第十九話 ……は???

 私は黒い紙箱に並ぶ、不穏に輝く銃弾を一つ手に取った。


 指にずしりと重いこれも、特注品である。




 金色のめっきの薬莢に比べて随分小さいシルバーの弾頭の先端は、尖っておらず逆に窪んでいた。ホローポイントと呼ばれるこの形状にはそう作られている理由があり、まず先の尖った銃弾よりも、発砲後の風による弾道のれが起こりにくいという利点があった。


 そしてもう一つの特徴として、生き物の身体のように、水分を含んだ柔らかい標的に着弾すると先端が拡張して花のように開く、という機能がある。


 先端が開いて面積が大きくなる事で何が起こるかと言えば、受ける抵抗力が大きくなり、標的を貫通しにくくなる。それは二次被害を防ぎ易いということを意味していた。警察が使うハンドガンが通常この形状の弾丸を採用しているのは、これが大きな理由である。


 しかし、それは勿論、標的へのダメージが大きい事も意味する。


 花弁のように裂けて開いた金属の塊が、回転しながら高速で体内をえぐるようにして進むのだ。そのダメージは推して知るべし、である。その効果を活かして、大型の獣を対象としたスポーツハンティングでは通常この形状の銃弾が採用されている。


 先端の窪みの中心には小さな穴があり、ふちにはいくつか斜めに切れ込みが走っていた。これに沿って、弾丸は花をほころばす。




 そしてその花の花弁は、純粋な銀で出来ていた。




 狼男を含めた人にあらざる者の多くにとって、銀は劇薬と同じである。


 吸血鬼である私でも長時間触れていれば身体に変調をきたすだろうし、仮に銀で出来たナイフで傷を負ったとしたら、それは通常のナイフより深く私の身体を傷つけるだろう。あまり意味のない事だがこの弾頭も、取り扱う私の事を考慮して念のため表面はニッケルでコーティングされていた。


 威力はライフル級で人にあらざる者のこの銃弾で狼男を撃てば、確実に奴の息の根を止めることが出来る。胴体にめり込めばひとたまりもないだろうし、かすりでもすればその部分は焼け爛れるのだ。




 私はもう一つの銃弾を摘み上げ、片手に二つを収めた。そして空いている方の手で再度デリンジャーを取り、安全装置をかける。留め金を外し銃身をかぱりと折って、露わになった二つの薬室に一つずつ銃弾を籠めた。


 かちゃりかちゃりと重く硬質な音を立てて銃弾は銃身に収まり、銃弾の底、外側のリムと内側の雷管の描く二重の真円が、ぴったりと薬室を埋めた。この雷管がフレーム側の撃針に撃たれることで、薬莢の中の火薬が引火し、爆発を起こして弾頭が打ち出されるのである。


 私は開いた銃身を戻さずに、銃身の左側にある小さなレバーを引いた。こうする事で内側にある小さなフックが薬莢に引っかかり、銃弾は薬室から押し出される。ほんの少し浮いた銃弾のリムに爪を引っ掛けて引き出し、私は二つの銃弾を摘み出した。


 単純な造りであるこの銃は、打ち終わっても薬莢を自動で排出することは無い。二弾を打ち終わってしまえば、手動で弾を籠め直す必要があった。


 私は何度か銃弾の挿入と排出の動作を繰り返した。出来ればその必要が無いのが理想だか、現場で銃弾を補充し直すのに手間取らないとも限らない。カンを取り戻す為に、私は空の薬莢のままデリンジャーを構えたり、出来るだけ素早く弾を籠め直す動作をただ繰り返した。



 ふと見ると、椅子のすぐ横の床にお座りをしたハニーがいた。



 不思議そうに首を傾げている。



 私は思わず微笑み、デスクチェアを回して彼女と向き直った。左手を伸ばしてワシワシと頭を撫でてやると、彼女は首を伸ばして私の右手に収められている空のデリンジャーの匂いを嗅いだ。スンスンと吸い込み、フシュンと吐き出すのを何度か繰り返す。


 ハニーがこれを見るのは初めてであった。彼女が来てからの一年間、幸運なことにこれを使わなければいけない場面は来なかったのだ。


「出来れば使いたくは無いけどね。」


 言い訳がましく私は言って、物騒な物だとは知らずにそれを伺っているのであろう彼女の気が済むのを待った。


 ◇◇◇



 彼女の鼻先の跡が付いてしまったデリンジャーを解体して、部品ごとに専用のクロスで磨く。きちんとしまわれて埃一つ付いていなかったが、不具合がないか確認し直す意味もあった。


