第二十四話 再会する

 引き金を引く瞬間、私の頭には自責の念が浮かんでいた。



 ––––––バカか私は。



 私が窓を蹴破るまで、このログハウスに侵入された形跡は無かった。




 奴はずっと、外に居たのだ。




 丸テーブルといくつもの椅子。それが収まるほどの広いテラスの床下に、奴は居たのだ。




 奴を動かしたのは、負傷したゲイブの血の匂い––––––




 ガァーンッ……!!


 と言う爆音とともに、私の腕に衝撃が伝わる。その反響音、重たいものが落ちる音、そしてガラスの破片が落ちる音が続き、それから甲高い女性の悲鳴が響き渡った。


「キャーーーーーッ!!」


 私が撃った窓から飛び出して来て床に落ちたのは、毛皮に覆われた巨大な肉体。狼男だ。それを見て、女性だけでなくダニーも驚愕の声を上げた。


「な、何なんだ、一体!?」


 狼男は呻きながらも身を起こそうともがいている。外したか!


 間髪入れずに、その隣に闇が渦巻いた。


 そしてあの不快な音。


「坊ちゃん、とどめを!!」


 姿を現したフェンが叫んだ。言われなくても!


 構えたままだったデリンジャーの照準を合わせ直して––––––そして私は凍りついた。




 怯えた双眸と目が合った。


 私と狼男を繋ぐ直線上、その奥には、あの女性もいたのだ。




 外せば、彼女が。




「……坊ちゃん!!」

『……グルォオオオッ!!』

「がっ……」


 怯んだ私を急かしたフェンに、その一瞬の隙をついて狼男は飛びついた。


「フェン!!」


 私は、わざと照準を上方にずらして再びデリンジャーの引き金を引いた。フェンに当てる訳にはいかない!



 ガァーンッ……!!



 再び響いた爆音に、狼男は飛び退いた。そして、そのままリビングから姿を消す。奴が飛んだ先を見れば、そこには二階への階段があった。




「フェン!!」


 私は、まずフェンがいた場所に駆け寄った。有難いことに、そこにはふるふると力無く蠢くコウモリが落ちている。私は、ひとまずこの姿の彼が叩き潰されなかったことに安堵した。


「……なんっつーモンを使ってやがるんだあんたはっ!!」


 その声に振り向けば、抗議の声を上げていたのはダニーだ。まだ両耳を抑えて首をすくめている。よく見れば、床に倒れたゲイブも横になって丸まり、片耳を覆っていた。


 二人には狼男の乱入よりも、突然室内に現れたフェンよりも、私の銃が立て続けに発した音の方が驚きだったらしい。無理もない。小銃ではなくライフル用の弾なのだ。


 私はフェンをすくい上げて、一旦ダニーの元へ駆け寄った。


「使ったのは特製デリンジャーだ。悪いがこいつを頼む。」

「デリンジャあ?何をバカな……うわっ?うわぁっ!?」


 私が手渡した生きたコウモリに、予測通りダニーは狼狽えていた。


 コウモリの姿になってしまったフェンをそのままにしては、うっかり踏み潰されてしまいかねない。もう既に姿は見られてしまっているし、多少手荒には扱われても、認識されていた方が良かろうと私は判断した。


 恐らく床に取り落とされてしまったであろうフェンと、訳が分からないまま混乱しているダニーをそのままに、私は素早く二階に向かった。


 ◇◇◇



 階段の壁を背に、上の様子を伺いながら銃弾を籠め直す。足元にはポツポツと血痕があった。一発目の弾丸は、僅かながら奴にダメージを与えたらしい。


 さっきの二発目で狼男が逃げてくれたのは幸運だった。この銃には、銃弾はたったの二発分しか籠められないのだ。


 ––––––あと二発で仕留めなければ。それとも少し素手で痛めつけてから撃つべきか……


 私が考えている中、カラーン、と、私が捨てた空の薬莢が床に落ちる音に、何か別の音が重なっていることに気がつく。そしてそれは近づいていた。



 ––––––車のサイレン?



 救急車が来るのは分かっている。しかしそれには早すぎる。私は、ここに向かってくる前に聞いたサイレンの音を思い出した。


 あいつらが、事前に応援を呼んでいたのか?


 この場に『人間』が増えては更にやり辛くなる。私は、もう直ぐそこまで来ているその音に急かされるようにして、二階の廊下に足を踏み出したのだった。




 当然のごとく、左右の廊下には奴の姿は無かった。その両脇にはいくつもの開いたままの扉が並んでいる。流石は金持ちの別荘だ。


 二階で窓が割れた様な音はしなかった。奴は、まだ何処かにいるはずだ。


 私は、まずは階段のほぼ正面にあった部屋の入り口の横に忍び寄った。素早く銃を構えて中を覗く。


 正面にも扉の両脇にも、奴の影は無い。そろりそろりと、部屋の中へと歩みを進める。


 そこは客室ではなく、応接セットのある談話室の様だった。デリンジャーの先端を向けながら、部屋の各所を探る。


 ソファーの後ろ、ローテーブルの下、カーテンの影にも奴は居ない。


 私は、入り口に戻って再び廊下の様子を伺った。サイレンの音がうるさいくらいに近くなり、廊下の突き当たりにある窓のカーテンの隙間から、赤と青の光が踊るのが見えた。




 淡々と、それぞれの部屋を確認して行く。階段の横のバスルーム、小さな客室、また別の客室。そのどれにも、奴はいない。


 やがて大音量のサイレンの音がピタリと止み、あたりは静寂に包まれた。カーテンの隙間から見える、赤と青の光だけが騒がしく舞い続けてる。


 ––––––何処だ。何処にいる。


 階下に増える人の気配に、私の焦りは煽られる。次の部屋の中に、デリンジャーの銃口を向ける。大きなベッドのある、マスターベッドルーム。






 突然、階段を駆け上がってくる物音に、私は思わず銃口をそちらに向けた。




 思ったよりもずっと、体高の低い生き物が飛び出して来た。




『……ワンッ!』








 馬鹿な。







『ワンッ!ワンッ!』







 は、私の姿を認めると、一つ大きく吠えた。そして尻尾を大きく振り回しながら、何度も吠えながら、跳ねる様に私の元へと駆けて来た。


 気づけば、私は跪いてを迎えていた。




 馬鹿な。どうして。



「ハニー……」

『ワンッ!ワンワンッ!』




 そう。柔らかな金髪に包まれたしなやかな身体。それは確かにハニーだ。


 触れればふわりと暖かい。確かにハニーだ。



 ハニーは急いで私の匂いを確かめてから、呆然とする私に吠え続けた。


『ワンッ!……ウゥ……ワンッ!ワンッ!』


 私の前を左右に行ったり来たり、時には回転しながら、必死に何かを訴える様に吠え続ける。



 何故、どうして、誘拐されたんじゃなかったのか、どうしてここへ、どうやって……ここには狼男が、危険だ、何故、一体どうして……



 私は、ただ呆気にとられて彼女を撫でる感触を確かめることしか出来なかった。一体何が起こっている?


『ウゥ……キューン……』


 ハニーは困った様に呻いて後退ると、急にあたりを伺い始め、弾ける様にすぐ横のベッドルームに飛び込んだ。


「ハニー!?」


 ダメだ!もし狼男がいたら……


 私は焦って彼女に手を伸ばしたが、間に合わない。彼女は部屋の奥へと消えた。入り口の左右の影を確認するのも忘れて、私はその後を追った。


 そして見た光景に、再び狼狽える。


 彼女はベッドのシーツの端に食らいつき、それを全身の体重を使ってグングンと引っ張っていたのだ。


「ハニー!?一体何を……」


 取り押さえようとする私の手をすり抜ける様に動いて、ハニーは止めようとしない。


 目の前で彼女がいたずらをするのを見たことが無い私は、彼女の奇行を目の当たりにしてますます混乱していた。


 ––––––何をしている?こんな事をしている場合じゃ無いんだ!狼男が何処かにいるのに……


「止めるんだ、ハニー!!」


 私は今にもベッドから引き剥がされそうになっているシーツを掴み、引き寄せた。それ以上引っ張っても無駄だと察したのか、ハニーは直ぐに口を離すとさっとベッドへ飛び乗た った。そして、今度はブランケットを引き剥がしにかかる。


