最終話 『私は……君が好きだよ』

 家から歩いて約10分。

 大きな歩道橋の下で道中で買った飲み物を片手に彼を待つ。

 それが私、月島つかさの平日の日課。

 あくびを噛み殺しながら待つこと数分。

 どこか眠たげな顔の彼が歩道橋を下りてくる。深夜までゲームでもしていたのかもしれない。

 正直なことを言えば、私も似たようなことをしていただけに眠たい。

 ここで落ち合うために彼よりも早起きしているだけに本当に眠たい。

 でもここから学校までのおよそ10分間は、私にとってかけがえのない時間。だからこそ、気持ちを入れ直し笑顔で話しかける。


『おっはー』


 うわ、露骨に嫌そうな顔をされた。

 朝から元気だなこいつ。俺は静かに登校したいんですけど。

 みたいに思ってるのかな。

 まあその気持ちは分からなくもないけど。

 でも気にしてあげない。だって気にしていたら彼の隣に居られる時間が減っちゃうから。


『おい、眠そうなのは見て分かる。けど友達が挨拶してるんだから返事くらいするべきじゃないかな』

『俺はお前ほど朝から元気じゃない。それに友達と言うなら俺が眠そうなの分かってるんなら黙って見送ってくれ』

『いやいや、そしたら寝ぼけた君が事故に遭うかもしれないじゃん。私はこうして話しかけることで君の意識の覚醒をお手伝いしているの』


 というか、君に話しかけないんなら早く家を出たのが無駄になるし。


『あぁそうですか。ならもう十分に覚醒したんで黙っててください』

『ひどっ。それが友達に対する発言ですか? そういうこと言われると君が本当に私の友達なのか疑いたくなるよ』

『友達かどうかを疑う前に自分の行動を疑え。毎度のようにこんなやりとりしてるんだからどんな返しが来るか何となく分かるだろ。もしかしてお前、ひどいこと言われたくてわざとやってる?』


 唐突にドMの変態かって疑われたんですけど!