 元の通りに組み立て終わると、私は銃が収められていた革のキャリーケースの緩衝材を取り除いた。そこには革製のベルトのようなものが収められている。銃を持ち歩く為の、肩にかけるハーネス付きのホルスターだ。それを取り出し、デリンジャーを左脇のケースに収め、右脇のベルトに縫い付けられている数列のホルダーには、それぞれに.45-70の銃弾を詰めた。


 私はそれを持ってリビングに戻った。私の後ろを、軽やかな足取りのハニーが付いて来る。


 デリンジャーの収まったホルスターをローテーブルに置く。明日からはこれを持って出歩く必要があるだろう。重い気持ちを吐き出すように大きなため息を付く。


 私は、今度こそ一日の業務を終えたのだ。どさりとソファーに身を投げて、片足を乱雑に肘置きの上に投げ出した。




 片手で両目を覆って横になった私の胸元に何かが触れた。見れば舌を出して微笑んだハニーが、力を抜いた左前脚を私の胸に乗せている。


「お待たせ、ハニー。」


 和やかな気持ちで言いながら、私はハニーの身体を自分の上に引きずり上げた。彼女の尻尾は引っ切り無しに揺れていて、彼女がこの時間を待ちわびていた事が分かる。私は改めて、柔らかくてふわふわで暖かい彼女の身体を両手で抱きしめて、彼女の頭に自分の頬を擦り付ける。


 今度こそ、私達は誰にも何にも邪魔されない時間を取り戻したのだ。


 明日は以前から決まっていた休みだ。その後は怪我の治癒を誤魔化す為に取得した有給が続く。ここ数日ゆっくり出来なかった分も彼女を思い切り甘やかして––––––








 休み。






 その事実を認識して、私はハニーを抱いたまま凍りついた。




(今度は私にお礼をさせてくれませんか。)

(今日助けて頂いたお礼を。)




 クリスティーナが言った言葉が脳裏に蘇る。


 彼女との約束は、その時私が把握していた次の休み。明日であった。




 私はハニーの毛並みに顔を埋めて、深い深い溜め息を吐く。


 どうして忘れていたんだ––––––。


 先ほどのフェンとの会話でその事を思い出さなかった事が悔やまれる。しかし既に手遅れであった。




 十ヶ月前にこの場所に忍び込み、ハニーの失踪に関わったのはクリスティーナだった。無言電話の相手も、彼女だった可能性がある。おまけに彼女は、一年も前から時折行方が分からなくなるという不審な行動を繰り返している。


 私の身体に起こる反応からして、彼女が『血族』の一員である可能性は高い。しかし吸血鬼の庇護の下にあるはずの一族が何故一般市民のように生活をしているのかは不明だし、彼女が私が半吸血鬼である事を知っているか否かは明らかではない。


 そうと知って私に近づいたのだとしても、フェンのあの様子では彼と父の側仕え達の仕組んだ事である可能性は少ない。だとしたらどうやって私の事を知ったのか。吸血鬼の方からは匂いで血族を判別できても、その逆は不可能なの筈だ。


 一体誰が、彼女に私の事を教えたのか。誰が第三者が、彼女の裏にいるのか?だとしたらその目的は?




『管理者』の実の息子であると言う私の立場を考えれば、私を通じて権威者と繋がりを持ちたい、もしくは弱みを握りたいと望む者が仕組んだ事であったとしても、私は驚きはしないだろう。しかしそれに『血族』を利用すると言うのは、その一族が厚い庇護の下にある事を考えればあまりにリスクが大きい。


 それに、私が吸血鬼としての生まれを疎み、自分の一族とも血族とも殆ど交流を絶っている事は、関係者の内では有名な話であるはずだった。


 フェンや世話になった側仕え達には申し訳ない話だが、私の事は一族の間では、『管理人』の嫡男でありながら人間として生きたいと願う変わり者だと、格好のゴシップの的になっていたのである。


 しかしそれも随分昔の話で、最近では私は相変わらず血も女にも興味の無いつまらない男だと、フェンによれば話題に上ったとしても、その一言で終わるのだと聞いていた。


 私が医師として生きると決めて人間の社会に身を投じた頃は確かに、私と特別な関係を築こうとあからさまな接近を試みた者達がいたのを覚えているが、そういった者達はフェンや側仕え達––––––あるいは私の父その人––––––から、厳重なを受けていた。今更、同じような過ちを犯す愚か者もそうそういないだろう。


