第二十三話 発見する
聞こえては途切れ、途切れてはまた聞こえるフェンの『合図』を頼りに、私はどんどんと山奥へと進んで行った。
それなりのスピードで鬱蒼と茂る森の中を進んだので何度も手や顔に傷を負ったが、気にするほどでは無かった。小さい傷はすぐに塞がるからだ。邪魔になるからとジャケットの前は閉めたが、枝木に引っかかり上着もズボンも袖や裾はボロボロになっている上、泥だらけだった。
出来ればジャケットは脱いでしまいたかったが、もし一般人と出会ってしまった場合に銃を身に着けているのを見られるのはまずい。どちらにしろ、およそ人に会うには相応しく無い格好になってしまってはいるのだが。
やがてフェンの発するあの音が、耳を抑えたくなるほどの音量で聞こえるようになってきた。
「フェーン!!」
私は走りながら大声で叫んだ。彼は音を発している間も、別の周波数帯の音を聞き分けられるはずだ。
突然あの音が消え、前方に月の光を吸い尽くすような闇が渦巻く。私は足を止めた。その闇が搔き消えると、そこに探し求めていた黒ずくめの相棒の姿が現れる。
その身体が、ぐらりと揺れた。
「フェン!?」
私は駆け寄って彼の両肩を掴んだ。彼の肩口で赤い巻き毛が揺れる。
「……無事ですよ。飛び回って少しバテただけです。……遅かったじゃ無いですか。」
ぐったりとしたまま肩で息をしてはいたが、彼の軽口を聞いて私は胸を撫で下ろした。狼男をおびき寄せてキャンプ場から離すのに、彼はかなりの危険と労力を冒したに違いない。
「すまんな。渋滞だ。」
「……これだから人の乗り物は……。」
なおも憎まれ口を叩く彼が真っ直ぐ立ち上がるのを助けながら、私は聞いた。
「奴は何処だ?」
「この先のログハウスです。金持ちが持て余した別荘らしきものがあって……」
フェンは、言葉をそこで区切ってしまった。
「フェン?」
「……まずい。」
「何?」
「誰か来た。人間です。」
「何だと?」
「先に行きます!急いで!!」
そう言うが早いが、彼の姿はまた闇となって掻き消えてしまった。
––––––誰か来た?そのログハウスにか?
足らない説明を脳内で補完しつつ、私は取り敢えずさっき走っていたのと同じ方向へまた駆け出した。少しの間の後、またフェンの発するあの音が聞こえ、私を導いた。
◇◇◇
辿り着いたログハウスには、確かに先客があった。庭には乱雑な角度に停められた車が一台あり、一階の窓からは灯りが漏れている。狼男が忍び込んでいるだけなら車も無いだろうし、灯りをつけようなどとも思いつくまい。
車はかなり高価そうなピカピカのSUVだ。ログハウスの持ち主がやって来たのだろうか。それにしては随分静かなままだ。
フェンは私が辿り着いたことを察したのか、今はあの音は止んでいた。私は、車の陰で脇に差していたデリンジャーを手に取り、二発の銃弾を籠めた。撃鉄を起こし、上方を向けた状態で構えてログハウスに忍び寄る。
私はログハウスの周りをぐるりと取り囲む立派なテラスに忍び足で駆け登った。この中の何処かに、狼男がいるのは確か。しかしこの中には人間もいる。その状況を先に確認したかった。壁に身体を擦り付けて、大きな窓から中を覗き見る。
三枚目の掃き出し窓から、私は見たくないものを見てしまった。
中に居たのは若い男女。女性の方は肌を露わにしている。
それだけならまだ良い。特別驚くほどのことでも無い。だが––––––
私の不快感を煽ったのは、女性の腕に巻きつく縄と猿ぐつわ、そして、男が握るサバイバルナイフであった。
男はソファーの上で女性に馬乗りになっており、女性の服はどう見てもそのナイフで切り裂かれた後だ。ナイフは、女性の首元に突きつけられている。
––––––くそったれが。
私は、何とか暴言を声に出して吐くのを抑え、怒りに堪えながら大きなため息をついた。
––––––この『狩り』は失敗できないんだぞ。それにこっちはさっさと終わらせてハニーを探しに行かなくちゃいけないっていうのに、全くどいつもこいつも……何だって私はこう面倒ばかり……
そう、面倒だ。物凄く。だがこのままにしては置けない。
もう一度覗けば、男が今まさに自分の服を寛げようとしている。私は、苛立ちをそのままぶつけるが如くそのガラス戸を蹴破った。
ガシャァアンッ!!
けたたましい音に、男女は身を凍らせてこちらを見た。男はナイフの切っ先をこちらに向けている。私は、肘とデリンジャーの持ち手を使って何度かギザギザに残った割れガラスを叩き壊し、人が一人通れるだけの穴に広げてから中に踏み込んだ。靴の下で、床に落ちたガラスの破片がぎちりと音を立てる。
「な、なな、なん、何なんだ、あああんたっ。」
回らない口で男が言う。目はギラギラ、肩で息をしており、私に向けているナイフはブルブルと震えていた。
「通りすがりだ。穏やかならざる様子だったんでな。」
本来なら決してするべきではなかったが、私は銃弾の籠められたデリンジャーの銃口を男に向けた。私も随分腹が立っているに違いない。勿論、引き金から指を外してはいるが。
同時に、室内の様子を伺った。狼男の影は見えない。勿論フェンもだ。だが、フェンは奴を見張っているはずだ。
この小銃はあまりに小さいので果たして銃だと認識されるのか甚だ不安だったが、幸運なことに男は察した様だ。両手を頭の横に掲げる。しかし、片手にナイフは持ったままだ。女性は両手の縄をソファーの足にとめられてしまっているらしく、猿ぐつわも外せずもがいていた。
「それを離せ。彼女から離れろ。」
私は顎をしゃくって言った。男は手を離し、ナイフは床に落ちてからりと音を立てる。
「ご、合意の上さ。ぷ、プレイだよ、プレイ!は、流行ってるだろ?ここここういうの。あ、あの映画、みぃ、見たことないのかい?」
苦しい言い訳に怒りを通り越して呆れつつも女性と視線を合わせれば、彼女は涙を湛えた両目をこれ以上開けないほど開いて、首をブルブルと横に激しく振っていた。当たり前だが。
「ほ、本当さ!付き合ってるんだよ!こここ、ここだって、とと父さんの敷地で……そ、そうだぞ、あ、あんた、そんな、む、無理矢理入ってきて、どうなると……」
言い訳がましい男の物言いに、私は大方を察した。頭のイカれた、金持ちのボンクラ息子。目をつけられた不運な女性。丁寧に断ったが逆ギレされて拉致された。そんなところか。
「不法侵入は認めよう。だが捕まるのは君も一緒だ。まぁ、君は私より堀の向こう側に長居する事になりそうだが……」
そう言って私がもう一歩踏み込んだ時……
「動くな!!」
聞き覚えのある声が響いた。
だが、それは残念ながら喜ばしい類のものではない。
両手を挙げた強姦未遂男の向こう、巨大なリビングルームの一番奥に、拳銃をこちらに向けて構えたスーツ姿の男が二人。
「カンが当たりましたね!先輩!!」
「だから言っただろうが!俺の経験を舐めるなと!!」
こちらを置き去りにして盛り上がっているのは、いつの間にここに忍び込んだのか、私を追っていたのであろうダニーとゲイブ。
「残念だったな、ヴィットー!!やっぱり俺が睨んだ通りだ!!」
「銃を置いて!両手を上げて!!銃規制法違反と加重暴行容疑で、現行犯逮捕します!!」
「詳しい話はたっっっぷりと署で聞かせてもらうからな!はっはっはぁっ!!」
狼男が近くにいることは分かっている。
だが、私は一度、その事を忘れる事にした。
身動きを取らずに目を瞑り、それはそれは大きな深呼吸を一つ。
自分に、精一杯同情をしながら。
––––––勘弁してくれ……
「聞こえなかったのか!抵抗してもムダだ!大人しくしろ!!」
「銃を置いて!両手を上げて!!」
森の中を走ってきては私に追いつく筈がない。二人は当たりをつけてここに車を走らせたに違いない。その幸運には感服である。
が、
これで、ここには四人も『人間』がいることになる。二人でも面倒だと思っていたのに倍増……ダニー達がもし先に来ていたのなら、この二人は放っておいても良かったんじゃ……
––––––こいつら全員を、狼男から守りつつ狩りをしなければいけないのか……
「な、な、な、なん、何なんだあああんたらっ。」
「……あんた、その男の知り合いか?」
「し、し、し、知るわけ無いだろここここんな奴っ。」
「……ならゆっくりこっちへ来い。」
「ダメだ。お前は動くな。」
「ひぃっ。」
「ヴィットー!!」
私は泣きたい気持ちを堪えながら、ダニーに諭されて動こうとした変態男に鋭く言って、デリンジャーを構え直した。ダニーは更に気色ばむ。
「言っとくがこいつは誘拐及び強姦未遂犯だぞ。見たら分かるだろう。私は大人しくするから、早くそこの女性を解放してやってくれ。」
デリンジャーはそのままに両手を挙げながら言った私の言葉で、ダニーとゲイブはやっと、ソファーの背からはみ出て忙しなく動いている女性の手と、布越しに虚しく響いていた彼女の悲鳴に気づいたようである。
「……よし、全員確保だ!!」
「はい先輩!!」
私は、また大きなため息を一つついた。
そして、気を抜いたことを後で後悔した。
「うわぁああっ、く、来るなぁあっ!!」
誘拐犯が、腰に手を伸ばす。
その意味を、私は理解する。
私は、その顚末を思い浮かべて咄嗟に動いていた。
タァンッ!!!
