第8話「休憩と菓子 後」
『がつがつがつがつがつがつがつがつ』
絵面が少々、お盛んに過ぎるので、サウンドオンリーにてお届けしている。
擬音を当ててお伝えするのは、高貴な女子である、おふた方への配慮だ。
ご了承いただきたい。
すったもんだの末に。
シアリーズお嬢様とルナは、それこそ一心不乱に。
手に握った菓子へ喰らい付い…
もとい、ただ今、おやつを楽しまれておられる最中である。
これが、年相応の反応というものだよ。
中身が中年おやじの俺は。
高貴なる立場を忘れて菓子をむさぼる少女二人を、温かく見守っていた。
数分前。
不穏当と不安。
それらの言葉を乗せて飛んでくる二対の視線に、俺は気が付いた。
視線の先には、焼け焦げた何かと評された菓子がある。
不穏当を叫ぶのはルナの視線で、不安を語るのはシアリーズの視線だ。
護衛の方がお嬢様よりも警戒心を示しているのは、まあ、お仕事お疲れ様である。
だが。
俺が手元の菓子の個別包装のフィルムを裂いた時から。
少女ふたりの視線の色が変わる。
秘めやかに、しかしはっきりと漂い始めたのは、チョコレートの香り。
上品かつ豊饒な、カカオのそれだった。
ビターココアを合わせた生地のマカロン。
それを、ミルクチョコレートで薄くコートした、俺の好物。
しかも季節限定の品だ。
毒見と称して包装を開け、流れ出す香りを楽しむ。
元の世界では、なんと紀元前から楽しまれていたというカカオ豆。
それが歴史を経て、現代社会ではチョコレートとして楽しまれている。
その香りは、こんなうだつのあがらない俺をも、十分に癒してくれるものだった。
俺の様な庶民にもこの様な菓子が入手出来る事を、感謝せねばなるまい。
元の世界に言いたいことは数あれど、食品の開発能力、供給体制には礼を言う。
食べたい時に、食べたい物があったよな、あっちって。
まだ、世界が変わって数時間しか経過していないのに、元の世界を懐かしく思う。
我ながら苦笑してしまった。
人間そんなものだよな。
色々と思うところはあれ、菓子はいつもの菓子だ。
俺はそう思って。
手元の菓子に、あっさりと食い付いた。
そのとき。
女子ふたりから、声なき声が上がった。
「!?」
「?!」
黒焦げの菓子とやらから、焦げの臭いがしない事などとっくに承知で。
漂う芳醇な香りに、何だこれはという驚きを見せて。
そして、俺が菓子を食した瞬間に、色々と理解したのだろう。
なぜおまえが、あなたが先に、うまそうな、おいしそうな思いを。
もしかすると声なき声は、そう言いたかったのかもしれない。
音声に流さずに済ませたのは、年齢からすると流石である。
伊達に高貴な生まれではない、ということか。
「毒見は済みましたが」
「あ、ああ」
「…そう…ですわね…」
古典的に表現すれば、ごくりと唾を飲むという感じになるが。
ふたりの少女の反応は、それをはるかに上回って。
かたや、物騒なメイドはあたふたと落ち着きを失い。
かたや、お嬢様(幼女)は陶然とした顔で香りを味わっている。
「よよよよ用意は出来たのかコーイチ」
「どうぞおふた方、お召し上がりください」
包装のフィルムを、わざと裂かずに手渡す。
ふふふ。
たどたどしくも、なんとか包装を開こうとするふたり。
渾身の注意を払って、菓子を扱っているのが分かる。
しかしそうもがっちりと掴んでは、中の菓子が握り潰されるんじゃないのか。
包装の隅を掴むんだが…胸元に抱え込んでまあ大事そうに…。
本当に取り落としたくないんだな…。
「ここをこう、ちぎるように持ってゆっくりと。切り口が水平になるように…」
開け方のコツを伝えると、分かったと首を縦に振るふたり。
ルナが、シアリーズを見て。
シアリーズが、ルナを見て。
お互いに、うんとうなづいて。
そして。
ふたりは、さらりと包装フィルムを開けた。
「おぉ…」
「あぁ…」
育ちというものは、こういうところに出る。
菓子の香りを楽しめるというのは、それこそ。
その楽しむ時間を確保できるほどに、競争相手がいないということなのだ。
そしてメイドとお嬢様は、あふれ出す香りに我を忘れかけている。
菓子の頭を包装の外に押し出すまでに、なかなか至れない様子だ。
震えているようにも見えるふたりの手。
それぞれの菓子が、それぞれの口へと運ばれて。
ぱくり。
そういう音がしたかのように。
ふたりは、ふたりから見れば異世界の菓子を、ついに口にした。
「これは…ぱりっとしたこれは…いい」
「何て、何て上品な…甘味と苦味ですの…」
端をひと口かじって、ご丁寧にも感想を述べてくれるふたり。
こっちとしても嗜好を把握できるから、コメントを頂けるのは助かる。
花開くような笑顔と共に、ほぼ同時にふた口めを口にするのは微笑ましい。
微笑ましいな。
まだ、笑顔でいられる余裕があるとはな。
かじったそこは、端の方だろう?
まだ、中身には達していないはずだ。
甘味と苦味と来て、限定品のこの菓子が。
それで済ませると思うかね。
「「ん、んん~~~~~~~~っ!」」
爽やかで新鮮な果実の、酸味。
まろやかで上品な乳製品の、コク。
声なき声は、声となった。
メイドは背を丸めて。
お嬢様は天を見上げて。
いささか大きめのお声を、存分にお挙げになられていた。
このマカロンの、限定バージョンは。
日本農家の粋の極み、国産最高級と謳ういちごを、贅沢に粗挽きペーストにして。
これに日本酪農家の汗と涙の結晶である、極上品の生クリームを合わせてある。
そのふたつの素材を前に、菓子メーカーが。
小麦粉、砂糖、塩などの原料を厳選。
パッケージは真空二重包装、店頭陳列時は温度指定の要冷蔵と配慮を尽くし。
あげく購入の際には、家までの距離に合わせて専用の保冷剤まで同梱するという。
業界のトップブランドを育成すべく、持てる技術の全てを投入したものであった。
あえてビターの側に転がした、ココア含有の生地の下味。
パリパリ感に厳命の下った、チョコレートコート。
果肉の触感にこだわった、粗挽きいちごペーストと。
国内牧場限定とまで指定した生クリームの、マリアージュを
甘味とコクと、そしてプライドの極みであるいちごクリームを。
季節数量、日本限定と銘打って、たっぷりと。
それはもう遠慮なくたっぷりと、挟み込んだマカロン。
開発は、数年にわたって、順風満帆とは程遠い道を歩んだ。
内外の意見がぶつかり、技術にとどこおり、開発予算は厳しく管理された。
農家も酪農家も開発者も、産みの苦しみを耐えて、こらえて、かみ殺して。
開発中止の危機すら、社長室に直訴してひっくり返したという過去すらあった。
そんな、開発チームのメンバーである農家と酪農家と、製品開発担当者たちが。
重役試食会の場のサプライズで、社長から特別賞を受賞して。
チーム全員、抱きあって泣いたというエピソードがあるらしい。
しかも、今年のバージョンはひと仕事してある。
隠し包丁というやつだ。
メーカーは、マカロンの内側を球形に削いで。
わざわざクリームの量を1.3倍にまで増量してきたのだ。
そしてここに、もうひとつエピソードがあって。
クリーム増量の企画申請が、会議で提出された時。
特別賞まで与えた社長が、俺にも一枚かませろと悪ノリを言い出し。
なんとこのご時世に、お値段据え置きという暴挙をぶち込んだのである。
『頼むから価格を上げてくれ。それとも何か、製造終了の前振りなのか』
『いいから俺のカネを受け取れ。会社丸ごと買ってやる』
『マカロンロスが怖いです。どうしてこんなおいしいものを作ってくれたんですか』
SNS上では逆に、メーカー側利益の心配をする声さえ飛び交ったのだ。
そんな、シリーズ発売当初から日本中で買い占め騒ぎすら続く品が。
美味しくないはずがなかった。
そしてさあ、ここからが本番だ。
メイドだろうがお嬢様だろうが、呼吸は行わなければならない。
そして、口の中の、ココア生地とチョコレートといちご果肉と生クリーム。
これらの香りが混然一体となって、鼻腔に注がれるとき。
それこそが、このマカロンのティ…もといグランド・フィナーレ。
果たせるかな、少女ふたりが。
それぞれに、吐息をもって。
肩をぶるぶるっとけいれんさせ。
ばしばしばしばしっと両足を踏み鳴らして。
今度こそ、悶絶した。
甘味、苦味、酸味、それらがまろやかなコクと調和する。
おそらくは、この世に存在しないだろう菓子の、味の奔流。
そして女子として、好まざる者のいないであろう香りの大河。
異世界発の、快楽の化身であるマカロンの手管の前に。
ルナもシアリーズも、完全に陥落したのである。
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