第2話「衣食住」

 マズい。

 最高にマズい。

 こんな、山奥だか森の中だかすらも、はっきりとはしない場所に居て。

 加えて何も手持ちがなく、すっからかんで放り出されている状況が。

 水はどうする。

 食料はどうする。

 あとどれくらい経てば、夜明けが来てくれるのか。

 そして日没までに残された時間で、満足な量の水と食料を確保できるのか。

 見通しなどなく。

 生き残れる保証すら、どこにもなかった。


 一刻も早く生命線を確保しなければ、生存の確率は急激に下がるだろう。

 日に水と食料をどれだけ消費するから、入手量はこれだけ必要だと計算する前に。

 今日を生き延びられるかどうか、であった。

 今日、いくらかでも水や食料を入手できなければどうなるか。

 明日は、今日よりも気力や体力を落として、かつ入手作業を続行することになる。

 それに、例えば今日、ケガやストレスなど、コンディションの悪化が発生すれば。

 明日以降の活動では、まともな効率を得られない状況になるだろう。

 

 自分ひとり、物資のひとつも無く、森に放り出された。

 これだけ心細い状態も、そうそう思い出せない。

 どんなに若い体を得ていても、これではまるで迷子である。


 自分だけでは、自分を生き延びさせることすら難しいのだ。

 己の力のなさを、認めざるを得ず。

 そして気づいたからといって、雨粒ひとつ降ってくるわけでもない。

 俺は、頭の中がぐるぐるとかき回されていくような不快さを感じていた。


 このままジリ貧になるのか、そして負のスパイラルに巻き込まれるのか。

 加速度的に生命の危機が訪れ、やがて死に至るのだろうか。

 考えても考えても、悪化する状況に苦しむ自分の姿が脳裏に浮かぶ。

 軽いパニック状態に陥っているのか、呼吸さえ苦しい。 


 いや待て、落ち着け。

 落ち着け俺。

 落ち着いて、状況を整理するんだ。

 

 そもそも俺は、さっきまで何をしていた?

 そうだ。

 連休前の買い出しに行って、自分のアパートに帰って来たところだったよな。

 そして、理由は分からないが、こんなところに放り出されたわけだ。


 では、俺が放り出されたというのなら。

 極論ではあるが、俺と俺の衣服が一緒に、ここに放り出されたのなら。

 買い出ししてきたものだって、んじゃないのか。

 確かに、あの部屋の前で、この手に握っていたのだから。


 そう思いながら、その辺り一帯を探して回ること数分。


 がさり。

 足元から音。


 その『がさり』は。

 この場所には不釣り合いの、そして聞き飽きるほど聞いた音。

 スーパーの白いレジ袋が中身と擦れて出る、生活の音だった。


 木々の間に濃く茂っていた、俺が倒れていたのとは別の草むら。

 背の高い草たちの群生。

 念のために石を投げ入れ、何も反応がないことを確認して。

 そろそろと足を踏み入れ、数歩ほど歩いた時に。

 その音は聞こえたのである。


「!」


 声にもならない叫びをあげて、音のもとに手を突っ込み。

 手に触れた、懐かしい手触りの袋を引きずり出す。

 まごうことなく。

 俺がほんの先ほど、地元のスーパーで購入した品物の数々であった。


 レジ袋は3つ。

 そして重量物用のマイバッグ(要はリュックサックだが)。

 愛用の買い物袋だ。

 どの袋も、外見や中身に損失が無いことが分かったとき。

 俺は心底、ほっとしていた。


 こんな異世界じゃなくて、自分の部屋に搬入したかったが。

 まあ、それはおいておこう。

 飲料水と食料が確保できたことで、また、状況が好転したのだから。

 

