第9話「移動再開」
何が大変といっても。
シアリーズとルナが、悶絶を終えてからが大変だった。
何せ、お嬢様もメイドも、何も話してくれなくなったのだ。
目の前で手のひらを振ってみても、ぴくりとも反応がない。
この世界の冗談やギャグかと思ったが、本当に放心している。
それほどまでに、異世界のマカロンは衝撃が強かったのか。
俺は業務上の義務として、周囲への見張りを続けながら。
大事な仕事として、マカロンの残数を確認する。
どっちが大事かといえば、どっちも大事だ。
かたや、今の時点の身の安全を。
かたや、これから先の身の振り方を左右するのだから。
マカロンは残り7個。
保冷剤が、いまだに若干の冷気を保っているのが脅威だった。
おかげで、チョコレートコートの歯応えが保たれたわけだが。
やがて、ふたりが正気を取り戻す。
「おいしい…」
「…美味しいですわ」
顔を合わせて、感想を述べあうメイドとお嬢様。
護衛の、そしてお嬢様としての顔から、年頃の女の子の顔になって。
ふたりは。
まるで同じクラスの、親友のような笑顔で、微笑み合った。
それなら、もう少し楽しんで頂こうか。
良かれと思って。
よせばいいのに。
俺はふたりに、声をかけた。
「お代わりもございますが、いかがでしょう、おふた方」
「…」
「…」
こちらを向いたふたりの顔から。
『親友のような笑顔』が消えているのは、なぜなのだろう。
そして。
『がつがつがつがつがつがつがつがつ』
擬音だらけのサウンドオンリータイムに至るのである。
絵面がたいそうお盛んであった。
味わう余裕が出たのか、天使の笑顔で3つ目を受け取るシアリーズ。
びびびび平等をお望みだからなと、いまだ慌てながら3つ目に手を出すルナ。
年相応の娘の反応かどうか…はともかく。
手渡すこちらが微笑んでしまう、そんな仕草のふたりだった。
ん?
なぜ残りを、3個も持っているのかって?
将来の身の安全の手段…というのもあるが。
ここまでくればもちろん、晩飯のときのデザート用だ。
不平等ではなくて、男の甲斐性という奴だな。
もう一度、餌付けしてみたいから?
もちろんその通りなんだが、まあ、ノーコメントだ。うん。
そして、今。
封筒型の紙コップに、スポーツドリンクを注いで回る。
回ると言っても二人だけだが。
出来れば、マカロンには紅茶と行きたいところではあるのだがね。
あいにく、手持ちには茶葉も午後のアレ(無糖)も無い。
また、状況が状況なので、火を起こしている暇も、これまた無い。
少しでも、素早く補給をして、次の行動に移る必要があった。
にごり水ではないのかとこれまた怪訝な顔。
本当に今更と言い聞かせて。
スポーツドリンクを口にするふたり。
その顔が、ぱっと明るくなる。
「…すうっと入るな」
「体にしみわたりますわ…」
後者の台詞はシアリーズの物であった。
この年でこの台詞が出るというのは、よっぽど疲れたのだろう。
そう思いながらシアリーズの方を見ると、少し表情が暗い。
はて、何か不安な事でもと思った瞬間に。
ルナが流れるように、シアリーズに近づいて話しかけた。
流石だと思う。
切り替えが速い。
「お嬢様?」
「…あの者たちの事を、考えていましたの…」
あの者たちとは、この二人を守って倒れた、軽鎧5人の事だろうか。
「ただ、ここで話している暇もありませんわ。日没までには安全を確保しますわよ」
やはり冷静なお嬢様の言葉で、俺たちはすぐに撤収を始めた。
撤収作業が終わったものの、気になる点があった。
シートを敷いて、草がなぎ倒された出来たキャンプの痕跡だ。
見る者が見れば、ここでキャンプが設置された事が分かる。
追撃者や襲撃者にこれを発見されると、追跡の手掛かりにされるだろう。
そのまま追い回されるような展開は、ご免こうむりたい。
が、しかし倒れた草など、簡単にどうなるものでもない。
こういう時は、報告、連絡、相談である。
ルナにこの旨を伝えると。
心配するなといいながら、キャンプ跡に近づくので、俺も後を追う。
そして、跡の前で。
ルナが二言三言つぶやくと、倒れていた草がすっと立ち上がったではないか。
「…これは」
俺の驚く姿を見て、ルナがふっと笑った。
「先ほどから驚かされているばかりなのでな。少しは対抗心も湧く」
彼女はエルフの末裔にあたるものなのだという。
その中でも特に、土と植物に造詣が深い系列に属しているらしい。
先だっての地面を介してのレーダーや、今の草木の操作などお手の物とのこと。
もっとも、一日に何度も使える力ではないとのことで。
道を切り開くのに使っていては、あっさりと使用回数の限界に達するらしい。
力の容量というものがあり、肝心の時だけに使うのだという。
元の世界の人間の仕様からしてみれば、理解の範疇を超えている。
異世界なのだから、そういう物なのだろうと思うしかなかった。
ただ、そちらの方はそういう物で済ませられても。
容量の話をしたとき、ルナが微妙に悲しそうな顔をしたのは、気にかかった。
お嬢様の護衛に任命されている位なのだから、只者である筈も無い。
腕が立つのもそうだが、能力も十分に厳選されているのだろう。
それなのに、憂い顔とは。
「準備はいいな」
一瞬見せた表情を、きれいにかき消して。
ルナが出発の号令を出す。
「行くぞ。キャンプ予定地はここから2時間かかる。私が先導する」
そう告げるルナの言葉で、俺たちは移動を再開した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます