僕とそいつ

@iroha829

1話完結

気が付いたら草の上に寝ころんでいた。

立ち上がってあたりを見渡してみたら、ここが学校の裏の芝生だとわかった。




なんでこんなところにいるんだろう。




僕は急いで教室に戻ろうとして立ち上がった。




「……?」




今、柵に突っ込んだと思ったんだけど。全然痛くない。気のせいか。




学校の表にまわったら人だかりがあった。


「何があったの?」


聞いても誰も答えてくれやしない。


いつものことだ、と思った瞬間、僕は僕に驚いた。




何で話しかけてんだ?!




人に話しかけたのなんていつぶりだろう。




まぁいい。




僕は人だかりの隙間を見つけて内側に入り込んだ。よくわからないけど、人なんか誰もいないみたいに、さっさと内側に入り込めた。




そこには僕がいた。










帰ってきてドアを開けると、奥の方から小さい子たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。僕は靴を脱いで靴棚に入れると、急いで自分の部屋へ上がった。




体操着をベッドに放り投げると、勉強机の椅子を引いて机の上のパンダに目をやった。まだ両親が優しかったころ、動物園に行ったときに買ったものだ。その時からパンダが大好きで、勉強する前にいつも見てしまう。




かばんから、転校してきたばかりの学校の教科書を床にぶちまけた。その中から数学の教科書だけを拾う。他の教科なんて嫌いだ。義務教育なんて、なんでそんなにくだらない決まりがあるのか理解できない。




やりたいやつがやればいいだろ。




早くも手になじんできた教科書を大切にめくっていく。


次の瞬間、僕は目を疑った。




まだ転校してきて一週間もたたないのになんで……。




やり場のない戸惑いにとらわれた僕の目の前には、赤や黒の乱雑な文字が教科書のページいっぱいに書き殴られていた。








目を開けるとパンダがいた。


勢いよく起き上がったら、嫌というほど思いっきり天井に頭をぶつけた。




ってえなぁ。だいたいここは天井が低すぎるんだよ。しかもパンダなんているわけない。




僕は白と黒の天井を睨みつけて、二段ベッドから飛び降りた。机の上には昨日の教科書が開いたままだった。




昨日、あれからどうしたのか記憶がない。いつものことなのに、一体今さら何にショックを受けたというんだろう。


 


何気なく時計を見たら、七時五十分だった。僕は仕方なしに、ぶちまけた教科書をかばんに放り込んで制服を着ると、急いで下に降りた。




「おはよう! 遅かったのね。早くご飯食べちゃって!」




言われるままに食卓に着いた。名前も知らない施設のおばさんは、それだけ言うと小さい女の子に引っ張られて、部屋を出ていった。




周りには十人くらい、黙ってパンを食っている奴らがいた。もの珍しそうに、話しかけたそうな顔で見てくる奴もいたが、こっちはかかわりたくない。




「お兄ちゃん! お兄ちゃんでしょ? 新しくお山の上の施設から引っ越してきたの」




十歳くらいの男の子が話しかけてきた。まったくただでさえ最悪なのに。話しかけてくるなよ。




「お兄ちゃんは、どうしてこんなところにいるの?」




はぁ? まじでなんなんだよ、こいつ。




「まぁいいけど。お兄ちゃんもきっと喋りたくないんでしょ? あのね、ボクはね、パパとママが交通事故で死んじゃったの。でも、誰もボクと一緒に住める人がいなくて、ここに入れられちゃったの」




「……」




「あっ、やばい! 学校遅れちゃうよ。ボク歩くの遅いから先行くね」




これが僕とそいつとの出会いだった。










そいつはそれから毎日、隙あらば僕に話しかけてきた。今日学校で習った漢字の話、鉄棒が初めてできた話、友達の家に行った話、公園であったおばあちゃんがチョコをくれた話、好きなこの話……。僕はいつも黙って聞き流した。




うるせえなぁ、と思いながらふと浮かんできたことがあった。




喋るのってどうやるんだっけな。




喋り方なんていい加減忘れた。


学校に行っても、担任もクラスメイトもみんな僕を空気扱いする。前の学校でもそうだったし、今の学校に来てもやっぱりそうなった。前の学校ではあった、髪を切られたり、物を壊されたり、隠されたり、捨てられたり、殴られたりけられたり、罵倒されたりは、今はとりあえずない。教科書にらくがきされたくらいだ。まだ。空気でいられるって楽だ。人との関わりなんて、今さら欲しいとも思わなかった。結局はみんな、最初ばっかりはいい顔してて、あとは僕を虐げる対象にしか見なくなる。どう考えたってそうとしか思えなかった。




うるさいなぁ。




再びその言葉が頭を過った。睨みつけてやろうとそいつを振り返ったら、こっちをじっと見ている視線とぶつかった。そいつは僕が今までに見たこともないような、キラキラした笑顔で僕に笑いかけた。










朝のけだるさを引きずったまま、やっとバスに乗り込んだ。今日は施設で、何とかピクニックとかいう、聞いただけで面倒くさい行事があるからだ。別に僕は、誰かと話す気なんてさらさらないし、関わったところで、こちらが害を被るだけの同じ屋根の下の住人達になるべく近づきたくなかった。




目的地に着いた途端、数学の本とサンドイッチの包みをつかんでさっさとバスから降りて、人目につかなさそうな木陰に座り込んだ。






「やっほー! 隣座ってもいいでしょ? お兄ちゃん」




やっぱり来たか。




ちらっと顔を上げて声のした方を見ると、そいつがまたキラキラした笑顔で走ってきた。




「……なんだよ?」




そいつは驚いた顔をして僕を覗き込んだ。そしてにっこり笑った。




「お兄ちゃん初めて喋ったね!」




言われて気が付いた。一体何時ぶりだろう。僕は本を閉じた。僕は僕の今まで生きてきた時間の話を聞かせた。誰かに話すのは初めてだったし、こんな小さいそいつに話して何がわかる、と思ったが、それでも僕は話していた。




小さい頃優しかった両親がある日突然、僕を無視するようになって、どんどんエスカレートしていったこと。そしてそれを〝虐待〟と呼ぶと知った日。両親が逮捕されて施設に保護されたが、そこでも散々な目にあって何度も施設を移ったこと。学校に行くようになったが、そこでもいじめにあい結局一人だったこと。




そいつは僕の傍らで黙って聞いていた。僕が話すのをやめると、またこっちをじっと見ていった。




「ボクがお兄ちゃんのパパとママになってあげる。友達にも先生にもなんだってなってあげる。だからそんなに怖い顔してないでもっと笑ってよ」




それからそいつは僕をぎゅっと抱きしめた。何年ぶりかの人のぬくもりに、ほっと肩の力が抜けていくのを感じた。




そいつの小さな肩越しに、前にいた山の上の施設が見えた。ふと、涙がこみあげてきた。




 誰が泣くかよ。




山の上の施設が視界に入ってしまうのを、押し出そうと空を見た。今日の空はいつもより広くて青く澄んでいる気がした。










それから僕は、毎日そいつと一緒に過ごした。前はそいつが僕について来てうざいだけだったが、今はむしろ僕が一緒にいたかった。ご飯も一緒に食べたり、一緒に出かけたりもした。僕が2人用なのに、締め出して誰もいれなかった僕の部屋は、そいつが入った。




たまに将来の話や、施設を出なければならない時の話もした。施設は18になったら、必ず外に出ないといけない。




「お兄ちゃんは、18になったら何をするの?」




「僕は……心理カウンセラーかな。僕みたいに苦しんでる子を助けてあげたい。お前は?」




「んーまだわかんないよ。出ていくの怖くないの?」




「怖いよ。でもどうしようもない」




「ボクも怖いよ。でも今はお兄ちゃんがいるから何でもできる気がするんだ」




そいつはまだ9歳だった。一生懸命強がっているけど、まだまだチビだ。




僕は初めて、誰かに必要とされることの嬉しさがわかった。なんだかくすぐったいような不思議な気持ちだった。




ただ僕は、そいつ以外には誰1人として心を開かなかった。








学校の帰り、いつものように一人で歩いていた。




「お兄ちゃん!」




 顔を上げると道路の向こう側で、そいつがキラキラした笑顔を爆発させて思い切り手を振っていた。




「ちょっと待ってて! ボク今そっち行く!」




 止める暇もなかった。ブレーキの音が辺りいっぱいに響き渡り、小さな体が宙を跳んだ。僕は凍り付いたようにその場から動けなかった。




 やっと我に返った時、救急車や警察は誰かが呼んでくれたらしかった。僕はふらふらと血まみれのそいつのそばに行き跪いた。抱き起して瞳を覗き込んだが、もうその瞳はどこをも見ていなかった。何度揺さぶっても、あのキラキラした笑顔で笑い出すことは二度となかった。