 この人、マジで失礼だよね。私は会話を楽しむために話しかけているのに。出来ればひどいことなんて言われたくないよ。

 どちらかと言えば、からかったりして楽しみたい方だし……でも


『君は本当に失礼だな。私にそんなこと言うのフタバを除いたら君くらいなんだけど』


 包み隠すことなく素直に言葉を紡いでくれる。

 変に下手に出ることもなく、上から不遜な物言いをすることもない。対等な目線から話しかけてくれる。

 だからこそ……彼の口からは私に対して棘のある言葉が、遠慮のない言葉が飛んでくるんだ。


 それが……私はとても心地が良い。


 特別扱いされるのが嫌なわけじゃない。

 でもいつも誰からでも特別扱いされるというのは……高嶺の花だとか別次元の存在のように思われるのは正直疲れる。

 そんな扱いを受けるようになったのは小学校の高学年くらいから。

 中学に入るとそれがより顕著になった。

 だからこそ何人もの男子に告白されはしたけど、一度として承諾したことはない。

 でも今は違う。

 今もそれなりに告白はされる。

 でも前みたいな気持ちで告白を断っているわけじゃない。



 私は、彼が……トウヤくんが好き。



 私はトウヤくんと付き合いたい。彼の恋人になりたい。

 だから誰とも付き合わない。誰の告白も受けない。

 いつからこんなにも彼のことが好きのなったのかは覚えていない。

 でもきっかけだけは覚えている。

 さっきも言ったけど、彼は私に遠慮のない言葉をくれる。対等な目線から話しかけてくれる。

 だから初めて受験勉強を見てもらった時……


『……月島、お前どんだけバカなんだ』


 こう言われた時、私は衝撃を受けた。

 親同士が進めた話で、学校でもろくに話したことのない女子の家に来る。思春期真っ只中な時期に女子とふたりっきりの空間に居座る。

 普通なら緊張して話すことすら難しい。

 トウヤくんも最初は緊張はしていた。その緊張が薄れるほど私の学力が絶望的だったのも間違いはない。

 でも……私の知る男子は初対面にも等しい状況で、学校で話すよりも自然体ではいられない状況でバカなんて言わない。

 受験勉強のために顔を合わせる度、彼の言葉から優しさと遠慮がなくなり、今のようになっていった。

 失礼な人、なんて思った日もある。

 出来る人には出来ない人の気持ちが分からないんだ、ってごねた日もある。

 でも気が付けば、私はそんな日々を楽しく思い始めていた。

 だって彼は……トウヤくんは私に対等に話しかけてくれるから。

 私を別次元の存在とかではなく、ただの月島つかさという女の子として扱ってくれるから。

 だからねトウヤくん、私は君の隣に居たいの。君の彼女になりたいんだよ。

 ……ふふ、こうして振り返ってみると意外と私はMッ気があるのかも。バカだって言われて良いなって思っちゃったわけだから。


『どんな理由で夜更かししたのかは知らないけど、寝不足に関しては自業自得なんでしょ? 私に八つ当たりするような発言して欲しくないな』

『はいはい、それは悪ぅございました』

『うわぁ、誠意に掛ける謝罪……』

『その手の謝罪要求は、俺の寝不足の原因を作ったにでもしてくれ』

『いやいや、まずは君がきちんと謝罪を……』


 あれ?

 今トウヤくん、おかしなこと言ってなかった?


『ねぇトウヤくん……今なんて』

『は? その手の謝罪要求は』

『いやそこじゃなくて……わ、私の聞き間違いかな? 今トウヤくんがシノンさんのこと西森じゃなくてシノンって言った気がするんだけど』


 もしかしてシノンさんと何かあった?

 シノンさんに名前で呼んでってせがまれたとか?

 いやでもそれは前からあった気もするし。ならゲームにでも負けて下の名前で呼ぶようになったとか?

 ……シノンさんの強引さを考えればありえない話じゃない。

 そう、きっとそうだよ。私が思っていることが起こったはずは……


『あぁ、前はそうだったな。でも今更そこにツッコむか?』

『いやいや、ツッコミたくもなるでしょ。だってあんな頑なに苗字でしか呼んでなかったんだよ』

『それはそうだが……さすがに付き合い始めたら呼び方も変わるだろ』


 へ?


『つ、付き合う? そ、それって……シノンさんはトウヤくんの彼女ってこと?』


 嘘。

 嘘だ。

 そんな話を私は聞いてない。聞かされてない。

 トウヤくん、首を縦に振ろうとしないで。肯定の言葉を言おうとしないで。

 お願いだから嘘だと言ってッ‼


「――っ」


 …………。

 ………………ゆ……め?


「…………もう」


 何であんな夢を見ちゃうかな。

 うわ、冷や汗まで掻いてる。シーツもいつも以上にグシャグシャ。下手したらフタバに小言言われそう……

 時間は……設定したアラームの20分前。

 フタバが起こしに来る時間で考えると30分はある。

 自主的にこんな早起きするの高校生活で初めてでは?


「……寝直したくはないな」


 普通なら「よし、まだ寝れる!」って寝直すところだけど。

 でもまたあんな悪夢見ちゃったら学校に行く気力すら湧かなくなるし。


「というか……」


 何でこのタイミングであんな夢を見る?

 いやまあ多分、何となくだけど原因は分かる。

 フタバがトウヤくんとシノンさんがお似合いだとか言ったから。

 分かる、分かるよ。あのふたりの相性が良さそうなのは分かる。

 シノンさんは気さくに何でも話しちゃうタイプだし、トウヤくんはああ見えてなんだかんだ付き合い良いから。

 てか、そんなこと考えるまでもないよね。

 だって私、あのふたりが学校で散々イチャコラしてるの見てるし。登校してから下校するまで、最近だと下校してからもふたりのイチャコラ見てるし。


「……トウヤくんのアホ、バカ、朴念仁」


 君は周囲の目を気にしてるみたいだけど、ここに君のことを想ってる女の子が居るんだぞ。私だって休み時間の度に君と話したいんだぞ。

 それなのにシノンさんとばっか話して……

 そのせいでシノンさんはトウヤくんの彼女では? なんて話も出てきてるし。

 いやまあ出るよ出ますよ出ないとおかしいですよ。

 だってシノンさん、休み時間の度にうちのクラスに来てるもん。

 お昼休みもトウヤんと一緒にご飯食べてるもん。

 放課後は一緒に部室に行ったりしてるもん。

 はたから見たらそりゃあ付き合ってるって思いますって。

 周囲よりふたりのこと知ってる私でさえ、時折本当は付き合ってるんじゃ……? って勘繰りたくなるし。


「……私だけを見ろよ……バカトウヤ」


 ……なんて。

 こんな風に言えるのは、こういうときだけ。

 トウヤくんを目の前にしたら絶対に言えない。

 言えても本心だけの言葉じゃない。からかうように、茶化すように装飾しないと言うことができない。

 トウヤくんに好きだって言いたい。

 この気持ちを伝えたい。

 でも……トウヤくんがこの気持ちに応じてくれなかったら?

 それがきっかけで今の関係が崩れてしまったら?

 そう思うと怖くて言えなくなってしまう。


「…………はぁぁ」


 自分のヘタレ具合には溜め息しか出ない。

 肝心なことを口に出せない自分が情けなくて仕方がない。

 だからこそ、何でも言えてしまうシノンさんが羨ましいと思う。あんな風に誰の目も気にせず、自分の思ったことを言えたら、と思ってしまう。

 でもそれが出来ないからこそ、シノンさんのことを妬ましく思う。目障りな存在と思ってしまうことがある。

 トウヤくんの隣は私の居場所だったのに。

 けど今は私よりもシノンさんが居る。シノンさんが居る時間の方が多い。


「いっそ……」


 シノンさんが男は自分に貢ぐための道具だとか思う悪女だったらなぁ。

 そうすれば一方的に負の感情を抱けるのに。トウヤくんに近づくなって言えるのに。

 だけど……現実は悪い子じゃないんだよな。

 周囲を気にしなさ過ぎて過激な言動が多いけど。でも本気で人が嫌がるようなことをするようには見えないし。

 恋は戦争、なんてフレーズを何かで見た気がするけど。

 私には誰かと争ってまで恋をする覚悟がないのかな。


「……いやいやいや!」


 弱気になってどうする月島つかさ。

 あなたは恋する乙女でしょ。今胸の内にあるトウヤくんへの想いは本物でしょ。

 だから妹に毎朝起こしてもらって、眠たいのを我慢して一緒に登校してるんでしょうが。

 たった一度悪夢を見ただけで諦めたらフタバに何を言われるか分からない。

 だって相談とか乗ってもらってるし。愚痴とか聞いてもらってるし。これを誰かに聞かれたらどっちが姉なのか分からん、とか言われそうだけど、これがうちだから。あなたの常識とか価値観なんて知りません。


「…………いつもより先まで迎えに行ってみようかな」


 理由はどうあれ普段より早く起きてるわけだから時間はある。

 今から準備すれば少なくとも歩道橋の先で待ち伏せは可能。待ち伏せする理由もフタバが用意してくれた。

 そう、あのフタバがくれた映画のペアチケットがあれば……


「……ありゃ?」


 ない。

 ない?

 ないんですけどッ!?

 確か昨日の夜、フタバにもらって今日忘れないように机の上に置いたはず。それなのにどうして机の上にチケットがないの!

 スッポンポンのまま映画のチケットを探すのもどうかと思うけど。

 でも私が裸で寝ているのなんか家族の中では周知の事実なわけで。昨日みたいに薄着なところを予期せぬタイミングでトウヤくんに見られでもしない限り動揺したりはしな……


「あ……」


 そうだ。思い出した。

 机の上に置いた後、万が一寝坊して忘れてしまったらと考えて制服のポケットに仕舞ったんだった。

 私としたことがついうっかり……一応あるかどうかだけは確認しとこ。


「……よし」


 ある。入ってる。ここに入れておけば問題ない。

 ならあとはいつもより先で待ち伏せするかどうかを決めるだけ。

 でもその前に……裸で居るのもあれだから下着を身に付けよう。制服にも着替えてしまおう。そうすれば絶対にチケットは忘れない。


「………………」


 やばい。やばいんだけど。

 何か冷静になったら今日トウヤくんに会うのが恥ずかしくなってきた。

 だって昨日見られたくない姿をたくさん見られちゃってるし。フタバのせいで微妙な空気にもなっちゃってたし。

 それなのに今日何事もなかったかのようにチケットを渡す?

 いや無理でしょ。昨日の今日で平静を装えとか無理な話でしょ。

 だって私、女優でもないし。ただのオタクな高校生だし。


「……いや」


 でも考え方によってはチャンスなのでは?

 だってこれまでトウヤくんは、私のあられもない姿を見ても……見たせいなのか、あんまり女の子として意識している素振りはなかった。

 だけど昨日の雰囲気。

 あの妙な緊張感と気まずそうな顔。あれは私のことを多少なりとも女の子として意識していたから出たのでは?

 私が思っている以上にトウヤくんは、私のことを女の子として見てくれているのでは?

 いやきっとそうに違いない。

 そうとでも思わないと顔を合わせる勇気が出ない。


「やれる……頑張れる」


 私は本気で恋をしているんだ。

 その気もないのにトウヤくんとイチャコラしてるシノンさんとは違う。

 部長は……何考えてるのかよく分かんないけど。

 ただシノンさんと比べると見ていてイライラはしない。

 だってあの人、何かトウヤくんのことちょっかいを出すと面白いおもちゃみたいに思ってそうだし。


「でも油断は禁物」


 シノンさんも部長も中身はともかく外見は美人だし。

 トウヤくんと同じオタクだからオタクにも理解あるし。

 シノンさんや部長はもっとにわかというライトなオタクだったら私がトウヤくんと最も話せるのに。

 こんなことを考えても仕方がないってのは分かってるけど。

 だけど……くっ……恋する乙女は辛い。


「……そのへん君は分かってる? 分かってるはずないか」


 机に立てかけてある写真の一部を中指を弾くようにして打つ。

 その一部というのはもちろんトウヤくんの顔だ。

 私の机の上には、中学卒業時に氷室家と一緒に撮った家族写真がある。ただそれだけではなく……


「……これも机の上に立てとくべきかな」


 机の引き出しから取り出したのは、高校入学時にトウヤくんと撮った写真。

 正確な話をすると、一緒に写真を撮るのを嫌がるトウヤくんを私が強引に捕まえて撮った。だからにこやかな私と違ってトウヤくんの顔は無愛想。

 でも私からすれば想いを寄せる相手との貴重なツーショット。かけがえのない宝物だ。この写真が紛失でもしたら多分泣く。


「いやでも……それで関係が拗れたりしたら嫌だな。まあ前みたいに私の部屋にトウヤくんが入ることはないんだけど。でもテスト勉強の時はワンチャン……そのときは部屋を綺麗な状態に保っておかないと。というか……やっぱりこの写真、私の胸ってトウヤくんに当たってるよね? シノンさんほど大きくはないけど、私だって人並み以上のものはあるんだぞ。それが当たってるんだからもう少し嬉しそうな顔したらどうだ……なんて」


 写真のトウヤくんに言っても仕方がないんだけどね。

 それに実際おっぱい当たってるの気づいてて露骨に意識された方が恥ずかしい。私にも羞恥心ってあるから。

 裸とか見られそうになったことあるだろって?

 いやいや、それは前もってそういう展開を予想して覚悟してただけだから。不意なやつはさすがに無理。私もテンパる。だから昨日あんなんだったわけだし。


「……うん?」

「え…………」


 ……いやいや、何で黙って扉を閉める!?

 ねぇフタバ、フタバさん!

 私のこと起こしに来てくれたんでしょ。あれこれ考えてる間にその時間になっちゃってるもんね。好きな人のこと考えてると時間が経つのが早いね。もう歩道橋の先で待ち伏せするのは無理だよね。

 いや今はそんなことはそうでもよくて!


「ちょっフタバ、フタバちゃん!」


 ……あ、入ってきた。


「……何であんた起きてるの?」


 ただ早起きしただけで、妹からこの世のものではない何かを見るような目を向けられる。そんな姉は全国を探しても私だけじゃないかな。

 お姉ちゃん、ちょっと泣きそう……


「もしかして……」

「え、へ、な、何?」

「動くな」


 その強気な発言と迫り方。

 フタバが妹じゃなくて同級生の男子とかだったらキュンと来てたかも。

 うちの妹って何でこう強引なんだろうね。いったい誰に似たんだか。


「……熱はないわね。もしかして食べ過ぎでお腹痛い? それとも女の子の日だったりする?」

「いや、そのどちらでも」


 というか、前者はともかく後者を面と向かってどうなのかな。

 まあ家族だし、女の子同士だから悪いとは思わないけど。

 でもフタバって学校でも男前な行動してそうだし、周りの女の子のことを考えるとちょっと不安。


「なら何で起きてるの? ……まさかあんた、あいつとのデートの妄想しまくってテンション上がって寝てないんじゃ」

「してないから! ちゃんと寝て起きたから!」


 言われても仕方がないとは思うけど。

 でももう少しだけ私へのダメ人間扱いをやめてくれないかな。ダメなところがあるのは私も分かってるし。私なりに頑張って改善しようとは思ってるから。今の女子力だと肝心なところで勝負に負ける可能性もあるし。


「ふーん……珍しいこともあるものね。出来ればこの調子で毎日自分で起きて欲しいところだけど」

「それは……無理かな」

「いや頑張んなさいよ。あたしからすれば、あんたが朝あいつと一緒に登校出来ようと出来なかろうと関係ないんだから。ぶっちゃけ毎朝あんたを起こしてあげるメリットないんだからね」

「フタバ、いえフタバさんにはほんと感謝してます」


 だから私の恋が成就するまでは……成就してからも何かあった時は力を貸してください。

 お姉ちゃん、頼れるのフタバさんしかいないから。


「ふん……そう思うんなら今度あいつと映画見に行った時、ヒロインのグッズがあったら何か買ってきなさいよね」

「フタバ……もしかして本当は見たかったりする?」

「っ――バ、バッカじゃないの! 別に見たいとか思ってないし。見たいならペアチケットとか使わずに普通に見に行くし。というか、あんた絶対にあいつにチケット渡しなさいよ!」


 あ~、この素直じゃない感じ堪んない。

 リアルなツンデレってどうなのかなって思うけど、姉妹補正なのかフタバのツンデレは萌える。萌えられる。うちの妹、可愛すぎ!


「フタバ、お姉ちゃんはフタバみたいな妹を持てて幸せだよ~」

「は? ちょっ何抱き着いてんのよ。気持ち悪いから放しなさいよね」

「はぅ~……ツンデレ堪らん」

「は・な・れ・ろ!」


 うぐ……そ、そんな力強く拒否らなくても。

 押されたところがちょっとイイところだっただけにお姉ちゃんダメージが。何か言ったら追撃が来そうだからこのまま耐えるけど。


「あたしはもう学校行くから。朝ご飯はいつもんとこ。だから勝手に食べろ。そんでさっさと食べて、とっととあいつのところに行け!」

「りょ……了解です」

「……あ。あと食べ終わった食器は流しに置いときなさいよ。そのままにしてたら帰って来た時にボコすから」


 あぁ……これはちょっとやり過ぎちゃったかな。

 今日帰ってきたらフタバに謝っとこ。今後のことを考えると、フタバとは良好な関係を築いとかないとだし。

 でもこれだけは言わせて。うちの妹が可愛いのが悪い。


「ごちそうさまでした」


 食べ終わったらすぐさま食器を流しへ。

 うちの妹は可愛いけど、だからってボコられたくはない。だって私にはそういう趣味はないから。


「……よし」


 戸締りオッケ。

 時間は……途中で何か買っても間に合うかな。

 まあ別に何もなくてもいいんだけど……何か飲みながら待ってないと時間ばかり気にしてスマホばかり見ちゃいそうというか。必要以上にソワソワしそうだから必要なの。


「……………………」


 …………。

 ………………。

 ……………………だぁぁぁぁぁあぁぁぁぁやばいよやばいよやば過ぎるッ!

 歩道橋に近づくにつれて緊張感ハンパないんだけど。さっき食べたものがリバースしそうなんだけど。乙女の意地としてそれだけは絶対に阻止するけども。

 落ち着け、落ち着くのよつかさ。

 入学してから毎日のようにしてきたことをやるだけ。声をかけて一緒に登校。学校に到着するまでの間にチケットを渡すだけなんだから。

 そう簡単なこと。たったそれだけのこと。

 まずはいつもの場所で飲み物を買って……今日はさすがにクリームがあるものはきついからカフェオレくらいにしとこ。


「…………飲み終わってしまった」


 まだ歩道橋の下に到着して間もないのに。

 これまでならどんなに早くても一緒に登校し始めるまでは残っていたのに。

 それだけ私は緊張しているということか。


「……あ」


 あ、あれは。

 やばい、もうすぐそこまで来ている。胸の鼓動がうるさすぎ。こんなんじゃ近づかれただけで聞かれちゃうんじゃ……

 う……目が合ってしまった。

 何かこれまでに見たことがない微妙な顔をしてる。寝不足って感じではなさそうだし、昨日の一件が原因なのかな。

 だったら余計に普段どおりに行かなくちゃ。

 平静に……冷静に……


「おっはー」


 こっちは見てくれてる。

 顔を背けたりしてない。でも表情が微妙……

 もしかして上手く笑えてなかった? 声のトーンおかしかったかな?


「……」

「……」

「…………」

「こらこら、無視しようとするな!」


 一度立ち止まったのなら返事くらいしよ。

 無視するならこっちの期待させる時間を与えず、華麗に立ち去ろうよ。


「……朝から元気だな」

「今日はいつもより早起きしたからね」


 目覚めは最悪だったけど。


「それより……今日のトウヤくん、何かおかしくない?」

「どこが?」

「いや何というか……」


 選択肢ミスったかな。

 でもここまで言った以上は後には引けない。これまでの私を意識してやりきる他にない。


「少しよそよそしいというか緊張気味? もしかして私のこと意識しちゃってる?」

「……そんなわけないだろ」

「あ、間があった。私のこと意識しちゃってるんだ。まあフタバにあれこれ言われたから分からなくもないけど……ふふ、トウヤくんにも可愛いところあるんだね」


 あ、ムッとした。

 この顔は今までに見たことある。何度も見てる。


「誰が可愛いだ。大体意識してたのはそっちの方だろ。昨日はポンコツだったくせに」

「トウヤくん、何を言ってるのかな。家での私はいつもポンコツだよ」

「自信満々に言うな。というか、それとこれとじゃ意味合いが……いや、もういい」


 トウヤくんは、呆れたように溜め息を吐く。

 その姿を見て私は安心する。どうにかこれまでの関係が壊れる可能性は回避できたようだ。


「あ、諦めちゃうんだ」

「お前が諦めさせてるんだ」

「そこで私のせいにするのは男らしくないんじゃないかな」

「そういうのは内面の女らしさを磨いてから言ってくれ」


 それは外見以外ダメダメだと暗に言ってるのかな?

 だとしたら……今は反撃の材料がないから大人しく引いてあげよう。でも絶対将来的に見返してやる。外見も中身も女の子らしいって言わせてやるんだから。


「君って本当に失礼だよね」

「失礼さで言ったらお前も負けてないからな」

「ふむふむ、つまりトウヤ氏は我々は対等だと言いたいわけですな」


 何で急にオタク感を強めてんだこいつ。

 みたいな顔をされてる。そういうところが失礼だと何故気づかない。私は会話のノリとしてやっているだけ。君との会話を盛り上げようとしているだけなんだぞ。


「ねぇトウヤくん、君の今みたいな目は私の心を傷つけているんだよ。分かってる?」

「ならやらなければいいだろ」

「やらないと君あんまりリアクションしないじゃん」


 うん、やっぱりこうして話せるのは楽しい。

 こうしてトウヤくんの隣を歩いていたい。

 でも今の私じゃ残り数分が限界。だから早めにやることやらないと……


「トウヤくん、話は変わるんだけど」

「変えるの間違いだろ」

「細かいところ気にしない」


 こっちの時間は限られてるんだから黙って。


「昨日フタバがトウヤくんにチケットあげるとか言ってたと思うんだけど」

「あぁ……」

「これがそのチケットね」


 上手く取り出させたけど……少しでも気を抜くと手が震えそう。

 拒否られるとか考えるだけで逃げ出したくなる。

 でもここで逃げたら私の春は遠のくだけ。やるしかないんだ。


「ペアチケットなわけだけど……どうする? 使える期限も限られてるし、私は見たい作品だからトウヤくんがよければ一緒に行きたいんだけど」


 おいこら、何だその微妙な顔は。

 平静を装ってるけどこっちだって勇気出して誘ってるんだからな。男ならそれを差察して一緒に行こうって即答してよ。

 まあでも……この顔は行きたくないわけではない、と見た。

 おそらく私と一緒に出かけることで面倒なことになるんじゃ……、なんて起こるかも分からないことを考えて悩んでるだけ。

 付き合いもそれなりだからこういうときの対応は心得てるよ。

 それは……半ば強引に押し切る!


「大丈夫、大丈夫。私は目立たないように地味な格好するから」

「地味な格好したくらいでお前の美人オーラが消えるとは思えないんだが」


 ひゃ……ダ、ダメ、にやけたら絶対にダメ。ここでにやけたら全てが終わる。

 この男は何でこういうときにさらっとそういうこと言っちゃうかな。私なら美人だとか言われ慣れてるとか思ってる?

 言っとくけど、君から言われるのと他から言われるのとじゃ破壊力が違うんだからね。


「……まあ最近は部活動であちこち行ってるのも見られてるし、普通にその映画は見たいから行くか」

「今行くって言った? 言ったよね? お姉さん、ちゃんとこの耳で聞いたから」


 デート!

 久々にトウヤくんとデートできる。

 フタバありがと愛してる。フタバは最高の妹だよ!


「はいはい、言いました言いました」

「何だよその投げやりな態度は……まあでも私はお姉さんだから許してあげよう」

「同い年がお姉さんぶるなよ」

「ちっちっちっ、こういうのは気分の問題なのだよ」


 そう、気分の問題。

 私からすれば君と一緒に登校するこの時間。

 10分くらいしかないわずかな時間でもデートなんだよ。

 私は君と一緒に過ごせるだけで幸せ。


「ねぇトウヤくん……」


 私は……君が好きだよ。


「今度は何だよ」

「ううん、何でもない。映画いつ見に行く? 私としては次の日曜くらいが良いんだけど」

「日曜って……日曜に行けるかは部長の気分次第だろ。部活やるって言われたら終わりだし」

「それもそっか……ま、行くことは決まったわけだし、詳しいことは後で話し合おう」


 そして、いつか……

 この胸の中にある気持ちを打ち明けて。

 君と歩む将来のことも話し合えたら良いな。

 そんな未来が来ると良いな。



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