「ハニー!」


 全く理解出来ない彼女の行動に焦りながらも、私は彼女を捕まえにかかった。ベッドに乗り上げて手を伸ばす。その手をすり抜けて、ハニーはベッドの端へ飛び退った。ぶわりと、巻き上げられたブランケットが彼女の姿を隠す。


「この……!!」


 危うく暴言を吐きそうになりながら、私はブランケットに飛びついた。


 生き物の動きを両腕に感じ、逃すものかとそれをがっしりと抱きしめた。




 そして、






 その感触に、私は怯んだ。







 ––––––なんだ?








 大きい?






 眉を顰めて、探るために片手をの上にぺたりと置き直す。







 その感触に、ざわりと、全身の毛が逆立った。








 ハニーじゃ無い。










 もぞり、と、横になったまま凍り付いた私の腕の中で、が動いた。



 衣擦れの音がして、力の入らなくなった私の腕がほどかれる。



 身を起こしたの肩から滑り落ちたブランケットが、ぱさりと音を立てた。




 背中の素肌の白さが、私の目を刺した。



 ぶわりと、濃密な芳香に包まれる。





 甘い、匂い。










「ドクター……」









 向こうを向いて言われた、ほんの小さな囁き。


 私は息を飲んだ。




 震える舌が、勝手に言葉を紡ぐ。







「……クリスティーナ?」







 ゆっくりと振り向いた彼女の、絹糸の様に垂れた髪の隙間から、大きな潤んだ瞳と目が合った。


 ぱちぱちと、まるでパズルのピースがはまる様に、脳裏にいくつものシーンが蘇っては噛み合っていった。



 ◆◆◆




 彼女はドッグフードを、決して口にしなかった。




 トイレをさも当たり前の様に使いこなした。




 私の言葉を、まるで全て理解しているかの様に振る舞った。




 私は、大馬鹿だ。




 そうだ。




 クリスティーナと会うときは、いつでもハニーは居なかった。




(きっとそのワンちゃんも、先生のことが大好きなんでしょうね。)




(きっと、ハニーもドクターのことを誰より大切に思っています!)




 そうだ。あんなに聞き分けのいい犬など、いるわけが……




(今度は私が夕食をごちそうしますね。)




(今日の夕食は私が作ります!)




 気付くチャンスなど、きっと幾らでも……




(わぁ……素敵!……有難う御座いますっ。)




(お帰りなさい!!)




 ああそうか、君はいつだって……




(でも今日はドクターの為に、評判のコーヒーを用意したんですよ。)




(はいっ、どうぞ!)




 そうだ、あの時だって、何も聞かずにブラックのコーヒーを……




 彼女の人懐っこい視線は、ハニーのそれと全く同じだ。




 ああ、そうだ、ほんのり香る、ハニーの匂いだって……




 ◆◆◆



「ヴィットー!!」


 階下から聞こえた声で、私は現実に引き戻された。ダニーだ。続いて駆け上がってくる音。私は叫んだ。


「ダメだ!来るな!!」

「ドクター!」

「君はここに居るんだ。動いちゃダメだ。いいね!」


 私は縋るクリスティーナに言い聞かせてから、ベッドを飛び降りて部屋を出た。




 今は、狼男を何とかしなければ。




 デリンジャーを構えて廊下の奥を見れば、同じように銃を構えたダニーと視線がかち合う。


「奴は何処だ!」

「こっちには……」



 居ない。



 そう言おうとして、彼の後ろの影に気がつく。


「伏せろ!!」


 訓練された者の動きで彼は従う。私は引き金を引いた。



 ガァーンッ……!!



 三度響いたその爆発音の反響が消えないうちに、その影はダニーをひとっ飛びにこちらへ向かって来た。早い!


 引き金に指を添えて、私は一瞬動きを止めた。



 もっと引きつけて、


 今度こそ急所を……




 これで終わらせる!!






 だが……




 私の照準は、不意に受けた横からの衝撃で外れてしまった。


(……クリスティーナ!?)


 私の腕を押しやった彼女が、大声で叫ぶ。






「やめて!!」


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