事実です。さみしさとむきあっていくと言うこと。心臓がきゅうんと辛いこと。無気力になってしまうこと。この向こうになにが待っているのでしょうか。「自分本位でやっていくのよ。」と、尊敬する保健室の恭子先生がおっしゃいました。ですがわたしには自分というものがよくわからないのです。たしかに私という形をかたどって日々話したり食べたりしている物体はあります。そのくせあなたはだあれ?と内側に問いかけた途端、外界との境界線がもろもろと曖昧になってしまい好きな食べ物ひとつ答えるのにさえ、へどもどしてえへへ、と笑いながら心の底から困るのです。きっとずっと「したい」よりも「するべき」で生きてきたから「したい」という感情が上手く立ち上がってこないんでしょう。そして馬鹿みたいに真面目なのです感情に対しても。納得できないと、とことん追求したくなる性分なのです。わたしはそれを本当に好きなのか?わたしがしたいことなのか?と。「勉強するべき」「かわいいお嬢さんであるべき」ああもう「するべき」を強制してきた母親のせいにはできなくなる年です。18歳。「それが大人になるということよ。」と、恭子先生はおっしゃいます。でも、やはり怖くてさみしい。「するべき」の呪い、緊縛から解けた途端に「したい」の孤独な砂漠にひとり置き去りにされる気がするのです。それに、良い子の仮面をとったら何にもないということがわかったら?それこそ金メッキの剥がれた何某です。そう思うと、怖い。こんなことを書いていて楽になるかと言われるとそうでもないのが不思議。こういうことは吐き出せるものではなく、きっと自分で背負うべき荷物なのでしょう。体力がなくて泣いてばかり、おろしてばかりの不甲斐ないわたしですけど。人間である限り背負っていなくてはいけない大切な荷物なのだとしたら、それは、きっと私の敵ではないでしょう。孤独は創作のはじめの土台になりうるはずです。なぜなら人が人として存在する限り消えない課題ですから。私は少し大人になったのかもしれません。二作目を書き上げたけれど一作はダメだなと思ったら悲しい。長編を描く能力がないのも寂しい。苦しんだらできるようになるのでしょうか?もう何にもできないんじゃ?と思ってしまいます。読むのも描くのも辛いのでやめましょう。つらい時にはなにも出来ないのにいてもたってもいられなくなります。胸の奥がぎゅーと痛いのとはまた違う味。「寂しい」がわたしの人生のテーマなのかもしれません。やっぱりわたしは表現者です。誰になんと言われようとも。宣言をしておかないと忘れてしまいそうになります。他の誰も、影響されたい何か以外の他者をわたしのまだゆるい自我のようなものに入れないでください。生理が始まってお腹が痛いのも影響してか、もう一文書いたけどあんまりよろしい出来ではありませんでした。

大賞を受賞したということを母が周囲に伝えれば伝えるほどなんだか怯えてしまいます。次回作に期待されるんじゃないかという傲慢な怯えで自分のことを傷つけています。自分には才能がないのに持ち上げられてるんじゃないか、そもそもわたしに特別興味なんてないんじゃ、いつか金メッキが剥がれるのに誰も気がついてないんじゃ、商業作家先生でもないのに高尚な悩みに心を引き裂かれています。まるで自分の吐いた糸でグルグル巻きになった蜘蛛のようです。客観的に見ておかわいそう。主観だから苦しい。寂しい寂しい悲しいのです。わたしの人生のテーマだからしょうがないのでしょうか。自分が課すプレッシャーに押しつぶされそうでつらくて仕方ありません。いつもいつも同じ事を思います。筆が乗りません。誰か書き方を教えて下さい。なにも知らずにいた頃はあんなに楽しかった物書きなのに。どうしてあんなに自由にかけたのでしょう。なんだかわたしなんかが受賞でもったいないという気分でいっぱいです。

午後は祖母の見舞いに参りました。病院は存外よくしてくれる所らしく、顔色もよく小綺麗な祖母がそこにいました。腰の骨を打って寝たきりの祖母はおむつへの排便を許さなかったらしく、コルセットをつけておむつが取れた今日になって大の方の要求をしきりにしておりました。わたしは休憩室に移動させられ、多分差し込み式のトイレで用を足したのでしょう「おばあさんかなり我慢してたみたいね大量に出ていたよ」という母の弁を聞いて、子に大の量を把握される恥ずかしさについてただ祖母がかわいそうに思われました。これが老いというものでくしょうか。言葉が出なくなっても、動作がゆっくりとしても、わたしは、祖母の、彼女の老いについて目を逸らし続けていたのかもしれません。下の処理というところで初めて身内に老いた人がいると否応なしに実感させられたような、そんな気分でありました。温泉旅館で浴衣の着方を忘れてしまった祖母を見た時以来の衝撃でした。寝台の横に行って顔を見せ、「春花がまいりました」と告げると祖母のむっちりした手がわたしの手を包み、熱があったからでしょうか、白くて柔らかい手は熱く、それから一言「はるちゃんが来てくれて」と仰っていました。きっと喜んでくれていたのでしょう。何もかも忘れっぽくなってしまってもわたしへの小遣いは忘れることなく、受け取っておあげ、と母の言うままにいただきました。それからは女3人で役割分担をしながら髪の毛を綺麗にしたり、氷枕の位置を整えたり、蒸しタオルで顔を拭いたり、手を洗ったりとしました。左手を洗ったのは母で、現職介護職の手つきでチャキチャキと進めるのを見て母の家の役目から遠い顔を見たようでどきりとするものがありました。うまく開かなくなってしまった左手を揉んでいると、情の薄いわたしでもなんだか愛おしく思え、一生懸命に揉みました。祖母の菩薩のような笑い顔が印象的でした。母の用事で1時間で帰らなくてはなりませんでしたが、祖母はうわ言のように「祖父と外で食べて」と繰り返していました。夕食のことでしょうか?左手を揉んでいると祖母から声をかけられました。「かわいいねえ」褒め言葉です。ひねくれたわたしも、もうかなりぼんやりとこの世界で生きている人からの褒め言葉は正直な感想のように思えて思わず嬉しくなってしまいました。ですが悲しい性分でつい「孫とはかわいいものですね。もうすぐ目に入れても痛くないゆうすけくんがきますよ」と返してしまいました。ゆうすけは祖母の初孫です。元気だった時の祖母が猫っ可愛がりしていたいとこ。ぎょっとした顔をしながらも母は、「春花も、でしょう?」と笑いながら祖母にお聞きになっていました。「はるちゃんも」そう言って笑う祖母になんだか涙がこぼれそうになりました。身内に大切だとかかわいいだとか照れのない正直な言葉として最後に言われたのはいつでしょうか。そんな祖母にわたしは何も申し上げられませんでした。照れもありましたし、涙がこぼれてしまうような気がして。不孝な孫です。そのあとは祖母の顔を拭いてクリームを塗って差し上げました。褒められて気を良くしたわたしはおどけてエステティシャンの真似事のように「それではやっていきますね」などと言ってクリームを伸ばしました。いい気持ちだと言ってもらえて単純に嬉しくなりました。

この後も何か書くべきことはあるにはありましたけれど義務になった途端つまらなくなるのが日記というものです。今日はこの辺で失礼致します。さようなら、今日という日、書かなかったら記憶から埋もれてしまうようななんてことのない日。手のひらの指の股からさらさらと落ちる細かい砂のような愛しい日。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ソラ 知世 @nanako1123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