第16話「損のない話」
ルナの椅子が、がたりと音を立てた。
「貴様…」
殺気さえこもった、怒りの声が発せられた。
見れば、ルナがセラスをにらみつけている。
今にも飛び掛からん勢いの様相だ。
いかん、またのぼせたか?
そこへ、シアリーズの声が割って入る。
こちらは冷静だが、今まで聞いたことのない冷徹さを含んでいた。
「ルナ、控えなさい」
「し、しかしお嬢様」
「控えなさいと言ったのです」
「…は、はっ」
ひと言でルナを抑えるあたり。
まだ、シアリーズの方が冷静でいてくれるか。
冷静というより冷徹という感のある辺り、油断はならないが。
やがて、シアリーズが俺の方を向いて、こう質問した。
「コーイチ」
「はっ」
「…話は、こじれそうですか?」
少し心配そうな顔をしているシアリーズ。
話がこじれ、不利益が生じるのを心配してくれたのだろうか。
そして今のところはまだ、俺の判断に任せてくれるという事か。
ありがたい話だ。
「セラスさんの話はまだ続いています。伺いたいと思います」
と、俺はシアリーズの質問に返答した。
「…そう。ではそうなさいな」
そしてシアリーズは、セラスの側を向くと沈黙した。
ルナも、改めて椅子に掛けなおす。
彼女は、心配そうな顔をしたシアリーズを見つめて。
そしてすぐに、きりっとした視線を俺に送ってきた。
おかしなことに、その視線の意味を、俺は把握できなかった。
先ほどまではあれだけ、以心伝心だったのだが。
シアリーズとルナが、それなりに落ち着くのを待って。
セラスが、話を再開した。
「コーイチさんの寿命どうのとの部分、なにも全部…というわけではありません」
「…ふむ。そこはまあ是非そうあって欲しいものですね」
「分けて頂いた寿命分、この子を生かす事が出来る…とお考え頂ければ」
「等価交換とは、高く見て頂いてなにより」
「代償も、出来る限りご用意させて頂いており…」
そう言うセラスの言葉を遮るように、俺は返答した。
「じゃ、俺の寿命半分を拠出という前提で、前向きに検討しましょうか」
「くっ!」これはシアリーズ。
「はぁ?」これはルナ。
「え…?」これがセラスで。
「!」と震えたのはサティアだった。
4人が4人とも、それぞれの立場での反応を返してくる。
言いたいことは大体は分かる。
だから、先に説明させてもらおう。
すまないなシアリーズ。お前の所の騎士職を失職した場合の保険がいるんだよ。
悪いなルナ。でも今回の任務達成のためには、悪くない話だと思うぞ。
いい話でしょうセラスさん。多分数十年は差し上げられると思いますよ。
そしてサティアさん、女の子が憂い顔ってのは世界の損失ですからね。
上記のように、己が意想を4人に伝える。
だいぶ端折っているが、この辺りの喧々諤々をいちいち形にしていてもな。
ノイズキャンセリングですよキャンセリング。
なにより、俺のSAN値が下がる。
そう言いたくなるくらい、場が紛糾した。
こじれさせたというなら、シアリーズが筆頭で話をこじれさせた。
今はわたくしがお前を雇用している。
これ以上どうこう言うのなら、わたくしを通せというのである。
任せるとは何だったのか。
いや、文句はないけどな。
彼女自身の都合をごり押ししているわけでもない風が、不思議な論調だった。
ルナは、一も二もなくシアリーズのバックアップに廻った。
いささか剣呑な視線がたまに飛んでくるのが、正直困る。
任務だよ任務。とにかく生きて街に戻れないと、何にもならないだろう。
誰かに負担がかかりすぎるのを苦にしているというのなら。
いち傭兵にそこまで気を使うのは、少し踏み込みすぎの様な気もするぞ。
セラスは、ここで掴んだ唯一の希望を失ってはならぬと舌戦を展開している。
さすがは実力者、声を張り上げての意見の応酬にならないようにしてくれていた。
それより、用意されている代償の方が気になるんですがね。
気分を害して、内容を調整したりしないで欲しいですね。頼みますよ。
サティアは、母親の剣幕をまともに見たことはなかったのか、呆然としている。
そのうち、ちろりとこちらを見て目が合って。
ほんとうにいいの…という声が聞こえるような気がする。
まあ、これも人助けというよりは己が身の事を考えてだからなぁ。
偽善ですらないんだ。
保身のための取引なんだよ。気にしないで欲しい。
短いながらも、ここに至るまでの付き合いと。
長い間、育ててきた娘の命の存続の危機。
お互いの思いがぶつかり合い、そして一歩も譲らない。
ぱんぱんぱんぱんぱんぱん。
あげくの果てには、俺が手を叩いて4人を止めなければならない始末だった。
「一回、落ち着こうか」
俺はそう宣言して。
それから、シアリーズとルナの傍に近づく。
ふたりの椅子の間でしゃがみ、俺は作戦会議を提唱した。
「お嬢様、ルナ。これは誰も損をしない話です」
「しかし一方的すぎるではありませんか、人間を何だと」
「そうだコーイチ。しかもお前は、了承もなく連れて来られたのではないか」
「………お気遣い、本当にありがとうございます。ただ…」
「「ただ?」」
「人間として扱ってくれているから、わざわざ、話し合いに応じてくれている。
そう、お考えいただきたく」
「え…」
「うっ…」
「相手がその気なら、我々を殺してなにもかも奪えるのです。
その結論に至る前に、温厚な雰囲気のうちに、話の決着が必要です。
代償の用意もあるとのこと。誰も損をいたしません。
これでお嬢様やルナが生還できるのであれば、賭ける価値はございます」
「…お前が…二度目の覚悟をするのを…黙って見ていろというのですか…」
「お嬢様には、大きな使命がございますのでしょう。なあルナ、そうなんだよな」
「…そうだ」
「誰も失いたくないとの仰せ、これはそのための一手でございます。ご了承を」
「…分かりました」
消え入るような声で、シアリーズはそう言うと。
ふっと、目の色が消えて。
俺の胸の中に、音もなく倒れ込んだのであった。
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