第十七話 会議する
「では、要点をまとめますと……」
コホン、と、私の横で立ったままの、いつも通りの黒ずくめのフェンが咳払いをする。私はその前でソファーに深く座り、膝の上に頭を乗せて横になったハニーを撫でていた。利き手の傷を覆っていた包帯は外してある。一日経って、傷口は既に塞がっているのだ。二人の警官が、ずいぶん長く感じた事情聴収の後に帰ってから、既に数時間が経過していた。
「まず、警官二人は昨日の現場で貴方らしき人を目撃し、証拠となりうる映像を探した、と。そして貴方の車が現場近くの交差点の監視カメラに写っていたことを確認した……」
私はハニーの柔らかい耳元の毛並みを優しく掻く手は止めずに、ソファーの肘置きに頬杖をついたまま答えた。
「ああ、そうだ。」
「それに加えて、一昨日の現場近くでも、監視カメラに貴方の車が写っていた事が分かったと。」
私は再度相槌を打った。
「その通りだ。」
「それらで確信を持ち、貴方の過去の記録を念のため洗ったところ、たまたま貴方の十ヶ月前の愛犬誘拐事件の容疑者が、行方不明を繰り返している女性と一致している事に気が付いた、と。」
私はうんざりした気分で相槌を続ける。
「ああ、そうだ。」
「おまけに、その女性と貴方が顔見知りであることが判明した、と。」
面倒になって、私はただ頷いた。
「つまるところ彼らは、貴方が昨日と一昨日の事件に深く関わっていると共に、その女性の行方にも関わっている上……十ヶ月前の事件も何かを隠す為のでっち上げだったのではないかと疑っている、と。」
私はため息をつきながら答えた。
「そういうことになるな。」
全く、とんだ濡れ衣である。昨日と一昨日の件は確かに私は関わっているわけだが、ハニーが行方不明になったあの事件が虚偽の通報だったなどと思われては堪らなかった。あの時の私は本当に、寿命の縮む思いをしたのである。
「そして、これは彼らは知らないが……」
フェンは言葉を続けた。話は終わっていなかったようだ。
「貴方は、実際その女性と関係を結びつつある、と。」
この言葉には、私はだんまりを決め込んだ。何と無く認めるのが癪であった。
それに何となく言い方が気に入らない。
何だその『関係を結びつつある』なんていう言い方は。どうしていかがわしい雰囲気を醸し出させようとするのだ。ランチを一緒に食べる程度のどこが悪い。誘われたのも向こうが礼をしたいと頼んで来たから仕方なく承諾したわけであって、決して私から色目を使ったわけでは断じて––––––
私が頭の中で言い訳をつらつら並べていた横で、今度はフェンが大きなため息をついた。片手に深く顔を埋めて。
「何をやってるんですか貴方は……。」
呟いたフェンに、私は顔を上げて心外だと顔面全体で強く主張しながらハニーを撫でていない方の掌を晒して見せる。
「何をやってるか、だと?こっちのセリフだぞ?そもそもどうして彼らは昨日の件を捜査している?記憶を消したんじゃないのか?」
「あんな人数をそれぞれ惑わすなんてそんな面倒な事、わざわざして回るわけがないでしょう?警察の上層部にはきちんとこちらの管轄である事は伝えてありますよ。」
こちらこそ心外だ、とでも言いたげにフェンは答えた。いつもの彼の態度にすっかり戻っており、昨晩の慇懃な彼は何処へやら、である。
私達の存在、つまり『人にあらざる者』達とその『管理者』、そして『使者』の存在は、人間達の間ではほんの一握りの者だけがそれを認識していた。警察、市政、国防などの機関の幹部達がそれに当たる。
人間と、それに酷似していながらそうで無い者達の間には、不可侵の約束が成されている。
そしてそれを常に監視するのが、私達の側では『管理者』の役目であった。『人にあらざる者』でありながら人に紛れて生きる事を決めた者達は、人の理に従い、人の生活を乱さずに生きる事を求められる。万一それを破る者達が居れば、それらを粛正するのが私達『使者』の仕事なのだ。今回の狼男の件のように。
要するにフェンは、今回の二晩に渡る―――恐らくこの先も続くであろう―――騒ぎは、こちら側の仕事になることを方々、それを知るべき人間に伝達済みである、と言っているのだ。
「だったらどうして彼らは動いている?彼らが上の命令を無視して勝手に動いているとでも?」