 だとすれば、一体誰が、何の目的で。


 彼女との出会いが全くの偶然なのだとしたら、それも出来すぎていると思わざるを得ない。




 考えたところで、答えは出ない。


 私は、憩いを求めるようにハニーを撫で続けながら、今晩何度目か分からない溜め息を吐いた。


 フェンに彼女と会う予定が明日である事を伝えておけば、何かしらのアドバイスを貰えたかもしれないし、彼女の血族との関わりに関する調査を幾分優先してくれたかもしれない。しかし、彼が再度私にこの件で声をかけて来るのは早くても明日の夜であろうし、彼も本腰を入れられるのは狼男の件が片付いてからだろう。


 クリスティーナとは明日、指定された住所で落ち合う約束になっていた。


 どうするべきか、私は考える。


 彼女と会うのは、間違い無く危険だ。少なくとも、吸血を忌避する私にとっては。


 彼女の放つ芳香は私の理性を崩壊させ、本能を引きずり出す力を持っている。昨日のランチでは何とか持ち堪えたが、より長い時間を共にしてしまえばどうなるか分からない。ましてや、もっと親しくなって、気安い仲になってしまったとしたら––––––




(お願いします。)


 私の手を取ったまま言った彼女の、懇願するような表情を思い出す。整った顔を悲哀に僅かに歪ませて、透き通った茶色の瞳は潤んで零れ落ちそうだった。




 女性の色香に慣れている自覚も無いし、彼女が何か企んでいるのだとしたらそれを見破れる自信も無い。だが、私に助けてもらった礼がしたいと言った彼女の言葉に嘘があるとは、どうしても思えなかった。


 それとも、私はもう彼女の術中に嵌っているのだろうか。




 私がもし明日の約束に姿を見せなかったとしたら……彼女はどう思うだろう。




 彼女が落胆に沈む姿を想像するだけで、私の胸が酷く痛んだ。




 私は再度の溜め息を吐く。


 狼男の件で私を疑い(実際関わっているのだが)、クリスティーナとも何かしらの繋がりがあると思っている(こちらは彼らの思うような事実はないが)ダニーとゲイブの警官二人には、彼女と再度会う予定がある事は伝えていなかった。


 彼女が血族である可能性を考えれば、彼女の背景が明らかになるまではこれ以上踏み込んで欲しく無かったのが大きな理由だが……



 私の中には確かに、彼女を庇おうとした部分があったのだろう。



 私は既に、彼女の匂いに惑わされているのだろうか。




 冷静に冷静に、自分の欲求を客観視する。




 彼女に、もっと近づきたかった。


 あの香りに身を委ね、溺れてしまいたかった。


 腕の中に囲い、肌に触れて、その味を知りたかった。


 ありもしない牙を突き立てて、滴る血を––––––




 そこまで考えた所で、私はがばりと半身を起こした。腕の中にいたハニーが慌てて身じろぐ。何があったのかと驚いたように私を見上げて来た。


 早くなってしまった鼓動を落ち着けるように、私は深い呼吸を繰り返す。湧いて来た不快感を吹き飛ばすように頭を振った。


 私を心配したのか、ハニーが鼻先で私の顔を突き、ふんふんと匂いを嗅ぐ。私は彼女に縋るように、ハニーを腕の中に抱え込んだ。彼女が発する、高い周波数の鼻声が聞こえる。




 いっそのこと、血を飲んでしまえば––––––




 その考えに至った自分に、思わず自嘲を漏らす。


 ––––––私は、吸血欲求無しに彼女と向き合いたいと願っているのか。




 吸血鬼と血族では無く、唯の異性として。




 そんな想いに駆られる日がまた来るなど、五十も近い今では思ってもいなかった。


 若い頃は––––––それこそ吸血鬼としての特性に目覚めた頃は––––––、性への欲求と、それに並列する吸血への欲求と、それに対する嫌悪との狭間で地獄の様な苦しみを味わったと自負している。しかし今になってはそれも落ち着き、聖人とはこんな境地に居たのかと自分を皮肉っていたのだが……。


 まさか、またその葛藤に苦しめられる時が来るとは。




 血を十分に飲んで、吸血欲求さえ無くなれば……そうなれば私は、彼女との関係にもっと積極的になるだろうか。年甲斐も無く、随分年下の彼女に真剣な交際を申し込むだろうか。もっと経験があれば余裕を持って彼女をリード出来たのにと、後悔するだろうか。