 僕は冷たくなっていくそいつの体を抱きしめた。そうでもしていれば、また目を開けるんじゃないかと思えて仕方がなかった。




 朝も昼も夜も僕の隣は空っぽになった。いつも隣にいて笑ったり、話しかけてきたり、しょっちゅう顔を覗き込んでくる"そいつ"はもういない。




「ちょっと待ってて! ボク今そっち行く!」


最後の言葉とブレーキの音がいつまでも耳から離れなかった。




 僕はまた一人になった。見えない、僕の運命を操る何かは、僕が普通に生きることを許してくれなかった。いつも手が届きそうになった途端奪われる。とっくになれたと思っていたのに、気づけば今日も黒いリボンがかかった"そいつ"を見ていた。




なんでお前なんだ、なんで僕じゃなかったんだ。




僕の心にぽっかり空いた寂しさは、埋まることを知らないらしかった。あのキラキラした笑顔を思い出しては、やりきれない思いが募った。




 僕は駆け出していた。一人になりたかった。拭っても拭っても涙は止まらなかった。それは初めて人のために流した涙だった。








なにげなく開いた本の一ページだった。




「心に傷を負った人は、その傷を克服しなければ、自分が受けたのと同じように人を傷つけてしまう」




 目の前が真っ白になった。克服ってなんなんだよ。事実を受け入れろってことか? だったら僕は全部受け入れてる。今さらいじめなんて、虐待なんて、気にしちゃいない。




 気にしない? 気にしないのと克服は同じなんだろうか。




「じゃあ僕は"僕"と同じ犠牲者を作るために生きているとでもいうのか?」




誰も答えてくれるような人はいない。




「なあ、お前はどう思う?」






買ってきた花を供えて手を合わせる。写真の中の"そいつ"は、黙って見つめ返してくるだけで何も言わない。




僕は一瞬、骨壺に手を置いて、意を決して立ち上がった。








珍しく朝早くに目が覚めた。昨日片付けまくって整然とした部屋を見渡す。いつものように制服を着て、鞄をもって階下へ降りた。




降りた途端、施設のおばさんに鉢合わせした。




「おはよう! 今日はえらい早いね!」




「……おはようございます」




次の瞬間、おばさんが驚いた顔で振り返って、まじまじと僕の顔を覗き込んだ。そして笑顔でもう一度言った。




「おはよう!」






僕はいつも通り食卓について、いつも通りご飯を食べた。出かける前に"そいつ"の遺影の前で手を合わせた。




「ありがとうな、本当に」




お前のおかげで、生きてることが楽しいと思える瞬間が何度もあった。お前に会うまでは、そんなことがあるなんて思ってもみなかった。誰かを大切に思う気持ちを持つ日が来るなんて、思ってもみなかった。お前がいたから、普通に生きる幸せを少しでも知ることが出来たんだ。そう思ったたけで、苦しくて仕方がなかった。






いつも通りだ。騒音と共に流れていく車、無関心に支配された人の波。無機質に同じ点滅を繰り返す信号、自分のことしか考えずに、他人を押しのけて電車に自分を詰め込もうとする会社員、気のないベル……。何も変わらない、いつもの時間と風景が流れていく。




 学校へついても、やっぱり変わらなかった。やっぱり一人のままだ。誰もおはよう、なんて言わない。




 確かに。空気に話しかけるなんて、変人すぎるよな。




 ずっと受け入れたくなくて見ていなかった机の中は、死ね、バカ、消えろ、うざいとかありきたりな言葉が書かれた紙や物があふれていた。それらを見ても何も感じられないほど僕は今、無感情だった。










「お兄ちゃん!」 




いるはずがないのに、声が聞こえた気がした。頬をそっと撫でていく風が心地よかった。僕の生きてきた短くて、とてつもなく長い時間が、走馬灯のように脳裏を過っていく。




 思い残したことはない。僕の背中をそっと押すように風が吹き抜けた。空はあの日のように限りなく広くて青く,澄んでいた。




 あの日"そいつ"の、小さな肩越しに見えたあの施設も、両親も、クラスメイトも、担任も、"そいつ"を、跳ね飛ばして行った運転手さえも、今なら許せる気がした。




 不意にそいつのキラキラした笑顔が浮かんできた。




 ちょっと待ってろ。












下の方で叫び声が聞こえる。次の瞬間、世界は何もない空白と化した。




















END




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