「その可能性が高いでしょうね……。」
私は膝を肘置きについたままの手に顔を埋めて、そのまま頭を撫でた。てっきりフェンに伝えさえすれば解決する問題だと思っていたので落胆は大きい。
「そもそも警察も、少なくとも最上層部は貴方の存在を知らされているはずですから。貴方からの通報であれば警察の定型通りに対応するでしょうが、貴方に対する捜査は、おいそれとゴーサインを出さない筈ですよ?」
人の理に乗っ取って生きている私がわざわざ通達したのであれば、それは人が治めるべき問題である。そうあちらも判断するのだろう。だとすればあの二人の警官の聴取は、上の命令を省みない、手柄目当ての三下の独断捜査という事か……。私の中で、ハニーの行方不明事件を担当してくれた二人への、警官としてのなけなしの(ハニーを盗難『物』扱いされた時点で警察そのものへの信頼など無いに等しかったが)信頼度がガラガラと崩れ去っていく音がした。
何も言えなくなった私に、再度の大きなため息をついてからフェンは加える。
「あのねぇ坊ちゃん……私が責めてるのは、彼らに捜査されてしまっていることじゃありませんよ?昨晩のことに関しては私にも責任があるわけですし……私が言ってるのは、素性のわからない、しかも貴方の犬を盗んだかも知れない相手と何よろしくやってるんですか、ってところです!」
私は、言葉に詰まったままになってしまった。
そう。十か月前の事件で、私のキッチンの食器から採取されたDNAは、私が病院で再会した女性、クリスティーナ・ディーオルのものと一致した、と警官は断言した。
それは、十か月前にこの場所に侵入した人物が、まぎれもない彼女であることを意味している。
私は、まだその事実を呑み込めないでいた。
―――彼女がここに侵入した?盛大に食事をして、ハニーを連れ去った?いったい何の目的で?
私には、皆目見当がつかなかった。
―――じゃああの電話も彼女だったということか?ハニーを返したのも、意図的に?しかも行方不明を繰り返しているだと?
―――彼女は、何の目的で私に近づいた?彼女は、一体何者なんだ?
「まったく、こういうところは抜けてるんですから……」
私が物思いにふけっている横で、再度フェンが口を開いた。
「そもそも貴方は女性慣れしてないんですよ。だからちょっと見目の良い異性に言い寄られてすーぐくらっとしちゃうんですっ。人間相手にでも適当に遊べば良いのに、全く真面目なんですから……」
「なっ……出来るわけがないだろう!万が一にでも噛んでしまったら、どうなると思ってる!!」
グチグチと私を罵るフェンに、私は思わず声を荒げて食い付いたのだった。
吸血鬼の性的欲求と吸血欲求は、必ずしも繋がるわけではない。だが常に隣り合わせにあるような、揃って原始的なものであった。
私が聞いたところによれば、吸血鬼において、片方の行為の相手が、その間にもう片方の行為に及んでも問題の無い相手であれば、それに及ぶことは一般的な事象であるらしい。
「らしい」と言っているのは、私自身がそれを体験したことがないからだ。
吸血行為を忌み嫌った私は、吸血鬼としての特性に目覚めた後は、異性との交流も一切絶っているのである。
理性を失った自分が、相手に噛み付いてしまう事を恐れたのだ。
血族では無い、ただの人間相手にそれが起こってしまえば一大事である。相手は生死の境をさまよう事になり、一命を取り留めたとしても、後遺症が残りかねない。そんなリスクは負うわけには行かなかった。
もっとも、どちらであっても経験豊富で行為自体に慣れた吸血鬼であれば、そんな心配をする必要も無いのかもしれないが。
私の言葉に、フェンは口を開いて明らかに何かを言い返そうとしていたが、思い留まったようだ。口を閉じてこめかみに指を当てて首を振っている。その様子を見て、私の苛立ちは更に募った。
彼が言おうとした事は予想がつく。
––––––だから常から血を飲んでおけと––––––
血を定期的に飲み、吸血欲求が満たされていれば、うっかり相手を噛んでしまう可能性は低くなる。
しかし血液自体を拒絶している私には、堂々巡りな話題であった。
「見目がいい、あたりは否定しないんですね……あ、いや、失言でした。」