 この先、彼女と深い関係を築き共に生きて行きたいと、素直に望んだだろうか。その先にあるかもしれない困難に、手を取り合って立ち向かうことを望んだだろうか。




 私はまた鼻で笑って、ソファーに背を預けた。ハニーは横になった私の胸に顎を乗せ、まだ不安気に瞼をハの字にして私を伺っている。


 望むだけ、無駄なことだ。



 吸血に対する嫌悪を、忘れるなど。



 近いうちに吸血欲求に負けて、望まずに血液を口にしてしまう日が来たとしても、それと私がトラウマを克服する事とは別の話だ。


 血を口にしてしまった私はきっと、幼い時に父親を見た時と同じくらい、自分自身に対する嫌悪に苦しむだろう。そしてまた長い時を、唯の人間のふりをして生きることを望むだろう。


 定期的に血液を口にする生活を受け入れない限り、半吸血鬼である私に異性との健全な交際は不可能だ。


 私には、土台無理な話なのである。




 もし明日、私が吸血欲求に負けて彼女を襲ってしまったら。


 彼女はそれをどう受け取るのだろうか。


 もし彼女の裏に誰かいたとして、それは彼らの望むところなのだろうか。




 それとも、何も知らないクリスティーナは、私を恐ろしいと感じるのだろうか。




 ぞくりと、彼女に拒絶される事に対するとてつもない恐怖と、彼女の畏怖の対象になるのだという愉悦とが混じった、奇妙な感覚が走った。


 ごくりと、知らず喉が鳴る。




 私は冷静さを取り戻そうと、また頭を振った。


 驚いたハニーが顔を上げて、私の顔に届くように胸の上をにじり寄ってくる。私の匂いから私の考えを読み取ろうとするかのように、ふんふんと私の顎付近の匂いを嗅ぎ続けた。


 私は彼女を安心させるために、微笑んで彼女を撫でた。


「大丈夫だよ、ハニー。」




 そうだ、何がどうなっても、ハニーとの関係は変わらない。


 彼女は私が血を口にしようがしまいが、変わらず私の側にいるだろう。


 私が自分を嫌悪しようがしまいが、彼女はきっと、変わらず私を慕ってくれるはず。


 クリスティーナとの関係がどうなろうと、この先一生いっしょう私が異性と深い関係を築けないとしても、私のであるハニーとの関係は、彼女の命が続く限りはそのままであろう。


 そして、まだ考えたくはない事だが、彼女が寿命を全うした後も、その思い出は私を癒し続けてくれるだろう。




 ほんの少し前までの不安と緊張が和らぎ、私は軽い気持ちで彼女に語りかけた。


「そうさ、私には君がいるものね。私がガールフレンドなんて連れて来たら、君は一体どうするだろうね?ハニー?」


 冗談交じりに言いながら、私は少し笑った。




 が、






 ハニーは、ピタリと動きを止めてしまった。






「……ハニー?」


 途端に、何か剣呑な雰囲気に包まれた気がして、私は焦った。



 ハニーは、ぱっちりと開いた紅茶色の目で私を見て、微動だにしない。


 尻尾の先まで、ピクリとも動かない。




 脇に冷たいものが湧いた気がする。私は自分でも可笑しいくらい狼狽えて、半身を起こし、それでも私の両足の上で動かない彼女の顔を両手で挟んで揺すった。


「ハニー?ええと、冗談だからね?分かっているよね?」




 ハニーは、まだ動かない。


 視線すら動かない。




 訳の分からない私の焦りは、益々募る。



「ハニー!冗談だ!じょ・う・だ・ん!!僕には君だけだ!神に誓って!」




 ……ぱたん。



 と、永遠にも思えた静寂の後に、彼女の尻尾が私の膝を打った。



 ぱたん、ぱたん、


 と、


 控えめに、間を置いて尾が動き続ける。




 計り知れないほどの安堵が私を襲い、私はぐったりと力の抜けて行く身体で覆いかぶさるように、彼女を包み込んだ。


「そうさ、僕が君以外に目移りする訳がないだろう?全く、バカだなぁ君は……」


 とかボソボソ言いながら。




 あああああ、危なかった……。なんかよく分からないけど、本当に良かった……。


 神とか信じてもいないものに思わず誓ってしまったけど、ほんっとうに良かった……。



 と、心の中で呟きながら、私は別の部分で、こうも思っていた。




 言葉の分からないはずの犬を相手に、自分はいったい、何をやっているのだろうか、と。


 ◇◇◇



 この時の私は、この場所で彼女と過ごすこの時間が、私達の人生の中で最後のものになるなどとは、これっぽっちも予測できていなかったのだった。

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