 車のカギと財布、スマートフォンも見つかった。

 だが、世の中そうそう全てがうまく行くものではなかった。

 スマホの画面表示が消えており、操作しても表示されない。

 破損したような様子はないのだが、電源すら入らないのだ。

 転移した時に、何らかの問題が発生したのかもしれない。


 スマホについて少し考えてみる。

 この世界では、元の世界のようにGPSを利用できることはないだろう。

 そうなると、マップやナビは意味がない。

 しかし、内臓カメラやボイスレコーダー、コンパスや時計は用途があっただろう。

 充電しない限り、いずれ電池が尽きて使えなくなってしまう力ではある。

 だが、いまこの時点で失うにはあまりにも惜しい力でもあった。


 まあ、仕方がない。

 そう思って、俺は車のカギと財布をマイバッグに保管した。

 スマホはどうするかと思ったが、シャツの胸ポケットに入れ、ボタンを留めた。

 何かの拍子に、復活してくれるかもしれない。

 アプリがどうの、電話がどうのと、これ以上悩むのは苦痛ですらあった。

 いつも鳴り響いていたあの告知音を、ただただ無性に聞きたかった。 


 食は何とかすることが出来た。

 次は衣食住の、住だ。

 草むらの中にこのまま住みつく…というわけにもいかない。


 いつどこから、どんな生物にどのような攻撃を受けるかもわからないのだ。

 そうなればケガどころか、生きていられる確率とて下がるだろう。

 それに、天候がいつまで晴天明朗でいてくれるかどうかも分からない。

 早急に、安全で快適に過ごせる場所を見つけなければならなかった。


 俺は袋の中身を仕分けし、どういう物を持っているのかを整理した。

 重量のあるものをマイバッグに詰め込む。

 マイバッグに、雨をしのぐためのカバーが付いていたのは幸いだった。

 雨露を防ぐためと、食品から出る匂いを少しでも漏らさないために。

 俺はバッグに、カバーをしっかりとかけていった。


 荷物の中で、マイバッグに詰め込み切れなかったものを集めなおす。

 いったんそれらを草むらに置いておいて。

 そしてレジ袋を入れ子にして一枚の、しかし3重構造の袋にして。

 それから、先ほどの余り荷をレジ袋に戻した。

 何があっても失うわけにはいかない生命線である。

 知らないうちに袋が破れて、中身を失ってましたなんて冗談にもならない。


 荷物の整理中に、食品の臭いが、周囲の何物かを引き付けるかと思ったが。

 そういう、いきなりの悲劇は避けられたようだ。

 異世界と思われる世界に放り込まれはしたが。

 五体は満足、衣食住のうちふたつは見つかり、住を探す時間はまだある。

 運の流れはまだ尽きてはいない。

 

 助かるかもしれない。

 だから急がないと。


 必要以上に考える時間があるなら、行動するべきだ。

 現実逃避じゃない。

 まずは実際の危険から逃避させてくれないか。

 もっとも、逃避先なんざ無いんだがな。

 ああ、逃避していても晩飯が出てきた世界に戻りたい。


 らちが明かない。

 俺はいろいろな感情を頭の奥に蹴り飛ばして。

 荷物を持つと、森の中を歩き始めた。

 

 自分が、自分の脳内世界以外での主人公でないことは承知している。

 だから、自分で自分のために動くのだ。

 自分自身を見捨てるような真似だけはしたくない。

 何かしら手段はあるはず。

 右がダメなら左に行けばよいのだ。


 だから、まずは進む。

 何が何だかわからなくても、だからといって止まりたくはないから。

 

 しばらく歩いて、道のようなものを見つけた。

 ほらな、進んでみれば何か良さげなイベントだってあるはずなんだよ。

 まだ喜ぶには早いと、声を抑えてその道らしきものに近づいて。

 そして、今度こそ喜びの声が抑えられなかった。

 道があったこともさることながら。

 その道には、なんと数本もの轍があったのだ。


 道の幅は、元の世界風に言えば片側1車線ずつというところか。

 道の中央ではなく、左右に一組づつの轍が見て取れる。

 例えるなら、馬車が交差していた状況がここにあると言い切れる。

 轍に感動を覚えるのは、生まれて初めてだった。


 まるで、もう助かったような気さえする。

 車輪を利用する知的生命体が存在している、またはいたということなのだから。

 うまく意思疎通が出来れば、野宿を回避できるかもしれない。

 車輪まで用いるほどの知性があるなら、取って食われはしないだろう、たぶん。


 しかし、よくその道と轍を観察すると。

 俺の思考内に、ゆっくりと不安が湧き出るのを否めなかった。

 轍は消えかかっており、最近出来たような物は見当たらない。

 そして道の端にも真ん中にも、ところどころ雑草が生え育っている。

 この道はいわゆる、常時使用されている交易ルートなどではない様子なのだ。

 それどころか、放棄された雰囲気すら感じる。


「放棄の理由が、危険なものでなければいいんだが…」


 俺は思わず腕組みをしながら、そうつぶやいた。


 そして。

 その予感はご丁寧にも、こういう時に限って的中してくれたのである。

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