第70話 その日の帰り道2-2

 一秒……二秒……三秒……

 もしかしたら一分くらいは無音だったかもしれない。


「き、霧子?」

 気まずさに耐えきれず、俺が背後を振り向こうとしたその時だ。


 ヒュッ


「うわぁぁぁあ!?」

 突然足元の地面が無くなる感覚に襲われ、俺はどこかへと落下し始めた。

 落ちてゆく感覚に腹の下辺りが縮み上がり、俺はギュッと目を閉じる。


 フワッ


 すると、それまで重力に任せて落下していた俺の体が浮遊感に包まれる。

 そして、いつのまにか背中から消えていた霧子の声がどこからか聞こえてきた。


「お兄ちゃん、目を開けて」


 霧子の声に従い恐る恐る目を開けると、そこはまるで星のない宇宙のような真っ暗な空間だった。

 俺の数メートル先には、その空間にフワフワと浮かんでいる霧子がいる。

 不思議な事に、明かりなど一切無いこの空間で、霧子の姿は俺の目にはっきりと映っていた。


「……ここは?」

「ちゃんと中に入るのは初めてだよね? ここが、この子が私の異次元空間だよ」


 なるほど、ここは霧子の操る異次元空間の中か。

 何もない、光さえもない無限に広がる寂しい空間。

 だけどそこに不安や恐怖はなく、不思議と暖かく柔らかなものを感じる。


「この子は私の能力で、私の居場所で、私の友達で、私自身————」


 霧子はそう言うと、泳ぐように俺の目の前に移動してきた。

 そして黒目の大きな目で俺の事を真っ直ぐに見据える。


。私はあなたの妹で、あなたを好きな一人の女の子だよ。お兄ちゃん」


 そして霧子は俺の頬に唇を寄せると、軽くキスをした。

 いつもならば反射的に繰り出してしまうアイアンクローは、今は出てこなかった。


「お、お前……!!」

「これは誓い。私があなたを絶対に振り向かせてやるっていう誓いダヨ。覚悟しておいてね、オニイチャン」


 目を潤ませながら微笑む霧子は、不思議な事にいつもよりも女の子らしく、可愛らしく、ミステリアスに見えて、俺は思わず心臓が高鳴るのを感じた。

 この無音の空間で、霧子に心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思う程に。


「あ……え……ていうか! なんでお前能力が使えるんだよ! 歩く事もできなかったはずだろ!?」

「あんなの嘘ダヨ。だってお兄ちゃんにおんぶしてもらいたかったんだもん。ぜーんぶ嘘」

「お前なぁ! 俺だってボロボロで……全部?」

「そう、アメリカに行くってのもぜーんぶ嘘! 私はお兄ちゃんがイヤって言っても、ずーっと側にいてやるんだから!」


 霧子は俺に抱きつくと、胸にグリグリと頭を押し付けてきた。

 俺はそんな霧子の頭を腕で抱え込むと、全力で締め付ける。


「アニキ・ヘッドロック!!」

「イタタタタタタタ!! お兄ちゃん痛いヨー!!」


 キスされた瞬間に危うくこいつに惚れそうになった俺がバカだった。

 全く、今更ながら厄介な奴に惚れられてしまったものである。

 まぁしかし、これから先俺が霧子とどういう関係になるかは神のみぞ知るというやつだ。


 なぜならこいつは俺にとって妹でありながら、一人の女の子でもあるのだから。もしかしたらそういう関係になる事も————


 と、まぁ長々と語らせて貰ったが、これは霧子が高校に入学した四月から五月頭までの出来事。俺が高校を卒業するまではまだ二十ヶ月以上もあるし、霧子が卒業するまではプラス十二ヶ月だ。高校生活はまだまだ長いし、一生というやつはもっと長い。そして人生が続く限り俺達の物語は続くし、もしかしたらその先だってあるかもしれない。


 気が遠くなりそうな話で混乱してしまうといけないので、ここで確認のために言っておく。


 これは普通の————いや、自分なりの恋愛がしたい俺と、異次元空間を操る一人の女の子の物語だ。

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