睨みつける私の視線に気が付いたのか、フェンは再度咳払いをして見せた。そして懐を探る。取り出したのは、見覚えのある封筒だった。上質な白い紙に、赤い蝋の封印。
「珍しいな。もう次の指令か?」
1ヶ月に一件程しか、私には『使者』としての依頼は来ない。その内『管理者』から私に対する直接の依頼であれば、一年のうちで数える程しか無いのである。この短期間で、しかも先の件が解決しないうちに再びこの封筒を見るのは初めてかもしれなかった。
「いえ、同じ件です。」
この言葉に、私は引っ切り無しにハニーを撫でていた手を止めた。私が声を荒げても動かなかったハニーが、何事かと顔を上げる。
同じ依頼に関する、追加の指令なのだとすれば……
重い気持ちでフェンが差し出した封筒を手に取り、開封する。半身を起こしたハニーが、盛りに私の手元の匂いを嗅いで、いつもの可愛らしいくしゃみをして見せた。
その頭を撫でながら、私は便箋に書かれた内容を確認する。万年筆で書かれたであろうその筆跡の最後に、本文を書いた人物の筆跡とは違う署名が、常の通りにしたためられていた。
その署名は、この十年以上、一方的な文でしかやり取りをしていない、たった一人の肉親であるはずの存在によるものある。
そして短い本文の末尾には、私が今まで数回しか見たことの無い、「dead or alive」の文字列があった。
依頼における標的の捕縛条件が、「生け捕り」から「生死問わず」へと変更されたのだ。
今回の私達の失態を知り、生きたままの捕縛は不可能だと判断したのだろう。
「今回は少し相手を甘く見過ぎましたね。」
帽子を直しながら、フェンが言った。私は便箋を畳み直して封筒に収め直し、それをローテーブルの上に放りながらため息をついた。
「奴は必死だ。」
「そりゃあ、『使者』に捕まりそうになれば、必死になる気持ちは分かりますよ。」
「そうじゃない。」
私の言葉に、フェンは口を噤む。その先の言葉を待っているようだ。
「奴の目は完全に堕ちていた。私達と対峙した時に、私達が誰か認識する理性は残っていなかった筈だ。だが……彼はどこか……何か、目的を持っていたような……」
「目的?」
私は彼と二度目に組み合った際に感じた違和感を思い出した。
食人欲求に侵された狂気と、私への怒りと殺意と……
決して諦めることの無い、あの決意のような堅い意思は……
「何かを、守っているような……」
「守る?」
そうだ、あの必死さは、後ろに何か大切なものを、弱い者を庇っている時のそれだ。
私が思い出したのは、幾度かの後味の悪かった過去の捕物の記憶だった。狼男から受けた感覚は、子供や親を背後に守ろうとする者から受けるそれに酷似していた。
私は、標的が捕縛の対象となるまでの事情は聞いていない。いつからだったら、教えないでくれと私が頼んだのだ。
『狩り』における討伐対象となる個体には、やむを得ない理由でその状況に陥った者達も多く、その対応に気が重くなる珍しくなかった。こちらの仕事に全力を注ぐことの出来ない私は、出来ればこの仕事から来る精神的な負担を最小限に抑えたかったのだ。だから今回の狼男の状況も、私は知らないままだ。
何か心当たりがあるのか、フェンはほんの少し黙った後に話題を切り上げた。
「今夜の内に、例の物を用意しておいてください。明日からは、肌身離さず身につけておいてくださいね。」
踵を返し、黒い霧に姿を変えようとしたフェンを私は呼び止めた。
「一つ確認しておきたいんだが。」
「はい。」
こちらに向き直ったフェンに、私は昨日からずっと気に掛かっていた事を聞く。それは多分に聞きづらい事で、私は片手に額を埋めて決死の覚悟であった。
「例の女性、お前らが手を回した者じゃ無いんだな?」
「は?」
私の質問に、フェンは希に聞くような間抜けな声を出す。
「どういう事です?」
「……匂いがしたんだ。」
「匂い?」
フェンは、まだ理解していないようだった。出来れば少ない言葉数で察して欲しかった私は、益々深く頭を沈ませた。やけになった口調で続ける。
「例の女性だ!お前らが差し金の、『血族』の者じゃ無いかって聞いてるんだ!」
「なっ……」
私の言葉にフェンは息を飲み、言葉を失ったのだった。
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