発砲音が響いたのと、私がイカれた若造を取り押さえたのが殆ど一緒だった。……こいつ、何かヤバいクスリでもやってるのかっ。
「……ゲイブ!おいゲイブ!!」
少しの沈黙の後に、ダニーが相棒の名前を呼ぶ声が聞こえた。
––––––遅かったか!
私がボンクラ男を引きずり起こして鳩尾に拳を食らわせると、男はうめき声を上げて静かになった。男をその場に放って、落ちていたそいつの銃を蹴り、誰の手も届かない部屋の端まで滑らせる。そしてダニーの元へ駆け寄った。
「ゲイブ!!おいゲイブ!!」
「ダメだ、揺するな!!」
刑事であれば現場での負傷の際の対応方法など訓練されているだろうに、ダニーはよほど動揺していた。割り込もうとする私にさえ食ってかかる。
「貴様、何をする気だ!!」
「私は医者だ!!忘れたのか!!」
「……あ……」
「ここは任せて、救急車と、あっちに手錠、あとあの女性を何とかしてやれ!」
「あ、ああ……わ、わかった。頼む。」
私の言葉で自分を取り戻したダニーは後は冷静で、私がこの場で協力者であることを認識し、銃をしまってスマホを取り出しながら離れて行った。私はゲイブの服をはだけて傷の状態を確認する。
ゲイブの負傷が致命傷では無かったことに、私はひとまず安心した。しかし腹を打たれており、貫通もしていない。一刻も早く、適切な処置ができる施設に運ぶ必要がある事には変わりは無い。
「ここを抑えるんだ。」
「うっ……。」
彼自身の手を腹に導き、出血を抑える為に服の上から圧迫させる。私は、デリンジャーを構えたまま一度その場を離れた。さっきからどういうわけか室内に狼男の気配が無いが、念のため用心しながら清潔な布を探す。
流石金持ちの別荘は準備が行き届いていて、私は直ぐにキッチンから何枚ものナフキンを持って戻ることが出来た。
再びゲイブの横に跪いて、彼が涙ぐんでいることに気がつく。
私の視線に気づいて、ゲイブは顔を歪ませた。笑っているつもりなのだろう。さっきまで捕縛対象だった私に手当てされている状況に、戸惑う余裕も無いようだ。幼い雰囲気の残る顔が痛ましかった。ゲイブが弱々しく呟く。
「俺、この仕事好きで……」
何度もこんな人間を見てきた私の目には、彼が将来を絶たれる可能性に対する恐怖に恐れ戦いているのことは、火を見るよりも明らかだった。
「ああ、直ぐに復帰できる。」
「本当ですか……」
「当たり前だ。私は、これより酷い患者が何度も職場復帰をしているのを見ている。こんなもの、怪我のうちに数えんぞ。最初からそんな弱気でどうする。」
多少の誇張を加えながら言葉をかけて、私は彼の服の下の傷口に、直接幾重にも折った白い布をあてがった。精神的な姿勢が、治癒力に影響を及ぼすのは本当だ。
ゲイブは少し呻いて、それからさっきよりもはっきりと口の端を吊り上げた。
彼の手当をしながら、ほんの少しずつ、自分の呼吸が深くなっているのを感じる。
医療行為であると意識を切り替えてはいたが、慣れた病院の環境とは違うせいか、血を見た事に対して私の身体は反応し始めていた。
落ち着かない気分のまま、考えを巡らす。
––––––この後どうする?狼男はどこだ?ここに居なければ二階か?それとも地下室か……しかしこいつらをどうする?何とかバレずに奴を仕留められるか?しかしこいつらを放って置くのも危険だし……
私は少し焦っていた。吸血欲求のせいで、自分の判断力が鈍って行くのを恐れたのである。
––––––フェンは何処だ?せめて彼と話せれば、奴の居場所を特定できる。この人数なら、姿を見せても後から催眠をかければ……いや、彼の疲労度ではそれも難しいか……私の車に戻れば携帯血液があるが、持ってくるべきだった……
私がまとまらない考えと戦っていると、ダニーがこちらに戻ってきた。
「すぐに救急車が来る。」
彼は上着を着ておらず、見ればそれを羽織った女性が別のソファーに座っていた。
「あんた、大丈夫か?」
ダニーは眉を顰めて、ゲイブではなく私に言った。一瞬何のことか分からなかったが、直ぐに私の禁断症状が見た目にも明らかなのだという事に気づく。
「あ、あぁ、大丈夫だ。」
「……あんたにも色々聞かなきゃならん。悪いが一緒に来てもらうぞ。……くそっ、こっちから動けば早く救急車と合流出来るのに。あ、いや、その前にこいつを動かして大丈夫だと思うか?」
私は額の汗を袖で拭いながら、彼の話はほとんど聞き流していた。自分の気を紛らわす為に、視線を逸らして深呼吸をする。
一番近い窓––––––金持ちの家の窓はどれもデカいらしい––––––から外を見る。眩しい月の光と、それに負けない強い光の星がいくつか。
そのうちの、二つの星が動いた。
私は、反射的にデリンジャーを構えて、引き金を引いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます