第2話 冒険の始まり①
「で、目が覚めたらここにいた、とそういう訳か 」
修行僧は言った。修行僧、というのは翼が心の中でつけたあだ名である。髭が伸び、髪はぼうぼうで、服は何日も着替えていないようだ。おまけに暗くて湿っぽくて狭い部屋に一人でいる。囁くような小声で話すのも、それらしく見える原因だろう。
「それでシイ神さまの言い分は? 」
「シイ神さま? 誰ですか? 」
そう尋ねた途端に、修行僧の肩に乗っていた小さな人形が
「家を壊しておいて誰だとはなんなのだ‼︎我は山の神の一柱ぞ‼︎この無礼者‼︎」
「しっ!声を抑えて。貴方様の言い分をお聞かせください」
修行僧が宥めてくれた。人形、いや人の手の平にすっぽり収まるほど小さな人間は、甲高い声で顔を真っ赤にして喋っている。萌黄色のゆったりした服を着ていて、髪を二つ結びにしている。男か女かはわからない。本当に神ならば性別を超えた存在というのが正解だろう。丸顔で童子のようだが、言葉遣いは尊大だ。
「ふん!我はこれなる報セ山藤の願いを聞き届け、助けてやろうと転移術を使っていたらこの糞餓鬼に家を壊され、しかも勝手についてこられて迷惑しているのだ!」
「く、糞餓鬼ぃ⁈」
いきなりなんなんだこのチビは。翼が軽く怒りを覚えたところ、また修行僧もとい報セ山藤が宥めてくれた。
「まあまあ。さっきは関係ない人を巻き込んだって慌ててたじゃないですか」
「そ、それは神としての自尊心に関わるからなのだ。それに山藤に迷惑かけたら悪い」
打って変わってしおらしい。が、翼を睨むと
「だからけしてお前のためなんかじゃないのだ!」
と喚いた。
「落ち着いて。大声出さないでください」
「そうですよシイさん。さっきからうるさいですよ」
報セに翼が便乗すると、
「シイ神さまで一区切りなのだ!変な区切り方するな!」
と叱ったものの、流石に騒ぎすぎたと思い直したのか、小さな声で話し出した。
「つまり我がこの地に来たとき、その呪いを邪魔したお前の魂を道連れにしてしまったのだ。お前は今生きながらにして肉体を離れ、魂と人格に我が霊的な肉付けをした存在、つまり生き霊なのだ」
しばしの沈黙。
「困るんですけど」
「だから我もわざと巻き込んだわけではないのだ」
またもしばしの沈黙。
「俺、いや自分は生き霊なんですか? 」
黙っていた報セが口を挟んだ。
「君を見れば、人間じゃないことはわかるよ」
「何でですか? 」
「何でって……、自分の体を見てごらん」
言われた通り、翼は自分の手を見てみた。半透明になっている。手だけではない。翼の着物越しに壁が見える。
「透けてる……」
「全身そうだよ。あと君、地面から浮いてるし」
確かに、足が地面についている感覚がない。他の感覚もどことなく薄い気がする。見えているし、聞こえているし、この部屋の
翼は壁に手をついた。触ることはできる。そのままぐいっと押すと、ずぶりと手が沈み込んだ。
「すっげぇ…… 」
翼は静かに感動した。全ての人間が詰め込まれている肉体という容器から、翼だけは解放されている。翼はただこの非日常に、浸っていた。
「君は家に帰らなくていいのかい?」
遠慮がちに修行僧に声をかけられて、翼は我に返った。感動している場合ではない。
「帰りたいです! 夏休みが終わるまでには。まだ学校の宿題終わってないんですよ」
氷上帝国の学校は四、四、四、四のほぼ単線型の学校制度を採用している。つまり七歳になる年から四年間は小学校、十一歳になる年から中学校、十五歳になる年からは士官学校も含む高等学校、十九歳になる年から学士となるため大学で勉強する。年度初めは一月である。
中学校に入るには、家が豊かでなければならず、高等学校に上がるのも極一部。大学に上がるのは、家柄も頭も良い雲上人だけだった。翼は一月生まれで今十三歳、中学三年生である。来年は受験生だ。士官学校を受ける予定でいる。
「何が宿題だ。そんな簡単に帰れるわけないのだ」
シイ神さまは不貞腐れている。
「そう意地悪言わずに帰してあげてくださいよ。故意に邪魔したわけじゃないんですから」
「しかし……こいつを帰すとなると我も一緒に帰らねばならぬ。そこからまた戻ってくるのはかなり骨が折れる」
「あの」
翼は口を挟んだ。
「シイ神さまは報セさんの願い事を叶えるためにこの場所に来たんですよね。報セさんの願い事を叶えて帰るときに、自分も連れて帰ってくださいよ。もちろん手伝いますよ!」
信じられない、という目で見られた。報セが先に口をきいた。
「君、僕がどこに閉じ込められているか知らないだろ」
「閉じ込められてる! なるほど、修行ではなかったんですね 」
修行、という翼の言葉に、修行僧報セはかすかな笑みを浮かべた。
「そうなんだよ。残念ながら」
「悪いことして捕まったんですか? 」
「違うよ。刑務所だったら、もっとましな待遇だったろうな 」
確かに、刑務所にしてはここは汚すぎる。先程、翼が触った壁は土でできていた。ということは、ここは土牢なのか。土牢は地面に囚人が出られない高さに穴を掘り、上に格子をつけた牢屋である。帝国ではかなり昔に法律で禁止されている代物だ。上を見上げてみると、人一人の身長より高いところに格子があった。
「それじゃあ、何故こんなところにいるのですか」
返事はなかった。答えるのをためらっているようだ。
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